時代と共に変わるもの

 小学生の夏休みには毎年欠かさず祖父母の家に泊まりに行っていた。父方の実家は目の前が海で、道路を渡ればすぐ砂浜で親戚たちと海水浴を楽しんだ。母方の実家も同じ町内なのだが、家の裏はすぐに鬱蒼とした森があって、昆虫採集のセミ取りは何の苦もなく虫かごいっぱいに取れた記憶がある。
 今でこそ熊の被害が全国的なニュースになってるが、その頃は今以上に自然が間近で、親戚の畑は、よく熊に荒らされたなんて話を普通に聞いていたりもした。熊に気をつけろなんて一言も注意されたことはなかった。
 ゴールデンウィークに社会人になって初めてじゃなだろうか?カレンダーの祝日通りに休めることになり、母と共に帰省した。数年、もしくは数十年ぶりじゃないだろうか?久々に見た風景は、昔より小さく、狭く見えた。目線がそうさせるのか、歩く歩幅がそう思わせるのか。小学生当時は少し遠くへ出かけるだけでも知らない街の中は大冒険だった。実際は古いものがなくなって新しいものができてるくらいの違いなのだろう。それだけ便利になった反面、寂しくも思えた。その便利さが、逆に自然が脅威に感じる時代を造ったのかもしれない。
 尋ねた親戚の家の佇まいは増築したり、新築したりと昔の面影はなかった。久々に会った親戚はみんな年老いていたけど(自分もそうなのだが)、元気そうでなによりだった。その中では今でも自分は小さい子供のように見えていたかもしれない。ちゃん付けで呼ばれなかったから少しは大人として見られていたのかな?訛りの混じった話し方や笑い声は変わってない。
 いろんな風景が変わっていくけど、次に行く時は年齢だけ増えてる程度で、いつまでも元気で変わらないでいてほしい。

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