まちの寛容性を育むアーティスト・イン・レジデンス PARADISE AIR(パラダイスエア)|千葉・松戸市
omusubi不動産代表の殿塚が、松戸のまちづくり会社で働いていた約10年前に、立ち上げに関わったアーティスト・イン・レジデンス「パラダイスエア」。誰も立ち入ることのなかった駅前ホテルの空き物件が、今では国内外からアーティストが集まる世界的なアート拠点になっています。そんな驚きのストーリーも、クリエイターや行政職員のみなさんとの協業、そして、松戸という土地柄だからこそ起こり得たことなのかもしれません。現在、パラダイスエアの運営をされている一般社団法人PAIR代表の森純平さん、松戸市役所の臼井薫さんとともにパラダイスエアの軌跡、そして展望についてお話をしました。
プロジェクトのポイント
殿塚が物件に可能性を感じ、1年間の交渉の末に内見をさせてもらう
オーナー様にもアーティスト・イン・レジデンス構想に共感いただき、一芸一宿というコンセプトが定まる
地元の人々との交流と地道な広報活動の末、世界的なアーティスト・イン・レジデンスへ
内見まで一年。その場に浮かんだ一つのイメージ
───外観もインパクトありますが、一歩中に入るとすごく独特な空気感ですね。この建物とはどのように出会ったのですか?
殿塚 僕がomusubi不動産を立ち上げる前、まちづクリエイティブという会社で働いていたのですが、事務所がこの建物の向かいだったんですよ。僕は地元だからというのもあり、駅前のパチンコ屋さんの上が元々ホテルで、今は使われていないということを知っていました。
───駅前の広い通りに面していますし、結構目立つ建物ですよね。
殿塚 所有者さんを調べたら一階のパチンコホール楽園さんがオーナーで。ホームページを見ていたらCSR活動の欄に、海外での文化活動支援って書いてあったんですよ。当時僕は新しく物件を開拓していくのがミッションだったので、役員さんとかにアートが好きな人がいるかもしれないと思って連絡してみたんです。
臼井薫さん(以下、臼井) 行動力というか勢いというか、すごいですよね(笑)。
殿塚 でも、「使っているんです」と言われて断られちゃったんです。断られ慣れもしていましたので(笑)、継続して連絡を取って、やっと中を見せていただけるまでに1年くらいかかりました。2012年のことだったと思います。
───1年も...!その熱意が伝わったのでしょうね。
殿塚 それで、部屋の中を初めて見せていただいたのですが、広い部屋に景品のダンボールが一箱置いてあって(笑)。確かに使っているけれど...もったいないと思って、そこから企画を考えました。ご案内いただいた部長さんがアートが好きな方で、何かやりたいですねとお話を聞いてくださることになったんです。
───現在運営をされている森さんは、どのタイミングでこの物件の話を聞いたんですか?
森純平さん(以下、森) 僕は当時、松戸の旧・原田米店という古民家アトリエにMADLABOというスタジオをを仲間と構えていて、その不動産管理をトノがやっていたのが知り合ったきっかけなんですけど。ここの話もトノが内見したすぐ後に聞いたのかな。そこからコンセプトなど一緒に考えてました。
殿塚 どうしてアーティスト・イン・レジデンスにしたのかとよく聞かれるんですけど、アートという軸は実はすでに松戸にあったんですよ。
臼井 JOBANアートライン協議会という常磐線沿線のアート活動がきっかけで、2009年に「松戸アートラインプロジェクト」という構想が松戸市としても始まっていました。2010年春に町なかの壁に壁画を描いた「MAD WALL(マッドウォール)」という作品も作られていました。少しずつ松戸にアートという言葉が増えてきていた時期でしたね。
───なるほど、この建物もそのアートの流れに合流したかたちだったのですね。レジデンスという使い方は最初から決めていたんですか?
殿塚 それは最初見せていただいた段階からレジデンス一択で考えていたと思います。
森 元ホテルなので部屋がたくさんあるのですが、全部屋をレジデンスにするんじゃなくて、一部はアトリエとして貸して、自走するレジデンスにできたらいいねと方向性はすぐに決まりましたね。
殿塚 そんな企画をパチンコホール楽園さんの本社に提案しに行ったんです。プレゼンをさせていただいて、帰り間際のエレベーターが閉まる時に「ぜひやりたいと思いましたので、引き続き話しましょう」と言ってくださって。これは実現できるぞ!と心のなかで叫んだのを覚えています(笑)。
元ホテルの間取りを生かした事業設計とコンセプト
───そこからオープンするまではどのように進んでいったのですか?
殿塚 その後、事業内容もご理解いただいて、僕が勤めていた会社が主体となって賃貸としてお借りできることになりました。ネーミングとかコンセプトは森くんがメインで考えてくれたんだよね。
森 僕だけではなく、一緒に立ち上げの準備をしていたメンバーと話し合う中で、オーナーのパチンコ屋さんが楽園だし、パラダイスじゃない?とすぐに決まりました(笑)。AIRはアーティスト・イン・レジデンスの頭文字で。この建物の敷地が元々宿場町だったということもあって、「一宿一芸」というコンセプトもすんなりと浮かんできました。
殿塚 センスがある人たちが考えたんだから、これでいいんだって僕も信じまして(笑)。すごく気に入っているコンセプトです。どういうプログラムでどう運営していくかみたいなことも、森くん主導で丁寧に設計してくれて。内装は特徴的だったのでそのまま活かし、水漏れを直したくらいでした。アーティストにアトリエとして貸す16部屋から最低限の家賃収入を得て、残りは行政の補助などを得て回るように事業設計しました。
森 滞在プログラムはショートステイとロングステイの2つを用意しています。ショートステイは短期で滞在できてお金は出ないけど部屋があるよというプログラム。ロングステイは助成金などを活用しながら、お金をかけてアーティストを誘致して年に1回行う大きなプロジェクトという棲み分けです。
殿塚 今でもその枠組みは大きく変わってないよね。
森 あとは何箇所かアーティストインレジデンスの視察にいったりアドバイスをもらいました。当時札幌のS-AIRにいた小田井真美さんや、茨城のアーカススタジオさんとか。みなさん細かいことまでいろいろアドバイスをくださいました。ちなみにいまも1番響いているアドバイスは「例え三脚でも、ないものはないと素直に伝えておく」というシンプルなコメントを。いまでも参考にしています。
───工事などもないし、オープンまでは早かったのですね。その後、アーティストはどのように呼んだのですか?
殿塚 最初は知り合いのアーティストや関わってくれそうな人を中心にお声がけしていった感じだよね?。
森 そうだね、通訳や翻訳を仕事にしようとしていた田村かのこさん(Art Translators Collective代表)にチームに入っていただいて、とはいえ万全のコーディネートをできる体制はなかったので、日本語がある程度話せる海外の方、設備もなかったので、大掛かりな設備を必要としない音楽系やリサーチ系の方、そして松戸のおじさんたちと楽しくお酒を飲めそうな方(笑)といった選定基準になっていきましたね。三脚のアドバイスを活かしてますね。
───大事ですね(笑)。臼井さんは立ち上げには関わられていたのですか?
臼井 私は全然。ただ、オーナーさんからの要望もあって、市長名で手紙を出していただけないかとお願いがありまして、それだけ対応した記憶があります(笑)。
殿塚 市の事業という側面もありましたので、臼井さんは僕たちの目的やイメージも本当によくご理解いただいて、プロジェクトを進めていくのにとても大きな後押しとなりました。
アートが街に与えたこと
───オープンしてからはスムーズに進んだのでしょうか?
殿塚 僕は最初のアーティストが来たタイミングが、ちょうど会社を辞めて独立するタイミングだったので、実はそこから数年関わってないんですよ。
森 そうだよね。最初は当然知られてないので、アーティストからの応募も少なかったですよ。そんな中で文化庁の助成をいただく機会に恵まれて、ウェブサイトやチラシをつくって全国に配ったり。情報発信やクチコミなどコツコツとやって、徐々に認知されていったという感じですね。2016年には一般社団法人PAIRを立ち上げて、主催を引き継ぐかたちになりました。
殿塚 僕は運営には関わっていなかったから、傍から見ていて感じたことですけど、パラダイスエアで働いているスタッフのみんなって映像作家さんやパフォーマンスだったり、ジャンルは違うんだけど、みんな滞在するアーティストへの敬意がものすごくあるんです。本当に名前の通りアーティストにとっての楽園にするというところに全振りしているというか。だからアーティストの口コミで認知が広がっていったみたいなんです。
───パラダイスエアが松戸の街に与えた影響って何か感じますか?
殿塚 日常的にアーティストと交流できるのはすごくいいなと僕自身感じましたね。それによってきれいな言葉で言えば、地域の人の寛容性が高まったんじゃないかなと。外国からアーティストがやってきて何かやるということって、すぐに理解はできないんだけど、それを理解しようとするプロセスがあること自体が街の方々に無自覚に作用してると思っていまして。だから僕らが何かを始めたり、街に新しいお店ができたりしても、誰も文句を言わないどころか、頑張れ頑張れみたいな感じで見てくれているような気がするんです。
臼井 関わっているみなさんが地元との関係がもうすでに築けているから、そういう結果につながるんだと思いますよ。
森 もともと松戸の人たちが、自分たちで新しいことをやっちゃう気質があったのかもしれないですよね。地元の人たちって、市という制度ができる前から、自分たちで自分たちの町を作ってきたわけで。DIY精神じゃないけど、そういうマインドが根付いていて。だって祭りとか、何百年も前からやっているわけですから。
殿塚 僕も松戸出身だけど、先輩方と決定的にマインドが違うなと感じたことがあって。僕は市があって、市の中に市民がいて、行政が決めたルールの中で生きるってどこか無自覚に思って暮らしていたんだけど。松戸のおっちゃんたちは、俺たちが最初にいて、俺たちのために市があるんだって本気で思ってる(笑)。元々自由な気質があるので、アートが馴染みやすい土地柄だったのかもしれません。
───2019年から殿塚さんがパラダイスエアに戻ってきて、omusubi不動産として関わっているわけですが、omusubi不動産の役割ってどんなところだと思いますか?
臼井 自分の率直な印象としては、殿塚さんをはじめとしたomusubi不動産のみなさんって感じがいいというか、とても話しやすいなと(笑)。アートって敷居が高いじゃないですか。自分がアーティストとうまく交流できるかなって不安もあると思うんですよ。だけど、omusubi不動産のみなさんならそこの橋渡しをしてくれそうだなというか。自分の可能性を広げてくれる存在なのかなと思います。
───森さんはこれからomusubi不動産に期待することはありますか?
森 安くて大きい駅前物件ですかね(笑)。
殿塚 それね(笑)。
森 プロジェクトってプロジェクションと同じで、前に投げるという意味合いがあるんですけど。最初に言葉とか、こんな風になったらいいねっていうイメージを投げてくれる。トノが関わっていなかった期間だって、トノが投げたイメージにみんな集まってたわけじゃないですか。そういう存在なのかもしれませんね。
殿塚 omusubi不動産とパラダイスエアができたのってほぼ同じ年なんですね。それぞれが自立してやってきたからこそ、それぞれの輪郭を帯びてきたと思うし、今改めて一緒にできることがたくさんあるんじゃないかと思っています。僕たちも下北沢に拠点を持ったり、幅広い才能を持った仲間も増えたり。パラダイスエアは今世界に認知されてきているので、3年後くらいには拠点は松戸なんだけどぜんぜん違うことを一緒にやっているみたいになれたらいいなととても楽しみです。
パラダイスエア Webサイト
https://www.paradiseair.info
森純平(もり・じゅんぺい)
1985年生まれ。東京藝術大学建築科大学院修了。2013年より千葉県松戸を拠点にアーティスト・イン・レジデンス「PARADISE AIR」を設立。今まで400組以上のアーティストが街に滞在している。2020年 interrobang設立
主な活動に《MADLABO》(2011〜21)、《遠野オフキャンパス》(2015〜)、《八戸市美術館》(西澤徹夫、浅子佳英と共同、2017〜)、《たいけん美じゅつ場VIVA》設計/共同ディレクター(2019〜)、有楽町アートアーバニズムYAU(2021〜)、《相談所SNZ》など。2020年interrobang設立。
臼井薫
松戸市総合政策部 政策推進課 主査
2005年に松戸市役所入庁。都市計画課、政策推進課、文化観光国際課、病院事業経営企画課を経て現職。市の新たな文化施策として、「PARADISE AIR」、「科学と芸術の丘」、「コンテンツ産業」などを立ち上げから手がける。現在は、鉄道事業者やプロスポーツとの連携など、さまざまな公民連携施策に取り組んでいる。
殿塚建吾
omusubi不動産代表/宅地建物取引士
1984年生/千葉県松戸市出身
中古マンションのリノベ会社、企業のCSRプランナーを経て、房総半島の古民家カフェ「ブラウンズフィールド」に居候し、自然な暮らしを学ぶ。震災後、地元・松戸に戻り、松戸駅前のまちづくりプロジェクト「MAD City」にて不動産事業の立ち上げをする。2014年4月に独立し、おこめをつくる不動産屋「omusubi不動産」を設立。築60年の社宅をリノベーションした「せんぱく工舎」など多くのシェアアトリエを運営。空き家をDIY可能物件として扱い管理戸数は日本一。2018年より松戸市、アルス・エレクトロニカとの共同で国際アートフェス「科学と芸術の丘」を開催。2020年4月より下北沢BONUS TRACKに参画し、2号店を出店。田んぼをきっかけにした入居者との暮らしづくりに取り組んでいる。
Photo=Hajime Kato
Text=Takehiko Yanase