役所も民間も「他人事」を改めないと
この間、市役所の方に呼ばれて「ヒアリング」というものにいってきた。僕はこの「ヒアリング」という形式がどうにも好きになれない。
それは、尋問されているような感じがして嫌だとか、自分の考えをまとめて話すのが得意ではないということではなくて、どうにも他人行儀な感じがするからだ。
結局、この話をしたところで「ヒアリング」なので、最終的な判断は役所に任されているという意味で、まったく主体性がない。役所の人たちは役所の人たちで、なんとなく「なんとなく自分たちの腹案を後押しする”意見”がほしい」という空気も感じる。
一緒にやるってなんでできないんだろ
いや、めっちゃ思うんですよ。こっちもこっちでやるならやるでもうちょっと一緒に考えたいし、役所の人も役所の人でもっと地域の人たちと一緒になんかやるってことを考えてほしいんだよ、って。
でもまぁそういうのをむずかしくしてきた構造も過去にはあるんだろうとか、いろんなことをかんがえながら、自分には何ができるんだろ、と思いながら帰路についた。
そういう形を実現できる自分になりきれてないことが、悔しいって思うって話なんだけど
この構造を変えていくことが、まちづくりの第一歩だと思うんだよね。どうしたらいいだろね。
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