嘘の日記(4/28など)

4/28

 今日は鏡を割った。それはそれは手ひどく割った。どうやってあの四角いプラスチックの枠に収まっていたのか不思議なくらいに割った。もう本当にばらばらだった。惨憺たる有様だ。

 しかし、いつもはリビングの片隅で眠そうな顔を映すに過ぎないそれは、散り散りに床へ広がってからは随分ときれいに見えた。細かく砕かれたそれは、それぞれ好き放題に景色を身にまとって、色とりどりの姿を楽しんでいた。それは星のようでもあり、街のようでもあり、人々のようでもあった。そういうものたちに見とれてしまって、なかなか掃除には取り掛かれなかった。

 ただ、床中を鏡の破片でいっぱいにしておくわけにもいかないから、のそのそと掃除をし始める。そうしてその中で、僕は、ひと際きれいなひとかけらを見つけた。それを構成する面は、適当に直線を引っ張ったみたいな不器用で統一感のない多角形だったが、どうしてかそれは、全体として見たときには完璧な調和を保っていた。細い紡錘形のそれは、今しがた割れてしまった鏡の心臓のような気がして、手に持ってみると、冷たくしゃらんと鳴った。

 他の破片はすべて片付けたのだけれど(ちなみに、片付けにはとんでもない時間を要した。今の家には、ちょうどいい新聞紙とか、掃除用具がなかったからだ)どうしても、さっきの欠片だけは捨てる気になれなかった。ここで捨ててしまうには、あまりにも美し過ぎたのだ。だから僕はそれを、優しくハンカチでくるんで引き出しにしまっておいた。そうしてまた、あの冷たく澄んだ音を聞くのだ。その心臓はいつまでも美しいだろうから。

5/2

 ここ三日ほど、雨が降り続いている。強い雨が続いているわけではないが、一定のリズムで、休むことなく雨の音が紡がれていく。まだ梅雨は一ヶ月先だし、それにしたって三日間休むことなく降り続けるなんてちょっと変だ。普通ならもう少しムラってものがあると思う。雲だって移動するんだし。

 そういうわけで、僕は直近72時間の雨雲レーダーを確認してみた。すると、驚くべきことが分かった。(いや、分からないことが増えたのかもしれない)どういうわけか、僕の家の直上にも、なんなら周囲にも、まったく雲など見えなかったからである。僕は窓の外を確認した。相変わらず雨は降り続いている。しかし、よく見てみれば空の色は明るいし、家から少し離れた道路は濡れてすらいない。ただ、僕の家の周囲だけが、空からの水に打たれ続けているのだ。

 このあたりで僕はおおよその事情を察した。そうして、携帯電話を手に取った。インターネットで調べた番号に電話をかけ、この電話は録音されているだとか、順番にオペレーターに繋ぐだとかいった定型文を聞き流す。ぷつんと一瞬だけノイズが走った。そのあと僕は、相手に現在の状況を話し、今の自分に起きていることが予想の通りであることを知った。

 原因は雨漏りであった。空の上を通る、やんごとなき方々のための道の一部が春の嵐で壊れてしまったらしい。向こうの国土交通省的な人や、実作業をしてくれる人が頑張って直そうとしているみたいだが、今は絶賛の長期休暇中。穴のサイズもそれほどでもないから、まだ作業に取り掛かってないみたいだ。まあ、どこであっても、休みの間は休みたいってことだ。僕だってそう思う。

 なので、僕の家の周りは、休暇中はずっと雨にさらされることとなるそうだ。仕方がない。別に、特段嫌だってわけでもない。穏やかな春の季節の優しい雨というのは、悪くないものだからね。


僕を助けられるボタン