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官民・国内外のつながりから生まれた市民による芸術祭「科学と芸術の丘」|千葉・松戸市

2018年から松戸市で毎年秋に開催されている芸術祭「科学と芸術の丘」。その立ち上げと運営に、omusubi不動産は関わってきました。どうして不動産屋が芸術祭を?そんな疑問に少しでも応えるべく、これまでの歩みについて、第一回から芸術祭を支えてきた松戸市役所の尾形一枝さん、omusubi不動産の殿塚建吾・関口智子でお話をしました。インタビューを行ったのは、水戸藩最後の藩主であった徳川昭武の別邸跡「戸定邸」。松戸市の小高い丘の上にあるこの建物は、第一回から芸術祭のメイン会場となっています。
(インタビュー当時2021年12月)


プロジェクトのポイント

  • アーティスト・清水陽子さんが松戸とアートイベントの親和性を見出し発案

  • 官民連携によりさまざまな職能で継続的に開催

  • 挑戦と寛容を育むイベントとして地域の日常に溶け込んでいく


お話を伺った人たち

左:omusubi不動産の代表・殿塚建吾
中:omusubi不動産 科学と芸術の丘ディレクター(2020・2021・2022)関口智子
右:松戸市役所職員 尾形一枝さん
科学と芸術の丘の会場でもある戸定邸は、松戸駅からも歩ける観光スポットだ

アートの街は、都心から川を渡ったところに生まれる


───不動産屋と芸術祭。ちょっとギャップがあるように感じるのですが、そもそもどういった経緯で関わることになったのでしょうか。

殿塚建吾(以下、殿塚) 2017年にブルックリンで活動されていた清水陽子さんというバイオアーティストの方が、日本に帰国して制作拠点を探すという時に、たまたまomusubi不動産に連絡をいただいて、松戸の物件をご案内したんです。無事物件も決まって、契約のときだったかに「松戸はブルックリンに似ている」ということをおっしゃっていて壮大な勘違いがあるなと(笑)。

───都心との距離感とか、そういうところでしょうかね。

殿塚 マンハッタンの東側に川を渡るとブルックリンがあるのですが、松戸も東京から東側に川を一本渡るとある街。郊外のイーストサイドから新しいものが生まれるムーブメントがつくれるんじゃないかと感じてくれたようなんです。

関口智子(以下、関口) 街の捉え方が面白いですね。

殿塚 清水さんといろいろお話をする中で、オーストリアのリンツ市で開催されるアルスエレクトロニカというアートイベントのことも教えてもらって。そこも河川敷の雰囲気が松戸と似ていると。松戸でも何かやりたいですねと盛り上がって、毎週「PARADISE AIR(パラダイスエア)」に集まって企画会議が始まったんです。清水さんがバイオアーティストだったこともあって、サイエンスとアートをテーマにするということも自然と決まって。仕事どうこうというよりは、面白そうだなという気持ちで個人的に関わっていました(笑)。

松戸では個人的な活動からプロジェクトが生まれることもしばしば

───松戸をそういう視点で捉えると、すごくワクワクしますね。そこからどのように具体的なかたちになっていったのですか?

殿塚 当時松戸市では行政としてもアートに力を入れていたし、いろいろなお店も増えてきていて、そろそろみんなで集まってお祭りつくれたらいいんじゃないかと直感的に思っていました。でも僕はアートのことは詳しくないし、清水さんはまだ松戸のことをあまり知らない。その両方がわかる人にいてもらったほうがいいなと思い、当時アーティスト・イン・レジデンス「PARADISE AIR」のマネージャーをしていた友人にも入ってもらって。話し合いを続ける中で、清水さんがアルスエレクトロニカの協力を取り付けてくれて。当時まだ僕はそのすごさに気づいていなかったのですが(笑)。それでみんなで企画書をつくって、PARADISE AIRでもご一緒していた松戸市役所でその当時アート分野を担当していた臼井さんに持っていきました。松戸市としてもアートに力を入れていたこともあり、ありがたいことに予算をつけていただいたんです。

尾形一枝さん(以下、尾形) 私が異動してきて、殿塚さんにお会いしたのもそのころですね。まだ名前もついてなくて、構想フェーズだったのを覚えています。

───尾形さんは最初にこの企画を聞いたときはどう思われましたか?

尾形 私は市役所で働く前は民間企業で観光やITの仕事をしてきたのですが、もっと生活に近いところの情報発信に関わる仕事がしたいと思い、20代前半から住んでいた松戸の市役所に転職してきました。シティプロモーションの担当が長かったので、どうしてもPRとして捉えてしまって、その本質は理解できてなかったと思います。

民間で働いていた経験を活かしながら、市民主役の取り組みを応援されている尾形さん

───確かにイベントというと一過性の打ち上げ花火のような印象もありますものね。関口さんもこの頃から関わられていたのですか?

関口 私がomusubi不動産に転職してきたのが2018年の夏で、科学と芸術の丘開催の2ヶ月前のタイミングでした。概要と進捗を共有してもらって、アルスエレクトロニカと組んでるんだということに驚きました。え、あのアルス!?って。それから、もう開催が迫っているのに、全体のタスクが見えないなとも(笑)。前職でプロジェクトマネージャーをしていたので、まずタスクの洗い出しをしましたね。

殿塚 本当に助かりました...。最初は駅前のコメダ珈琲でやってたんだけど、タスクを紙に書いていったらテーブルに収まりきらなくて(笑)。最先端の科学技術のイベントをやろうとしている人たちが、近所の河川敷に模造紙を広げてやるという...。

───どのような役割分担で準備を進めていったのですか?

関口 主催は松戸市、展示や企画のディレクションは主に清水さん。私たちは運営する側の現場の調整、協力いただくサポートスタッフのみなさんへの声がけなど。マルシェも同時にやっていたので、出店者の方のお声がけとか、保健所の申請とか、出店マニュアルの制作などなど、いろいろありましたね。

殿塚 会場はここ戸定邸でやろうと決まっていたのですが、大きなイベントをやるのは戸定邸としても初めてで。当時の齊藤洋一館長のご尽力がなければ、開催はあり得なかったと思います。本当にいろいろな方の協力のおかげで、事故もなく第一回を終えることができました。

編成を変えながら継続していくチームの力


───2018年に第一回を開催してみて、反応はどうでしたか?

尾形 戸定邸は、歴史的な建物で国の重要文化財ですし、お庭は国の名勝に指定されているので、普段は歴史に興味が高い高齢な方の訪問が多い場所なんです。それが、科学と芸術の丘開催当日は東京などの市外からの若い方も多く来ていただくことができたので、やっぱりこういうイベントをやるとこれまで機会のなかった人たちが松戸を訪れてくれるんだと実感しました。一方で、戸定邸に何度も来たことがあって親しみを持ってくれている地元の方にとっても、新鮮だったみたいで。「何やってるのかしら」って覗きに来てくださる方も多くいらっしゃいました。いろんな人が交わる場になっていたと思います。

殿塚 本当に反省はたくさんありましたけど、とにかくやってよかったなと。次の年もやりたいねとすぐに話していました。少しずつ街に拡大しながら2年目以降も毎年続いていますね。

関口 2年目は1年目の経験も活かしながら、「未来の市民」というテーマも比較的わかりやすいコンセプトとして示すことができたので、1年目をアップデートできた実感はありましたね。

殿塚 3年目を迎えるタイミングで、清水さんが協力をしてくれていたオーストリアのアルスエレクトロニカに移籍することになり、関口さんがディレクターを引き継いだんです。omusubi不動産としても東京・下北沢のBONUS TRACKに東京拠点を構えたり、コロナの影響もあったりで、かなりイレギュラーな一年でした。

関口 最初は一人じゃ無理!と思っていたんですけれど、清水さんがco-directorというかたちで、アートディレクターの吉田さんと一緒にやることを提案してくださって。私はマルシェや街のコンテンツの方を担当し、吉田さんは展示やプログラム設計を見るという体制で進めていきました。

───チーム編成も変わりながら運営をされてきて、先日行われたのは第四回ということですね。今年は関口さんがお一人でディレクターを担当されたと聞きました。

関口 いろんな奇跡が重なってできたイベントで、こういったフェスティバルが継続していくことに私としても思い入れがあり。もうやるしかないなと(笑)。今回はカタリストスタッフというポジションをつくったのが新しい試みでした。当日ボランティアで一緒に運営してくれるスタッフのみなさんは、もう”サポート”ではなくて、イベントのテーマを触媒する特別な存在です。

殿塚 いわゆる観光のための芸術祭ではなくて、自分たちがDIYする芸術祭と捉えた時にサポートしてくれるスタッフさんやお店が関われることが科学と芸術の丘の肝だと思うんですよね。その役割に「カタリスト」という名前がついて、つながっていくのはすごくよかったと思いました。

カタリストの皆さん

───尾形さんは第一回からomusubi不動産の動きを見てきて、どのように思われますか?

尾形 もともと不動産屋さんとしてリノベーションできる物件などを紹介していたので、市外のアーティストやクリエイターたちがリノベ物件を活用して、松戸市を拠点に活動する人が増えてきているように思っていました。それに加えて、芸術祭を企画しディレクションしていくなど、市内の若手アーティストやクリエイターと一緒になって、市民主体の活動を作り上げるなど、新たな取り組みにチャレンジしていく姿勢がすごいと思いました。声をかけてチームをつくるというのはなかなかできないことだと思うんですよね。いろんな活動のコミュニケーションの下支えをしてくれる事業者が市内で活躍してくれるというのは、松戸市にとってもすごく心強いです。

不動産屋として、街の楽しい日常をつくりたい


───これから科学と芸術の丘はどうなっていくのでしょうか。最後にこれからの展望について聞かせてください。

尾形 私は市民のみなさん一人ひとりにとって大切な「科学と芸術の丘」になってくれるといいなと思っています。松戸市内にはすでに、自発的にいろんなことに挑戦しているクリエイティブな人がたくさんいます。美味しいカフェも、こだわって選んだ商品を並べるお店も、お花屋さんや農家さん、建築家、イベントの企画運営者などなど、個人の発想やアイデアで、オリジナリティあふれるものをつくったり、活動をする人たちはみんな、クリエイティブだと思うんです。だから、街の中に、いろんなクリエイティブの形がたくさん増えたら、みんなとてもワクワクする。そうすればきっと、街は豊かになるし、街の未来へとつながっていくんじゃないかと思うんです。秋が来たら、「あ、もうすぐ芸術祭だね。私は何をしようかな」と考える人が増えて、自分が普段やらないことにチャレンジしたり、アイデアや人のつながりやコラボレーションがたくさん生まれて、街の中にクリエイティブの形が増えるきっかけになったらいいなって思います。私は職員ですし、ずっとは関わることができないと思うので、omusubi不動産のみなさんにそんな想いを託したいです(笑)。

関口 その想いは私たちとしても大事にしていきたいです。街の人たちにとっても良い機会にならないのであれば、続ける意味はないと思っていて。個人的には二つあり、一つは自分の原体験として、自分の知らない世界の人、いつものコミュニティの外の人と会うことで生き方の選択肢が広がるといいなと。変な大人に出会った子どもたちが、10年後に自分のオリジナルな仕事をしているとか、長期的な視点で何かにつながるといいなと考えています。もう一つは、何年か社会で働くと、改めて勉強したいなと思うことがあったると思うんです。将来的にはイベントだけじゃなくて、学びや気づきを促すプログラムだったり、大学とも違う学びの機会になれたらうれしいです。

殿塚 行政から降りてきたものではなくて、市民からやりたいと提案したことをこれまでやらせていただいているわけで。これからもその延長線上に全てがあるといいなと思います。一年に一度あるチャレンジして失敗していい日。それ自体が最大の教育コンテンツになるのかもしれないですね。あとは、アートって街の寛容性を育むと思っていて。街の中に未知との遭遇が増えたら、街の人たちの寛容性がすごく高くなると信じてるんです。どれだけ偶然にアートに触れられる環境にするかというのは大切にしていきたいですね。

尾形 不動産というハードとソフトの両面で街に貢献されていることがよくわかりました。

殿塚 大げさにいうと松戸に住まれた方が、ちゃんと楽しく暮らせるように、アフターフォローしている感覚もあるんです(笑)。街が楽しくなることで、新たに松戸に住んで何かしたいという人も増えるわけですから。やっぱり、僕たちの専門性の軸は不動産事業なので、そういう視点は忘れずにいたいなと思っています。

科学と芸術の丘 Webサイト
https://science-art-matsudo.net


尾形一枝
松戸市役所 職員
旅行情報誌やポータルサイトの企画・ディレクターを経て、2012年より松戸市役所。広報広聴課、シティプロモーション担当室を経て、2018年から経済振興部文化観光国際課で科学と芸術の丘を担当。2022年4月より、戸定邸(国の重要文化財)を管理する戸定歴史館。科学と芸術の丘をはじめ、文化芸術やクリエイティブの力を活用した様々な事業に取り組んでいる。時々、市が掲出する横断幕やポスター等をデザインすることも。

関口智子
omusubi不動産/科学と芸術の丘ディレクター(2020・2021・2022)
科学と芸術の丘2021を運営する0!で2020年よりディレクターを務める。前職ではサイトやWebコンテンツ等のディレクターとしてプロジェクトマネジメントの経験を積んだ後、表現をする人を応援したいというモチベーションから独立。omusubi不動産 企画広報チーム・マネージャーとして参画。omusubiではジャズ担当。

殿塚建吾
omusubi不動産代表/宅地建物取引士
1984年生/千葉県松戸市出身
中古マンションのリノベ会社、企業のCSRプランナーを経て、房総半島の古民家カフェ「ブラウンズフィールド」に居候し、自然な暮らしを学ぶ。震災後、地元・松戸に戻り、松戸駅前のまちづくりプロジェクト「MAD City」にて不動産事業の立ち上げをする。2014年4月に独立し、おこめをつくる不動産屋「omusubi不動産」を設立。築60年の社宅をリノベーションした「せんぱく工舎」など多くのシェアアトリエを運営。空き家をDIY可能物件として扱い管理戸数は日本一。2018年より松戸市、アルス・エレクトロニカとの共同で国際アートフェス「科学と芸術の丘」を開催。2020年4月より下北沢BONUS TRACKに参画し、2号店を出店。田んぼをきっかけにした入居者との暮らしづくりに取り組んでいる。


Photo=Hajime Kato
Text=Takehiko Yanase


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