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日本のために命をかける91歳元特攻要員の”山崎健作さん”

一昨年脳梗塞で倒れられて、1時間以上話すことがドクターストップがかかっているにも関わらず、2時間でも3時間でも僕は質問されたら喋ります、と語り続ける山崎さん。その命をかけた情熱は一体どこから湧いてくるのか?日本人の本来の姿を思い出させてくれる感動のインタビューになりました。

山崎健作さんプロフィール
出身地:北海道
経歴:1927年(昭和2年)生まれ
昭和18年 陸軍少年飛行兵に15歳で志願
昭和19年 台湾教育飛行隊に転属特攻要員となる。
昭和20年 沖縄防衛の特攻転属を命じられ台北の南飛行場で終戦を迎える。
平成27年 遠友再興塾を設立 
平成31年  遠友生きがいクラブ発足 

91歳からスタートしている夢がある

Q1:山崎さんの夢は何ですか?

山崎健作さん(以下、山崎):日本人らしい社会活動、社会貢献をするような「活き活きできる青少年が溢れる」そんな時代を作れないかな、と思っています。

私は新渡戸稲造先生が作った遠友夜学校で学んだことを活かして、学問より実行を大事にしています。どんな実践かというと、遠友夜学校の校歌(有島武雄 作 )の歌詞にあるように、世のため人のための実践活動になります。

(写真:新渡戸稲造先生が作った札幌遠友夜学校のことを語る山崎さん)

それと、当時は学校の先生の影を踏んではダメという常識がある中「先生は友達だよ」という平等を掲げる画期的な学校でもありました。約半年間ですが、遠友夜学校で学んだことを活かして社会活動、学問より実践、平等というコンセプトで「遠友生きがいクラブ」 というものを作りました。今は2名ですが、これから賛同する人に呼びかけて組織づくりをしていきます。

その背景には、今は子供達が伸び伸びできないような教育があると思うし、多くの日本人が平和ボケで日本の未来に対して危惧を感じていないからです。国会でも日本の未来が平和で繁栄する具体策が語られた様子がありません。

記者:91歳にもなられてパソコンで初めてメールを送ったり、生きがいクラブを発足して活動的になられている背景には、そんな想いがあったんですね。

命がけで守った僕らの先輩である日本人が・・・

Q2:今の子供たちが伸び伸びできない理由とは何だと思いますか? 

山崎:それが戦後の日本人が罪意識を植え付けられたことと関係あると思うんです。そのことを理解して頂きたいので、少し話が脱線するように感じると思いますが、最後には繋がる話しなので、まずは私の戦争体験から話させてください。

昭和16年に始まった大東亜戦争ですが、昭和18年にはアメリカの反撃が激しくなってきたのを感じました。日本人がアッツ島で2600名も玉砕して亡くなり、その方達のために、遺骨のない骨箱を持って駅前通りを行進している慰霊祭を見ました。

私は自分から率先して何か物事をやろうとする性格ではなかったんですが、そんな日本の情勢でしたので命をかけて国を守ろうと友達に誘われて、昭和18年に陸軍少年飛行兵に志願しました。

(写真:独立飛行第49中隊の山崎さん 当時17歳)

その当時は、戦争が始まったら日本人が一つの心になって立ち向かいました。やらなくちゃならない、のたれ死にするよりも。日本人は戦争を好んだわけじゃなく仕方がなかったんです。

日本が絶対に受け入れることの出来ない条件であるハルノートを突きつけられたり、ABCD包囲網などにより、石油、ゴム、などを輸入をストップされて日本が自滅するか、それとも戦うか、その二者択一になり、国の危機を感じました。

開戦が決まった時に国民は心を1つにして戦おうと思いました。私も新聞の日米交渉のいきさつを読んで14歳の子供ながらにそう思いました。

それと、「日本は侵略戦争をしてない」と、戦争体験を語る会で語った時に「侵略戦争ではないことにビックリした」と感想をもらった時に、私は衝撃を受けました。

日本の学校では侵略戦争と教えられたこともあり、戦友から聞いたことですが、孫から「おじいちゃんは、どうして侵略戦争に行ったの?」聞かれて本当にビックリしたそうです。

日本が自分の国のことを悪い国だ、悪いことをしたと教えることは、潜在心理に悪い影響を与えるんじゃないかと思います。だから今の日本人が、今の子供たちが伸び伸びと生きれないと思うんです。

記者:子供たちが伸び伸びと生きれない原因の1つが戦後の教育ということなんですね。

個人と国家の境界線がなかった日本人

Q3:戦後の日本の状況についてもう少し詳しく聞かせて頂きますか?

山崎:戦後しばらくは「国家社会のため」という気概は日本人の中にありました。「国家のためが自分の家族のためであり、個人がよくなれば国家が良くなる」それが当然だったんです。

記者:戦前の日本人は個人と国家が繋がっていたんですね。

山崎:我々が特攻要員だったときは、自分達のやっていることが名誉なことであって、国のため、家族のために爆弾を抱いて敵艦にぶつかる。戦時中は死ぬのも不思議でない感覚になり、常に張り詰めた気持ちで戦っていました。そのときは日本の将来を開こうと言う気持ちだけしかなかったんです。

しかし私の場合、何かの事務的な手違いで、特攻の部署ではなく【特攻隊の誘導】と【敵艦隊の爆撃任務】の部隊に配属されてしまったのです。私たちは特攻要員として精根こめて訓練したのに、特攻隊ではない部隊に来てしまい、とても複雑な心境に襲われました。

私も本来ならば特攻に行く運命だったのに、台北から私の同期生が特攻出撃する事になり、その時は特攻に行かずに見送り側になったんですね。

(写真:昭和20年 特攻隊を笑顔で見送る山崎さん)

戦後の罪障感

Q4:そんな中、山崎さんは戦後はどんな気持ちで過ごされたんでしょうか?

山崎:戦争で、かなりの大勢の人が特攻で亡くなったのに、自分だけ生きて帰ってきたのが後ろめたさを感じて申し訳ない気持ちになりました。

私は生きて復員(兵隊が除隊すること)したことが、後ろめたく大きなストレスになっていました。今の人は信じないでしょうが、戦いに負けて生きて帰った罪障感に苦しんだのです。

特攻要員で生きて帰った復員者には、冷たい視線を送り非難をする国民も多く、それに耐えかねて自暴自棄になり犯罪を犯すもの、いわゆる当時「特攻崩れ」と言われた者もいました。

今も占領中である日本人の考え

Q5:なぜ、日本のために戦った特攻隊に対して非難するものがいたんでしょうか?

山崎:先ほどもお伝えしましたが、戦後すぐは国家社会のため、という気概が日本にはありましたが、アメリカの占領中は「戦争のことを語ってはいけない。」と言われていたんですね。日本の良いところを全て否定する空気が生まれました。軍隊も否定されたのです。どんな国でも自衛のための軍隊は必要ですが戦後の日本は変わっていました。

私が学校のマラソンの時に日の丸を持って応援してたら日の丸を掲げちゃダメだ、と注意をされたり、日本のことが書かれている本が7000冊も焚書(書物を焼却する行為)し、本の中でもアメリカの悪い所が書かれる場所は墨で塗り潰されていると聞きました。終戦直後は、アメリカの制限があってアメリカ軍を批判できない、朝鮮人も批判できないし、戦争体験も語れなかったんです。

そして戦後に「眞相箱」と言うラジオ番組で、日本人がこんな悪いことをした、残虐なことをしたと言う情報が流れてしまい、戦後生まれの日本人は、成長する過程で、そんな教育されてしまった。戦後、GHQが日本の教育の仕組みを変えてしまった影響が、昭和30年以降に徐々に浸透していったように思います。

(写真:山崎さんが教えてくれたラジオ番組「眞相箱」について書かれた本 )

そんな教育方針、空気感に従って成長してきた人達が今の日本を支えている団塊世代になっていると思います。だから今も、アメリカの占領中の気持ちから抜け出せないでいることが悔しいです。

記者:今も占領中ですか?

山崎:そうなんです。愛国心はどんな国でも大事にします。それが危険思想と言われるのは、今もアメリカの占領中の考えから抜け出せないのです。

記者:今も占領中なんですね、日本は・・・。

死を通して託されたメッセージ

Q6:なぜドクターストップがかかってると言う状況なのに、これだけの想いが溢れて活動されているんでしょうか?

山崎:実は、私が思いついたら何でも実行してしまうので、家内は私が何かを喋ることや、何か新しいことをすることに対して「迷惑をかけるから」と反対するような人だったんです。

しかし、2015年(平成27年)今から4年前に家内が脳梗塞になって、入院してその後5日で亡くなったんです。その家内が脳梗塞になる3日前に、こんなことを言ってきました。

「私と結婚して後悔してない?」「私が賛成しないから、思うことできなかったでしょ?」「お父さん、思うことを言って、やりたいことをやりなさい」と。それが家内の遺言になったのです。

       (写真:4年前に亡くなった奥さんと)

それと、一緒に少年飛行兵を志願した者も、太刀洗陸軍飛行学校で共に学んだ者も、札幌にいた者も皆んなあの世に逝ってしまいました。生き残っているのは私独りです。その亡くなった連中に代わって私に「戦争体験を語れ」と言われているような気がするんです。

人前で語る事が苦手な私も語らざるを得ません。将来の日本の平和と繁栄の為です。憲法9条があっても、アメリカ軍がいても、日本人が自分の国と家族を守るため立ち上がらなければならないのです。

今、考えが違う人も、国を守るという点で同じ気持ちで話し合って共通点を見出したいものです。日本は天皇を中心に心を1つにして助け合い、国を守ってきました。考えが違う人もディスカッションを通じて共通点を見出していきたいものです。

また話が脱線して申し訳ないんですが、今の人たちには理解が大変難しいと思いますが、戦いに負けて生きて帰った罪障感から、終戦後に日本軍人たちが、青酸カリを飲んで自殺したり、自決、割腹自殺などもした人もいました。

生きて帰ってきた罪障感からエネルギーの持っていきようがなく、特攻機に乗り込みどこかに突っ込んで自爆、自殺するというような精神状態の人もいたんです。

「死ぬならば陸で死なないでください。陸で死んだらその処理は衛生班がしなくていけないんです。」と言われた記憶もあります。

それは海に沈み死んだならば、仲間の死体の処理をしなくて済むと言うことなんですね。今の若い人たちには、この感覚は理解するのが難しいと思いますが、戦争で死にたかったけど死にきれなった、その罪障感があったんです。

何十年かすると、生死に対しては正常になってきて、軍歌を歌ったらすぐ泣いてしまうことがありました。家内からも「軍歌を歌ったらすぐ泣くね」とよく言われたもんです。

死んでいった仲間たちのためにも私はどんな事があっても、戦争体験を語らなければならないのです。

(写真:共に日本のために戦った同期生と。右から3番目が山崎さん)

記者:山崎さんと出会ってから本来の日本人のあり方というのを感じて感動し、お話会を共にさせて頂きましたが、改めて日本の未来について深く考えるようになりました。

敵を愛することの美しさ

Q7:第1回目の山崎さんのお話会の時に「敵であるアメリカを恨まない一緒にやっていきたい」という言葉を聞いてすごく感動したんですけど、もう少し詳しく聞かせて頂けますか?

山崎:敵であるアメリカを愛するというのは、最初に言った遠友夜学校で学んだからだと思います。台湾の第八教育飛行機隊で教育を受けている時も、敵と戦う時は全力を尽くすが、敵は憎いという気持ちはなかった。

敵と言えども勇敢に戦う人間に対しては敬意を払うところがあった。

それと心が痛んだのは、朝鮮戦争の時に、釜の飯を一緒にした同期生である朝鮮人の仲間が北と南に分かれて戦争したのが胸を痛めた。戦争というのは、悲しいやね。

このように国というのも政府、政策によって仲間同士が敵になり戦うということも見てきたのでアメリカ人を恨んでも意味がない。

それとアメリカは民主主義の国だから共に一緒に話し合って、共にディスカッションをして、お互いに手を組んで世界平和に向けてやっていきたい。

記者:そうですよね、アメリカ人も同じ人間ですからね。それでは最後に日本の若者に向けてのメッセージをお願いします。

山崎:日本人が日本人らしい生き方をしなければならない。私はそう何年も生きられないので、日本の実情がこれでいいのか?今の日本人の生き方がこれでいいのか?という疑問を持ってディスカッションなどして考えて取り組んでほしい。

そういった疑問を持って「何が正しいか」ということを若者たちに研究してもらいたいですし、日本の良い伝統を見つけてほしい。

日本が一人一人が幸せで、平和で、繁栄してもらいたい。特攻で亡くなった人たちも、自ら命を捧げた。そのことを若い人たちが認識して、これからの日本の生き方をどうしたらいいか?検討してほしいと思っています。

記者:日本の未来を想う気持ちにとても心を打たれました。本日は貴重なお話、ありがとうございました!

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山崎さんが特攻隊の方達を見送るシーンの映像が「ニュース映像 第249号」で見ることができます。


【編集後記】インタビューの記事を担当した中西&岸川&原田です。山崎さんが語る言葉の背景には命をかけて日本を守り戦ってくれた特攻隊の意思を感じました。そして今の日本人が無意識深くに罪障感、自信がない状態に考えが固定されてしまっている危機感も強烈に感じました。生き残った山崎さんが本当に何を一体伝えたいのか?その発信しているメッセージを深く受け止め、日本人がこれから未来に対して「どうあるべきか?」それを考えていきたいと思いました。ありがとうございました。

(写真:2019.5.25 北海道頓宮の「未来の日本を語る会」にて)

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この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。



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コメント3件

貴重なインタビュー記事を大変ありがとうございます。
拝読してとても感動しました。山崎さんの日本に対する深い想いとお考えが伝わってきまして
た。
特に「国民が心を一つにして」と言う部分のニュアンスが分かった気がします。
そうした心が一つになる気持ちが、日本だけでなく、世界、地球レベルで起こることで世界平和や人間を尊重する社会が実現できると感じました。
その鍵が山崎さんが経験された特攻隊の精神やその頃の日本人の純粋性にあるのだと思いました。このお盆休みの時期、そうした精神についてもっと調べてみます。
本当に貴重なお話をありがとうございました。
とてもいい記事でした。
山崎さんが日本だけでなく、国境を越えて物事を捉えていることが伝わりました。
令和元年の8月にステキな記事をありがとうございました!感動しました。
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