【コロナで脱資本主義】エピソード2 なぜ、サラリーマンは貧乏なのか?(1)
エピソード2
なぜ、サラリーマンは貧乏なのか?(1)
はたらけど
はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢっと手を見る
使用されていない大学の小教室。そこの最前列に腰掛けたボクとエリカに自己紹介でもするのかと思ったら、彼は黒板によく知られた石川啄木の短い歌を書いた。
そして、チョークをマイクのように握りしめ、こぶしを回して演歌でも歌い出しそうな雰囲気を醸しながら言った。
「これからきみたちが学ぶのは、この歌が詠まれた背景! すなわち! 資本主義のメカニズム!」
完全に自己陶酔して、あっちの世界に行ってしまっている。なんだ、この変人は……。本当にエリカの友達なのか?
あっけにとられながら横を見ると、エリカは微笑を浮かべている。しかたない。自分で言うしかないのか。
「あの……、その前に自己紹介をお願いできますか」
「あー、すまないね。私は……」
そう言って、彼は黒板に「マルクん」と書いた。ボクは肘を滑らせた。
「ちょっと。いい歳して、初対面であだ名はないんじゃないですか。あなたも二十四歳ですよね。それに、なぜ、『君』の『く』がカタカナなんですか」
「まぁまぁ。わかる人にはわかるから。とにかく、『マルクん』と気兼ねなく呼んでくれたまえ、ポエマーくん」
「誰がポエマーですか!」
まったく、エリカも余計なことを吹き込みやがって。しかし、こいつが先生で大丈夫か?
「大丈夫!」
マルクんが心の声に答えたので、ボクは思わず背筋が伸びた。
「中学生でも理解できるように教えるから。いや、厳密には、はなっから中学生でも理解できる程度のことなんだよね。だからこそ、学校では教えないとも言えるね。って、それはともかく、この石川啄木の歌は見事の一言に尽きるねー。芸術! これぞポエム!」
すると、エリカが苦笑しながら頭を振った。
「ちょっと、マルクん。あなたの言いたいこと、なんとなくアタシ、わかっちゃってるけど、多分、あなた、勘違いしてるわよ」
「勘違い? この私が? このマルクんが?」
「このマルクんが?」は余計だろ。
「うん。啄木が働いても働いても裕福になれなかったのは、資本主義の責任じゃないわよ。色に狂った彼が稼いだそばから遊郭で散在していたからなの。まぁ、啄木の清貧なイメージを損ねちゃって悪いけど、啄木は自分の女好きに嫌気がさして、ついそんな歌を詠んじゃったってわけ。これがその名歌の誕生秘話よ」
「ふむ。さすがはエリカさん。物知りだな。このマルクんも勉強になった。では、今日はここまで」
「こら! 今日はここまで、って、まだ、啄木が売春婦に興じていたってことしか教わってないぞ! って、それを教えてくれたのはエリカだろう」
知らない間に、ボクもため口になっていた。
※※※※※※※※※※
だが、歌の誕生秘話はともかく、現代のサラリーマンはどうなんだろう。残業しても休出しても、その稼ぎの大半は生活費として消えていく。まさしく、啄木の歌そのものの生活だ。
彼が自戒の意味を込めて詠んだ歌が、資本主義の実態をたったの三十一音で端的に表現するものとして、彼の死から百年が過ぎた今なお、経済学の世界で引用されるのも無理はない。
ところが、すし詰めの満員電車で息も絶え絶えに通勤するサラリーマンを横目に、ドアの開け閉めまでしてくれる運転手を従えて黒塗りの高級車の後部座席で優雅に出社することが許された富裕層がいるのも歴然たる事実だ。そして、ボクたちは彼らを「資本家」と呼ぶ。
彼らは、働いた以上の金を稼ぎ、夜は赤いフェラーリに乗り換えて、孫子の代までも使い切れない金で究極の贅沢を味わっている。
しかし、一方で、どれほど働いても贅沢に手が届かないのが一般的なサラリーマンの姿だ。これは、今この瞬間もボクたちの目の前で確実に発生している現象だ。
ボクは、そこまで黙考すると、その内容をかいつまんでマルクんに話した。
「おお! いいところに気が付いたね、大林多喜二」
今度は呼び捨てかよ。
「大切なことは、いかなる高名な学者であろうと、現実を否定することはできないってことです。学問が現実を打ち負かすことはできないのです。たとえ、このマルクんであろうとも」
だから、「このマルクん」は余計だろ。それに、突然、丁寧語になってるし。まぁ、このほうが会話も噛み合うか。
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エピソード4までは無料でお読みいただけます。 「資本主義はもっとも優れた経済制度」と子どもの頃から刷り込まれ、それを疑うこともしない日本…
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