「稼げないのは能力がないからだ」の嘘
よくある自己責任論に、「稼げないのは能力がないからだ」というのがあるが、これはまったくのデタラメです。
資本主義というルールは、資本を持っている人間が圧倒的に有利にできている
かんたんなケースを想定してみます。
AさんとBさんが株式投資をはじめました。
AさんもBさんも、入念に情報収集を行い、
1年経ってAさんは10%の運用益を出しました。Bさんは5%の運用益を出しました。結果として、Aさんは10万円の利益を手にし、Bさんは5000万の利益を手にしました。
このAさんとBさんに、能力的違いはあるでしょうか?この結果岳を見て評価するとしたら、Aさんのほうが優秀な投資家であったようにも思います。
しかし、AさんとBさんが手にしたお金は天と地ほどの差があり、Bさんのほうが圧倒的に多くの運用益を手にしています。
彼らの決定的な違はAさんが頑張って貯金した元手100万円を運用したのに対し、Bさんはもともと資本を多く保有していたので、10億円の元手を運用資金に当てていたのです。
この例は極端だとしても、資本主義社会における「お金を稼ぐ」という行為には、明らかに個人の能力以外の変数が存在しており、それはときに個人の能力などでは覆せないほど大きくなることもある、ということは理解してもらえると思います。
「稼げないのは能力がないからだ」の論理は、資本家の労働搾取を正当化し、階級を固定化する
「稼げないのは能力がないからだ」という主張が正しいと主張することは、裏を返せば「俺がお金を稼いでいるのは、正しい努力をしたからであって、正当な対価である」という主張に正当性を与えてしまうことになります。
これは、ややもすると労働搾取を正当化し、階級を固定化します。それが進むとどうなるかというのは、中世以降の歴史を見るに明らかです。一部の資本家や権力者が利権を握りしめ、大勢の人間が小作農化や奴隷化しきたわけです。歴史的には武力蜂起でこれを覆してきましたが、ここまで技術革新が進んでいった社会の中で、一部の権力者が握る巨大な武力に対抗する市民革命が可能かというのは、中国の情勢をみるにちょっとずつ不安になってきています。
だからこそ、そうなる前に、この資本主義の限界であるこの問題を一人ひとりが自覚し、修正する方向にきちんと動かなければならないのです。ちょっと大きい話になっちゃったけど。
そもそもでいえば、同じ人類なのに、努力の違い程度で10倍も1000倍も能力が違うはずがないのです。
だからコンビニの店員さんにも、土建屋のにーちゃんにも、優しくしような。みんな頑張ってるんだから。
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