今、推しのことを推せてますか?(後編)

こんにちは。オムさんです。
今回は、先日前編を書いた話の後編です。(前編はこちらhttps://note.com/omusan46/n/n3ba172c1acc1)
後編のおしながきは次の二本です。

3.今、後悔していること

私が後悔していることは、その方を推していたという事実を形に残さなかったことです。グッズ、生写真、何でもよかったはずなのに一切残すことができませんでした。
当時高校生だった私は周りの目をかなり気にしていたので、そうしたものを持つことを極力避け、周囲にオタクであると気づかれないようにしていました。(グッズ等を買うようになった今でも周囲の目は気にしてしまっていますが…)
確かに、当時は在宅でテレビやラジオに出てくれる姿を見るだけで満足していたという側面があったことは否めません。また、お小遣いも決して多かったわけではなくアルバイトもしていなかった私にそのようなものを買ったり、ましてやライブに行くという余裕がなかったことも事実でしょう。
いずれはオタクを卒業するときは来ます。しかし、だからといってその時が来たらグッズ等をきれいさっぱり処分してしまうとは私自身到底思えませんし、自分の学生時代を捧げたものに対してそのようなことはできないと思います。(それをしてしまうと、大げさに言えば過去の自分を否定してしまうことと同義であると思うのです。)
形に残さなかった以上、いつか忘れてしまうことが少し怖いのです。思い出せる、記憶が帰るべき場所が存在しない。これだけ大事な人だったのだから、忘れることなんてないと思いたいですが、人間に絶対はありませんし、何より人間は忘れる生き物なのですから。
過去の記憶を、過去の自分を今につなぎ留めておくものがないのです。これを読んでくださった方は何か一つでも取っておくことをおすすめします。自分が好きだった人を、好きだと思ったことをどうか忘れないでください。

4.みなさんへ

ここで書こうと思っていたことはなんだか3の終盤で書いてしまったような気もしますが…
皆さんが推している人が今後も皆さんの前に姿を見せてくれる保証はどこにもありません。ある日突然その姿を見られなくなる日が来るかもしれない、ということです。
私自身は幸か不幸かその方が卒業することについてどこかで覚悟できていたのか、比較的すんなり受け入れることができたと思っています。(ああ、その日が来てしまったんだな…と妙に納得したことを今でも覚えています。)
しかし、そうはいっても卒業コンサートのBlu-rayを観たときにはひとりで号泣してしまいましたし、最近でもその人の最後の曲を盟友たちがハンドサイン付きで歌っているのを観てしまったときにはやはり号泣しました。もはや反射的に泣きます、ええ。
卒業発表の翌日に受け入れたつもりでもどこか心に穴が開いたまま学校に行くと、クラスの女子が「卒業するんだってね~ 私割と好きだったんだけどな~」などと言っているのが聞こえたときは「今ここでその話をするんじゃねえ」と思ったことも鮮明に覚えています。
結局受け入れていたつもりでも発表翌日から今に至るまで未練たらたらだったということです。よく考えてみてください、最初に好きになった人、自分のアイドルに対する価値観を変えてくれた人、今の自分を形成することにつながった人のことをそんなに簡単に忘れられるはずがないのです。
結局、私には「なぜあなたを推していた証が何も残っていないのだろう。残さなかったのだろう。」という大きな後悔が今でも渦巻いているのです。
あなたに今誰か推しがいるならば、何か一つでもその証を残してみてはいかがでしょうか。単に思い出としてだけでなく、未来のあなたを助けるものになるかもしれません。仮に将来必要でないと思ったならその時処分すればいいのです。「なかったことで後悔」してもそれは取り戻せませんから。

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