女の話が長いと日本が元気になる!
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」五輪組織委員会の森会長の発言が波紋を呼びました。この発言は、日本がいかに女性に対しての視点が遅れている国であるかを、明らかにしてしまいました。
さて、本当に女の話は長いのでしょうか。長いとすればその理由はなんでしょうか。
私は、女性の話は長い、女性はよくしゃべる、とプライベートでも仕事の場でも実感として感じています。もちろん、私自身も(笑)そしてこれまでも「気を付けるべきこと」として皆さんにもお伝えしてきました。
例えば、研修やセミナーを行った場合、女性は、とにかくディスカッションの時間を設けないと満足度が上がりません。自分が話す機会がないと満足しません。一方、男性はインプットが多くないと満足しません。女性は、自分が感じたことや考えていることを共有することで、自分の考えをまとめたりアイデアを得ることが出来るようです。雑談を多くすることで、関係性も良くなるし、発見も得られると考える傾向が女性の多くにみられます。
では、会社の会議で発言や発言することが苦手な人が多いのはなぜでしょう。それは、いつも少数派だからです。女性に限らず、誰であっても少数派になれば発言は控えるし、どういうカテゴリーであれ、多数派がいれば少数派は遠慮します。
「女性がたくさん入っている理事会」だから女性はたくさん発言が出来たのです。
「クリティカルマス」という言葉を紹介します。
ある組織において少数派が一定の数に達した結果、その人達がもはや少数派であるが故の居心地の悪さを感じなくなること。
少数派であると「女性だから」というステレオタイプに自分自身をあてはめて「女性だからリーダーシップがないと思われたらどうしよう」だとか「女性だから控え目にしておこう」などというバイアスに自分自身が囚われて、本来の能力を発揮できなくなるそうです。
だから人数が増えることが大切。
企業の風土にもよりますが、これまでの日本の組織の特徴として、個人ではなく組織の一体感が重視されます。データや事実よりも人間関係が重視され、先輩後輩という意識も日本に特有です。
日本の多数決は多数決ではないと言われています。本当はNOであっても、身内意識で誰か声の大きい人がいるとその人に同調してしまい、物事はいつの間にか決定する傾向があるのです。
男性はそのことを心得ていて自分の損得を考えて空気を読みます。つまり「わきまえる」のです。
残念ながらそこに参加して来なかった女性の多くは、そのことに気づいていないので、多数派になると堂々と「わきまえない」ようになるのです。
以前、フランスの会社に勤めていたころのこと。フランスで行われた一日中、時間ごとに様々なセッションがある会議で、時間が大幅に過ぎてもディスカッションが終わらなかったことがありました。
次のスピーカーが会場に来て待っているのに、終わらない。日本人の私はひやひやしてしまいました。すると次のスピーカーが「いいディスカッションしているのだから気にしないで続けてください」と言って帰ってしまいました。
誰も言いたいことがあるうちは、他人のことや時間などわきまえる気配がありません。
私は同行した上司に「こんな進行でいいんですか」と尋ねると、思う存分話して、皆でいい結論に達することが大切だから、それでいいのだというのです。
考えれば皆が発言するのは民主主義の原則であり義務です。
女性の意見は女性だけではなく、皆にとって価値があります。だって世界の人間の半分は女性なのですから。
女性に限らず、ダイバーシティ社会を目指すのであれば、誰もがバリアを超えて納得するまで話をする環境は必須です。
これを機に「わきまえない女」が増えて、会議の場で女性が発言するようになると停滞している日本が上向きになっていくような気がします。
案外、喜んでいるのは「わきまえる」ことを求められてきた男性かも知れません。
誰もが自分の意見が重い責任を持つことを意識して、発言力を磨いていきましょう。
参考図書:
「ステレオタイプの科学」クロード・スティール著 英治出版
「タテ社会と現代日本」中根千枝著 講談社現代新書
(YK)
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