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安楽死(その1)

 私は一種の気ぐるいなのであろう。このnoteを記録しはじめてから、なにかというと、死について述べている。断ってはおくが、なにも私は今すぐに死にたいから、死について述べているのではない。

 ニンゲンだから生きることについて、疲れると感じることはままある。けれどもだからといって、では死ぬかということにはならない。それはあくまで極論にすぎないであろう。

 ただ死というものは避けられない。その意味を考えることによって、生の意味を見いだすことができると思われるのだ。そして他者の死を思いやることもできる。

 このあいだの参議院の選挙で、ある政党の政見放送を観た。

https://youtu.be/e8Kn4tGiuCE

 それがこの「安楽死制度を考える会」なのだが、どう思われるであろうか。日本は安楽死制度がない。けれどもそれを導入したとして、どのようなルールにするのか。

 私はこの党首である佐野秀光氏のように、誰しもが安楽死できるようになった方がいいとは思えない。むしろこういうヒトがいると、ほんとうに安楽死を必要とするヒトのための議論が遠ざけられるとすら思われる。

 ではほんとうに安楽死を必要とするヒトとは誰なのか。それはまた次回、詳しく述べていきたい。安楽死は現代倫理における重要な課題である。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。
この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。

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