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玩具みたいな人生

目が覚めて、換気扇が回るのを眺める。また一日が始まることにうんざりする。

人生もゲームみたいに、セーブしてシャットダウンできたらいいのに。起きているかぎり頭が動き続けることに耐えられない。天才がごろごろいる世の中で、この足りない頭で生きていかないといけない。
それでも心は動く。何度生まれ変わっても私が私の魂であるかぎり到達できないような作品が世の中には溢れていて、それを読み私の持つ全てを使って感動して、この作品にここまで没入できるのは私だけだと思う。
世界のどこかで、どんなに想像しても理解できない痛ましい事件が起これば、自分の人生で精一杯なのに見ず知らずの外国人に想いを馳せて夜な夜な泣いたり、私にできることはないか考えたりする。
私は私の限界を知っている。私には書けないことが、見えないものがいっぱいあることを。それでも言葉を綴ることをやめられない。それをしてもなにもならないのに。

ひととおり考えに耽ることに飽きれば、つぎはスマホを開いて情報の渦に飛び込む。不倫された人の愚痴、育児日記、たいした起承転結のない漫画、日常のほっこりする出来事、政治批判、パパ活、おすすめのコスメに隠れた自己顕示欲、だらだらと情報を眺めていると、ただでさえ鈍い心がどんどん鈍くなっていくのを感じる。
少しでも天才に近づきたいなら、この時間に本を読めばいいのに。それどころか、心が揺さぶられた時に頭のどこかでどんな風にツイートしようとか言葉を組み立てている始末。自己嫌悪に浸って、「今日も起きてしまった」「スマホない時代に生まれたかったー」と続けてツイートする。

ハンドメイドのサイトで買ったお気に入りの掛け時計を見つめる。ハンドメイドってだけで、生活にこだわっている感じがしていい。無印良品やニトリで揃えるような生活はしたくない。
7時40分、そろそろ起き上がって準備をしなきゃ。私は凡人なので、凡人らしく組織の中で仕事をする。
キッチンに移動して、この前行った喫茶店で買ったコーヒー豆を手で挽く。詳しいことは分からないけれど、豆が削れる音と広がる香りは好きだ。バニラの香りのする煙草に火をつけて、コーヒーを一口。外は静かで、遠くから新幹線の過ぎ去る音がする。窓から外を覗けば犬の散歩。

仕事を辞めたいのは、みんな同じ。私は心がおかしい自覚はあるけれど、心が壊れてはいないので、あいにく働かなければいけない。私の苦しみは所詮ファッションで、私は精神疾患にはならない。突然涙が流れることはあっても、お腹は空くし疲れたら眠くなる。
「大村さんは変わってるね、て○○さんが言ってたよ」
同期の言葉を思い出してため息が出る。変わっていると言われることにはもう慣れた。その度に、じゃあどうしたらよかったんだよ、と思う。望んで変わり者でいるわけじゃないし、ただ自分に正直に生きているだけ。それだけなのに、社会という怪物は私を孤独にさせる。私から見れば職場の人間の方がよほど薄っぺらく味気ない存在で、仲良くしようと努力することにも疲れた。
孤独でも売れてさえいれば、社会に認めてもらえるのに。だけど今の私はただの変わり者で、両手には何も持ち合わせていない。ADHDを疑って病院に行ったら「ただのバカでした」って言われたような気分だ。

また余計なことを考えてしまった、ともう一本煙草に火をつける。ヤニ臭いと指摘されることが怖くて、換気扇を強くする。無機質な換気扇の音の向こうに、遠く遠く社会がある。

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