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むかしどうおもってくれていた?

一般的に、部屋を掃除して見つけた埃をかぶった手紙はどう綺麗にして保存し直すものなのだろうか。
だいぶ前に大掃除をして出てきた小中校時代の手紙を一か所にまとめたまま、適切な処理が分からずに放置してしまっていることが最近の心配事である。
受け取った当時(まだ文通が盛んだった時代)差し入れ式のレターボックスに突っ込んだままいつの間にか部屋の片隅に追いやられていたもの達が悠久の時を経て掘り起こされたのである…
私の年代にとって手紙は絶妙な存在である。中学校まではスマホがそれほど普及していなかった為に割と当たり前なコミュニケーションツールであったが、今では特別に好む人同士が書くものになっている。
私は中高一貫校にいたので、今でも手紙のやり取りをするような子からの手紙達は、当然思い出や互いの人格の形成過程などが累積された山である。
一方、今では交流の薄くなってしまった人からの手紙というのも思ったより重く響くものだ。
特に、相手が現在文章から離れてしまっている人物である時、当時手紙が「当たり前」であったありがたみがよくわかる。
また、いざ中身を読み返すと悲しいかな自分の記憶力への過信を目の当たりにすることになる。
大抵の場合、彼女たち(女子高だったので)は憶えている数倍愛情深く、中学生なりに精一杯私を分析しながら評価してくれている。
学校で毎日会う為、内容としては近況報告よりお互いについて書くことが多かったのは当然なのに、こんなに温かい言葉を貰っていたことも憶えておらず部屋に放置していたなんて…
もしもっとこまめに読み返していたら、交流が薄まることもなかったかもしれない。いや、今からでも遅くない!今度話しかけてみよう。
SNSでいつもやり取りする仲でない人に突然話しかけるのが苦手な性質なのだが、それはなぜかと考えてみると、「いまどうしてる?」に気を取られ過ぎるからかもしれない。
最近の私は他人に対して、前こう言ってくれたけれど今は興味が移ったかも、忘れているかもと弱気になるきらいがある。
昔はこう思ってくれていたことだし、忘れていても思い出してくれたら良い。思い出させてみせる!
私の部屋の片隅で、手紙達もそんな気持ちで見つけられる日を待っていたのかもしれない。

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