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最愛は海色 第11章

「優多さん、おはよ」
「おはよう。ちゃんと起きれたね」
「うん、でも眠すぎる。歌えるかな」
その日が訪れると、市民は太陽が昇る前からのそのそと活動を始める。

舘鼻岸壁朝市。八戸の誇る日本でも最大級の朝市が、毎週日曜の朝に開催されている。
コーヒーやラーメン、大判焼きなどその場で食べられるものから、新鮮な海の幸、季節の花、手づくりのアクセサリーなど、およそ三百店の屋台が出店し、漁港は人々でごったがえす。
朝市ではライブも行われていて、ありがたいことに私も歌うこととなった。

十一月に突入し、冬の訪れを間近に感じる。夜明けは遅く、手の先が凍えそうだ。白い息はまるでのろしのようにもくもくと立ち昇る。
「朝市って人がたくさんいて、写真撮るのが楽しいんだよね」
優多さんは目をきらきらとさせながら、ファインダーを覗いている。出店しているおばあちゃんに話しかけたと思えば、ちゃっかりと満面の笑みをカメラに収めている。
「優多さんってコミュ力あるよね……」
「なんだかんだ、人が好きなんだと思う」
同じことをしようとしても、私なら臆してしまい、きっとうまくいかない。誰にでも心を開くことのできる優多さんだからこそ撮れる写真があるのだろう。
「もっともっと撮りたい。人がいっぱいいるところに行きたい」
優多さんは少し遠くを見ながら、そう付け加えた。

「おふたりさん、おはよう」
富田さんが大きなお腹を揺らしてこちらに歩み寄ってきた。今日のライブに誘ってくれたのも、富田さんだ。
「おはようございます! よろしくお願いします」
「どう? 朝早いけど、声出そう?」
「どうかな、あまり自信がないです」
「歌う前に揚げ物を食べておくといいんだよ。しおてば買ってきたから、ふたりで食べて」
「いいんですか! ありがとうございます」
「ありがとうございます」
一度食べたらやみつきになる衣と塩加減。寒さも忘れて、夢中でかぶりついた。

ぶらぶらしているうちに私の出番がやってきた。
朝の空気は、気持ちをぎゅっと引き締めてくれる。たくさんの人が目の前を通っていく。私のことを知らない人にも届けばいいなと願いながら、思いきり歌いきった。
「佐竹ちゃん?」
無事に歌い終え、袖でギターの片付けをしている時だった。驚いて声のした方向を見ると、そこにはクラスメートである上橋ちゃんの姿があった。
「えっと、上橋ちゃん」
「佐竹ちゃんって、歌うんだね。あまりにも素敵だから、思わず話しかけちゃった」
上橋ちゃんのかけている丸い眼鏡がきらりと光った。上橋ちゃんとは、グループワークで一、二回話した程度の仲だ。そんな間柄の人にまっすぐ歌を褒められるのは照れくさくて、そしてなによりも嬉しかった。
「いい声が聴こえるな、って思いながら通りかかったら佐竹ちゃんが歌ってるからびっくりしたよ。歌詞もすごく沁みる。オリジナルなの?」
「う、うん」
「すごいな、まじ天才だよ。また聴きたい。ライブあったら誘って。応援してる!」
「ありがとう……!」
 ひとりの心に、歌が届いた瞬間だった。

「おつかれさま。今日もすごくよかったよ」
「ありがと」
優多さんがそばに来て、私のギターを担いでくれた。
「あのね、歌っててよかった」
「どうしたの」
「さっきね……」
喜び、悲しみ。見たことや感じたことすべて、優多さんに共有したい。優多さんは私の身に起こった出来事を、自分のことのように喜んでくれるから。
どこにでも理解者はいる。無機質な箱だと思っていた学校にも。
優多さんのように誰にでも心を開くことは難しい。けれど歌い続けていれば、誰かと心を通わせることのできる瞬間が、これからもきっと訪れる。

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