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きっとヒトは死を意識するからこそ学びたくなるのだと思われる(その2)

 きほん私は、毎週講義には出席しているので、出席を証明するカードを提出する講義のばあいは、頼まれたら代わりに出すことを引き受けることにしている。

 理想論からいえば本人のためにならないのだが、大学には義務として卒業を目指すヒトと、権利として勉強しているヒトの2種類が存在する。前者は若いヒトに多くいる。そういうヒトに理想論を語って、だからどうにかなるものでもないのだ。

 ニンゲンは歳をとるにつれて、すなわち死に近づき、死を意識するようになって、自分の人生はこのままでいいのかと考える。そしてその解決策のひとつとして、勉強をはじめる。

 あるおばあちゃんが大学に入学した。孫がそんな歳で勉強してどうするのと聞いたら、おばあちゃんは、”でも何もしなくても歳はとるんだよ”と答えたという。おばあちゃんのいうとおりである。

 私が在籍する哲学専攻では、昼夜や短期のスクーリングとわずけっこうな数の年輩者が、哲学の専門科目を受講している。おそらくみんな自覚のあるなしは無関係に死ぬ準備をしているのだと思われる。

 自分が死んだらどうなるのかというのは、いろいろな角度でみていかないと、ある程度の答えは出てこない。その手助けをするのが、哲学でありその研究者である。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。
この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。


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