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それはそう思われる

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このnoteのメインコンテンツ。私、川﨑常喜の思い懐いたことについてつらつらと。
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#エッセイ

キムタクドラマについて思われる

 現在、毎週日曜日21時にTBS系列で放映されているドラマ「グランメゾン東京」を観ている。主役が木村拓哉なのだが、あいかわらずこのヒトのドラマは鼻につくのだな。  いちおうライバル役として、それ相応の俳優は出てくるのだけれども、キムタクをよく見せるための踏み台感がぬぐえない。ちょこちょこ弱点を演出されては、かっこいいところをキムタクに持ってかれているのだ。  持ってかれてもしょうがないよねという予防線を、いちいち張ってあるのが嫌らしいといったところか。女性はどうかわからな

政治思想はヒトそのものの尺度にはなりえないと思われる

 仕事がら職場内のいろいろなヒトと組んで、その日の作業をするわけであるが、半年もやっているとよく話をするヒトと、ある程度の距離を保ってやるヒトとに分かれてくる。  私自身は積極的に話しかける方ではなく、それでいてこのヒトとは組みたくないというのもない。  おそらく職場のどのヒトも、私とは積極的に組みたいと思うヒトはいないであろうが、ぜったいに組みたくないとも思われていないはずだ。  仕事そのものも特にできるというわけではないが、どの仕事でもマンベンなくこなす。ようは無難

死後の世界について思われる

 いぜん神様というのは、天地そのものであり、ニンゲンのような姿はしていないのではないかということを記録した。天すなわち宇宙にはカタチがない。  それどころか無限に広がりつづけているかのようにみえる。ニンゲンの魂があるとしたら、どこにいくのであろうか。  私は宇宙が広がり続けているように、たくさんのヒトの魂は宇宙とともに広がっているのではないかと空想する。もちろん根拠はない。あくまで空想である。  いうなればイメージとしては、こんな感じだ。肉体から離れたらニンゲンとしての