この世界の主語は誰なのか(1-4)

 さて、前回のあらすじ(1-3)からですね。

 まず、人間を「個人」と「情報」、情報を「感情」と「情報」に分けなければいけない。言葉を2つに分けなければ、議論の1つでさえまともにおこなえないというお話をしました。

 けれども、新しい常識が、言葉でわかるほど優秀な人間なんて、2割しかいません。ですから、残りの8割もわかるようになるシステムを、2割の人間で作りましょうというお話もしました。

 それから、今後、世界がどうなるのかについてもお話しさせていただきました。世界はやがて誰かによって統一されますし、その支配者は地域で1番力があるものだ、というお話ですね。

 今までの歴史では、戦争によってそれが成り立っていましたが、もういずれ統一が起こるという未来が見えているのなら、戦争を起こさずに統一してしまえばいい、というのが、今回の戦略の肝です。

 戦争を起こさなくするためには、争える力を持っている敵を、1人もいなくさせればいいのであって、そのためには、力で押さえつけるか、利益を与えるかのどちらかの方法しかないというお話をさせてもらいました。

 今回のお話は、その続きからです。では、この世界の主語は、一体誰に定めればいいのか、というお話をさせていただきます。


力を持つ可能性のあるモノ1

 やっと話が戻ってきました。
 では今度こそ、誰をこの世界の主語にしようか、というお話をしましょう。ここからのお話にたいして、あなたは、「感情」としてムッとするかもしれません。話している僕でさえムッとする内容もあるのですから。
 けれども、「感情」と「事実」は分けて考えなければなりません。大事なところです。

 今までの話で、「世界はいずれ、力のあるものが支配する」という事がわかったと思います。
 「全員が心優しくなって」、「みんな平等で」なんて理想論はやめてください。それは意見でも何でもなく、ただの「感情」です。「優しい」も「平等」も人によって違いますし、人間が動物である以上、絶対にたどり着けません。むしろその、感情によって歴史を紡いでいった結果に、戦争があり、破滅に繋がる未来があるのです。

 戦略に感情はいりません。この困った世界から抜け出すためのゴールに、ここだよ、と旗を立てるために、「事実」だけでお話しさせていただきます。

 そして、誰かが支配しようとする経過として、戦争や争いが起きるのは、「争う力を持つモノ同士が、自分の常識を相手に押し付けようとするからだ」ということもわかったと思います。
 それを解決するのは、「争う力を持ったモノが全員味方になって、味方になった全員、世界にいる力のあるモノ全員が、今より利益を得られる社会を作れればいい」ということもわかったと思います。

 「味方」や「敵」という言葉は、利益の取り合いによって作られた分け方であり、これもまた言葉の罠です。
 そもそも、世の中には味方も敵もありません。言葉なんて人間が作った道具。ただそれだけです。みんなが同じ目標に向けて生きるのならば、その時点でみんなが味方です。
 「感情」を煽る言い方をするならば、世界はそもそも1つなのです。
 争う力を持っているモノ全てを主語にすれば、争わずに世界を統一できます。そうでなければ、不安の螺旋からは逃れられません。

 とはいえ、資源は限られていますし、欲望も多種多様。あらゆるもの全員を主語にするのは、さすがに難しいでしょう。
 ですから、誰を中心に幸せを得られる世界なのかを考えざるを得ません。
 この本自体が、「この世界で困っているあなたが幸福に生きられるようになるには、世の中をどのように変えればいいのか」という主題で書かれておりますので、もちろん、あなたは主語になります。

 次に、あなた以外の動ける体の方や、軽度障害者。ここも問題ないですね。黄色、黒、白、関係無く、お互いが争えば、とんでもない惨劇を引き起こす力を持っていますし、味方になれば、とんでもない利益を生み出す力を持っています。

 赤ん坊も、いずれは力を持ちますし、いなければ、僕たちが老人になった時に誰も生活を支えてくれる人がいなくなってしまい、人類は滅亡してしまいます。絶対に必要です。

 動けない老人や重度障害者はどうでしょう、あなたもいずれはこうなる可能性がありますので、そうなってしまったら幸せが保証されない世界は、不安ですよね。動けなくなったらお前の幸せは知らない、という世界ではなく、できたら一生幸せでいたいですよね。
 次の記事で、人間の欲望についてもお話させていただきますが、将来に対する安心は、人間の欲求の1つです。
 ここを守らないと、現在、力を持っている方たちが、将来、力を失うことに対して不安になりますので、ここも、今では力が無くなっている方がいらっしゃるとしても、世界の主語にいたしましょう。


命は

 ただ、上記の主語の中でも、もし、本人が生きていたくないと願うのなら、自殺や延命拒否ができる場所を作るという考えはありだと思います。
  命は尊いものだというのは、「感情」としては素晴らしいのですが、「事実」としては、尊くも、尊くなくもありません。

 命は、ただ、ある。それだけです。

 「いやいや、命は平等で尊いものだよ」というのなら、なぜあなたは、過酷な国で死に喘いでいる方がたくさんいらっしゃるのに、のうのうとファーストフード店でハンバーガーなんて食べていられるのでしょうか。ホントに命が尊いと思っているのなら、テレビなんて観ていないで、少しでも金を稼いで募金したり、インフラや医療の技術を磨いて他の国に行って助けたりすれば良いじゃないですか。けれどもあなたは、そんなことよりもシャネルのバッグを買ったり、YouTubeを見て寝転がる方が大事だと思っているのです。
 それに最近(2020年6月)は、中東・アフリカの方でまたバッタの大群が世界を荒らしています。その数は数兆匹。それによって穀物を奪われて餓死をする方もたくさんいらっしゃいます。

 命が平等なら、一体どこまでの命を平等と言っているのでしょう。平等というのは、何をもって平等と言っているのでしょう。

 なーんてね。すいません。ブラックジョークが過ぎました。話に彩りを与えようとして、ちょっとやり過ぎちゃいました。

 まぁ一言で言うと、あなたは、そもそもそんなに深く考えてらっしゃらないのです。自分の近くの情報と、誰かからもらった道徳心だけで「感情」的に正しいと思っているだけで、「情報」として、命がなんなのかを考えていないのです。

 命が大事だという「感情」は、僕も好きです。そう思っている方は、自分の命を大事だと思っているに違いありませんし、他人のこともきっと大事に出来……ないで自分の意見を押し付けている方もいらっしゃいますが、まぁそれも人間ですので良いと思います。完璧に良いものなんて、ロボットと一緒ですからね。一緒に悩んで喚きましょう。

 ただ、この本は、「あなたが、この困った世界から抜け出して、幸せに生きられる世界を作る」というゴールに向かって書かれております。
 生きたい方が幸福に生きられる、死にたい方が幸福に死ねる、ということもまた、大事です。

 死にたいのに無理やり生かされている方を今まで何人も見てきましたが、命よりも、自分の意思で自分の生き方を選べる人生の方が、よほど人間の幸福にとっては大事です。あなたには理解できないのかもしれませんが、なんせ本人には、死にたいという欲求があるのですから。

 目しか動かなかったり、意識が朧げなのに、大事な残された人の生活に、入院代やストレスという大きな負担をかけていたくはないという方や、そもそも延命せずに、自然に死ぬことが幸福だと思っている方もいらっしゃいます。

 僕も動けなくなり、頭も動かなくなってしまったら、もうそれは寿命で、いつ死んでも良いかな、と今のところは思っています。

 金儲けや策略のために、本当は生きたい方が合法的に殺されることがないように気をつけなければなりませんが、死んでも良いという選択肢がある方が、心が楽になる方はたくさんいらっしゃいます。

 命は大事だ、という言葉が、そもそも「感情」の塊であり、幸福を目指すに当たっての「事実」では無い、ということを、もう一度よく考えてみてください。


力を持つ可能性のあるモノ2

 さて、ここからが難しくなっていきます。犯罪者や反社会勢力はどうでしょう。この方たちのせいで危ないことが増え、他人に対して疑心暗鬼の気持ちを持たないといけなくなったり、騙されて酷い目にあったりします。暴力的で、税金も払わないのにインフラを使い、人を堕落させます。
 社会からすると良い所がありません。本当に世界を良くしようとするのなら、こんな人間はいなくても良い、となるかもしれません。

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