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夢の中で、夜を過ごして。

 夜が怖い、という記事を昔に書いていた。その当時の僕はうまく寝付くことができず、毎晩焦燥感に悩まされていた。来るはずのない、あり得ない将来についての杞憂とも言える憂鬱な想像は僕の睡眠時間を削り、神経をすり減らした。そうして僕は毎日陽が昇るころに、昼寝をするみたいに眠った。

 こういう日々を過ごしていたとして、夜が怖くないと言える人がいるだろうか。夜が来るたびに追い詰められる感覚があって、それから逃げるように眠ろうとして失敗し続ける。うとうとし始めるのはちょうど朝の6時頃で、昼過ぎには眩しさで目が覚めてしまう。睡眠時間が足りてなかったので夜にはもう少し長く居座って欲しかったけれど、夜の間は眠れないので意味がないよなとか考えていた。

 それからもう2年ほど経つはずだから、同じような怖さを抱くことはなくなった。確かに今でもなかなか寝付けないけれど、朝日に挨拶する前に眠ることができる。将来に対する憂鬱な考えは、喫緊で具体的な悩みにすり替わっている。(これに関しては、どちらがいいというわけでもないですが)つまり、眠れず悶々と考え事をして過ごす夜というのが当時に比べて減っているわけだ。これは嬉しい。あまり意識してなかったけど、こうして文章にして意識を向けると自分の中に確かな嬉しさがあるのを感じる。

 ただ、それはそれとして、どうしても怖い夜というのがある。今日は夜が来て欲しくないなという日があって、そういうときでも必ず夜は来るわけだから、それがどうしても怖い夜になる。

 そんな夜はどう過ごすのが正解なんだろう。戯れに星を数えて過ごそうか。空を横切る月を追おうか。そういう真っ暗な夜に屋上に出ると、自分が空中にいる感じがする。手をめいいっぱい伸ばしたら、絶対に宇宙に触れていると思う。夜空の暗い青に囲まれているとき、僕はすごくひとりだ。

 どうしても怖い夜。すべてが怖い夜。一人でいるのも、誰かといるのも、起きているのも、眠っているのも。どれを選んでも形の合わない服みたいに居心地が悪く、責め立てられているようで恐ろしい。自分を責め立てるのは、やはり自分なんじゃないかと思う。

 最初はもっと系統立てて怖い夜の話をしようとしてたこの文章も支離滅裂になった。話があちこちに飛び、僕は好きな単語をどんどん使うし、論理展開より情緒が優先されている。これもきっと夜。そういう夜。どうしても怖くて、何かを好きに書かずにはいられなかった夜。こんな日ならどこまでだって行けるんじゃないかと思って、今までで一番自由にやっている。

 眠るのときの布団の冷たさ。それが温まるまでの時間。好きな音楽を流し始めたとき。常夜灯によって部屋は隅々までぼんやりと照らされ、すべてのものの輪郭は曖昧になっている。それは僕も例外ではなく、部屋の中の空気に溶けていくような気がする。常夜灯のあたたかな橙の光によってさ。

 

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