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常盤平の未来は”団地開発のルーツ”にある。-ときわ平まちのひとインタビュー vol.1 石川文秀さん(石川興業株式会社代表取締役)

omusubi不動産では、団地という大規模な開発から60年経った常盤平の街の未来について、アイデアを出し、「できたらいいな」を一緒に実践していくプロジェクトを、常盤平に暮らす人々や地域の企業とともに進めています。

(プロジェクト発足のきっかけなどは、ぜひvol.0をご覧ください。)

このプロジェクトでは常盤平にゆかりのある方々のインタビューも行い、そこから見えてくるまちの未来へのヒントを探っていきます。

第一回目のインタビューにご登場いただくのは、石川文秀さん(石川興業株式会社代表取締役)。石川興業株式会社は、常盤平駅前にある「ときわ平ボウリングセンター」を50年に渡って運営しています。

石川文秀さん(石川興業株式会社代表取締役)

常盤平に生まれ育ち、まちの変化を見続けてきた石川さんに、これまでのまちの様子、そしてこれからについて考えられていることをお聞きしました。

人々のたまり場だった「ときボウ」

−松戸に住んでいる人であれば、「ときわ平ボウリングセンター」で一度は遊んだことがある方も多いと思います。いつ頃作られたのでしょうか?

石川文秀さん(以下石川):私が高校3年生の時に父親がボウリング場を作りまして、ちょうど今年50周年を迎えました。賃貸業もやっていますが、現在もボウリング場は会社の主力事業のひとつです。

−日本のボウリング場の中では早く作られた方だったんですか?

石川:いえ、むしろ後発組でしたね。1970年ごろにボウリングが大ブームになった時期があって、そのピークが少しずつ下がり始めた頃にオープンしました。

石川:当時は通信手段が自宅の電話しかないような時代で、遊びの選択肢も今よりずっと少なかった。その中で、ボウリング場やゲームセンターは、若い方を中心に、生活の中で大事な位置を占めていたと思うんです。当時は皆さんの”たまり場”のような場所でしたね。

原野から活気あふれるまちへ

−石川さんご自身のお生まれは常盤平ですか?

石川 :そうですね。常盤平駅の北側にある金ケ作という地域の出身です。
実は元々、常盤平駅は金ケ作駅という名前でした。常盤平団地ができたときに駅名を公募して今の名前に変わったんですよ。
当時会社としては、駅前のロータリーの脇に、結婚式場やパチンコ屋さん、レストランが入っている複合ビルを運営していました。そこに、当時のボウリングブームを受けて父親がボウリング場を始めて。自分自身は、大学を出た後サラリーマンをやっていたんですが、30歳の時にそろそろ親父の手伝いしようと思って、この会社に入りました。

−その頃のまちはどんな様子だったんですか。

石川 :常盤平団地ができる前は、ススキの野原や松林、田んぼが広がる原野に近いような場所でしたね。金ケ作公園という大きい公園のそばに常盤平浄水場がありますが、そこは水源になっているほどなんです。

−そういう場所に、常盤平団地の計画が立ち上がったんですね。

石川:当初はものすごい反対運動がありました。その理由は様々だったと思いますが、団地が当時の超近代的なものだったということも大きかったと思います。
それまでかまどでお米を炊いていたのに、団地ではガス1つでできるようになったんですよ。当時はとても想像がつかなかったと思います。まだ誰も目も耳にもしたことがないものが自分たちの土地に作られるということに、すごく不安があったんじゃないかと。

石川:そうした地主さんたちを説得する材料として、人々が慣れ親しんできた自然豊かな環境を生かしたまちづくりという方向性が作られたのではないかと思いますね。今もまちのメインとなっているけやき通りやさくら通りを作ったり、団地内に樹木を多く設けたり。建物同士の間隔も広く取られていて、今もどこか穏やかな空気が流れていますよね。

−団地の開発に伴って、まちの人の様子にはどんな変化がありましたか?

石川:若い人や子供が増えて、活気がありました。学校も、木造から鉄筋の3、4階の校舎になって、それでも足りなくてプレハブ校舎が校庭を占領してしまうような時代でしたね。うちのボウリング場やゲームセンターもとても賑わっていました。

−団地だけでもすごい人数の方がいらっしゃったはずですよね。どんな方が住まわれていたんでしょうか。

石川 :常盤平団地に入居するためには抽選に当たる必要があったんですが、何十倍という競争率だったそうですよ。家賃も相当高かったと聞いています。新京成線で都内方面に働きにいくような、当時のハイクラスと呼ばれるような方たちが多かったと思いますね。

−団地の開発に伴って、原野のような自然豊かな土地が、人々で賑わうまちに変化していったんですね。

石川:そうですね。そして今、常盤平団地ができて約60年ほどが経ったんです。ちょうど今は、団地も含めた街全体が変化していく時期に差し掛かってきていると感じますね。
これまで様々な方の尽力もあって、団地ができた当初の環境が残り続けてきました。一方で、まち全体の高齢化が進んだり、周辺の別の駅の開発が進んで商圏が移ったり、このままでは常盤平の地域全体が衰退して言ってしまうという声も出てきています。

今はこれからの常盤平の街の変化を考える上で、大事な時なんじゃないかと思いますね。

常盤平の鍵になる”自然環境”

−この街に生まれ育ち、お仕事を長く続けてこられた石川さんの視点から見た時に、これからの常盤平ではどんなことがポイントになると思いますか。

石川 :やはり、この自然環境をどう活かしながら新しいまちづくりができるかというところではないかなと思います。
実は私には、ずっと持ち続けている夢があるんですよ。

−ぜひお聞きしたいです。

石川 :例えば上高地やスイスアルプスの麓には、排出ガスを一切出さない乗り物しか乗り入れさせないという地域がありますよね。そうやって、”環境”という点に特化したまちづくりを行うということなんです。
そもそも、常盤平の発展のスタート地点に”自然環境”というキーワードがあって、それが今も住民が暮らしやすいと感じられるようなまちの魅力となっている。これはもう外せないテーマなんじゃないかと思いますね。

−本当におっしゃる通りだなと思います。そういった点に加えて、住んでいる方同士の接点づくりというポイントもあるのではないかと感じていて。

石川:高齢者の方たちも、コーラスやヨガなどのサークルで積極的に動いていたり、元気な方も多いです。だから、家から1歩外へ出やすい環境があれば、より接点がつくられていくのではないかなと思いますね。
昔は公園で子供たちがいっぱい遊んでて、大人もいて、わいわいやっていた時もありましたけど、改めてそういう世代を超えて集まれる場所があったらいいなと。

−ボウリングって年齢に関係なくできますし、実は多世代の方が集まれる場所でもあるような気がします。

石川:ときわ平ボウリングセンターでは、毎年敬老の日に、3世代3人1組を無料招待するというイベントを開催していて、今年で16回目を迎えました。やっぱり多世代や誰もが一緒にできる遊び、スポーツって少ないんですよ。ボウリングは、小さい子どもも高齢者も、誰でもできる。ここには80代、90代の方も来られます。お子さんでも、5歳くらいであれば十分できますし。

そうそう、ボウリングは海外にもあるので、外国の方が来てくださったりもするんですよ。

−世代だけでなくて、価値観も言語も違う方が集まることができるっていうのは本当にすごい。そういう意味では、今でもこのボウリング場は”たまり場”なんですね。

石川 :確かに、そういう数少ない場かもしれないですね。
ここのボウリング場以外にも、昔商店会の会長をやっていた頃に、けやき通りの広い歩道を使って、フリーマーケットを路上で何回かやったことがあったんです。新緑の気持ちの良い時期を選んでね。そうしたら、人が集まりすぎちゃうくらい人気になって。そういう場もまたできたらいいかもしれないですね。

−実は12月にイベントを企画しているんですが、そこでフリマをやれたら良いねっていう話も出ていたんです。ぜひ一緒にやらせていただけたら。

石川:良いですね。これまでの経験もあるので、何か生かせることがあったらお手伝いしますよ。

様々な人が集まる場がまちの力になる

−これから私たちは、石川さんのように常盤平に関わる色々な方とお会いして、皆さんが集まる”場”をつくりたいと考えています。そういった場についてはどう思われますか。

石川:常盤平には「さくら祭り」という大きな地域のお祭りがあります。私も長年関わっているんですが、町会や商店会、役所や団地関係の人、近隣の諸団体の方も含めて、すごく連携が取れるチームになっているんです。
私もこのお祭りを通じて、近くに住んでいても顔がわからなかった人も、頻繁に挨拶をするようになりました。お祭りが近づくと、そろそろ準備始めようって集まって、そして当日をみんなで迎えて。こういう連帯感がある場というのは、地域の大きな力だなと感じているんです。

でも、たまたま自分は今そういう場を持てているけれど、もっとたくさんあったら色々な方が入りやすくなりますよね。これから新しく立ち上がるのだとしたら、ぜひ続いていって欲しいですね。

−ありがとうございます。今回のインタビューもそうですが、石川さんは外部や若い方ともすごく積極的に関わられていますよね。それはどんな思いからきているんでしょうか。

石川:そうですね・・。やっぱり自分が大人の格好してるけど、どこかまだ子どものところがあるのかもしれないですね。(笑)

ちょっとそれは冗談だとしても、私はあと2年で70歳になるんです。昔、自分が若かった頃の60代、70代って、本当におじいさんおばあさんだなって感じた記憶があるけれど、実際に自分がそういう年齢になってくると、そうは感じないんですよね。
自分がここで生まれ育ち、そして今も現役で商売もさせて頂いていることを考えると、ちょっとまだ引けないなって。あと数年後に次の世代に引き継いでいくにしても、気持ちはいつも若く持って、彼らを後押ししていきたいですね。


これからの常盤平の街の未来の兆しを探す、最初のインタビューとなった今回。

その中で聞くことができた「未来は、”環境”という常盤平の街の原点にある」という言葉は、今後のインタビュー、そしてこれからの常盤平のあり方を考えていく上で大きな示唆になったのではないかと感じます。

また、「世代や属性も越えた多様な人々が集まる場が、地域の大きな力になっていく」ということも、今後の場作りを考えていく上で、一つのポイントになりそうです。

常盤平の街の未来の兆しを探すインタビューは続きます。どうぞお楽しみに。

取材協力
ときわ平ボウリングセンター
ホームページ https://tokibow.com/

(文章・写真:原田恵)

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