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思い出がある場所

めあての三つの神社をめぐったあとはぷらぷら歩いて遅い昼ごはんにしようってことになった。
遅い朝ごはんを参道で食べたのでそれほど腹ペコってわけじゃないけど。

あのイチョウのむこうはボンドの小西さんの家らしい。妻はなぜかそういうことを知っていた。

NOKTON 23mm F1.2 と X-E4 の組み合わせは首から下げて歩いていてもまったく苦にならない。
町を歩く時はこれだなあ。27mmもきっといいんだろう。

定食がどれも850円という店があったので入った。
参道でいただいたよもぎうどんと同じ値段だ。

福えびすって店の名もよかった。神頼みのためにやってきた今日の大阪にはうってつけだった。

食事のあと、すぐそばが適塾だったので、入ってみた。ここもはじめて。

自分の治る力をのぞけば、病気を治すのは神様ではなくお医者様であることはたぶん間違いない。

日本の医学の発展に大きな大きな功績を遺した緒方洪庵先生がつくった適塾。

白い巨塔の礎を築いた方、ともいえるのかな。

大阪大学医学部のはじまりが適塾だったわけなのよねえ。

偉い人のおかげで今がある。

オレたちも偉人の功績の恩恵を頂戴しているのよ。

今ではスマホがあればどこでも調べられることをここで時間をかけて調べておられた塾生のみなさんには頭が下がるばかり。

柱に当時からの跡がきっと残っている。歴史の重みを感じる。

こういう空間はほんとうに心が鎮まる。木造建築の柱や梁、塗り壁、建具、そして畳。
冬は寒いだろうけど、ステキな空間だ。

屋根の瓦や中庭の石畳もたまりません。

日本家屋ってやっぱりすばらしい。

文化遺産ですねえ。

おっとすぐ近くにこんな床屋も。

ステキすぎます。

そして中之島公会堂。

少しだけ思い出がある場所。

卒業式がここであったなあ。あの時とは少々変わったとはいえ、何となく記憶に残っている。

30年くらい前のことを思い出そうとして、何となくしか蘇らない記憶だけど、ここだったなあってことだけでも覚えてたらいいだろう。
探せば写真は出てくるかもしれない。

中之島にはバラが咲いている。

誘引作業をされている方がいた。

バラ園があったのね。

そういえばゆーとびさんの動画で見たことあるぞ。

YouTubeで拝見したことがある風景も、訪れてリアルで眺めるといいもんだわ。

ここらのアングルだったかも。

この時期でもこんなに咲いてるなんてね。

得した気分。

久しぶりにやって来た大阪では、あちらこちらにうれしい発見があった。

大阪ってこんなにいいところだったのね。

学生時代の思い出がある町。妻と知り合ったのも大阪の大学だからなあ。

遅ればせながら、再び大阪を楽しめたらいいなと思う。

淀屋橋からなら梅田まで歩けるぞってことで歩く。

お初天神通りとか、懐かしいなあ。

そして阪神百貨店が見えた。

あの頃は阪神百貨店より阪急百貨店だったなあ。ウインドウショッピングだけだったけど。

歩道橋ですべてつながってて、とても便利になってから初めてかもしれない。
ほんと、時計が止まってるわ。

しかしほんとに万博は盛り上がるんだろうか。

1970年の万博の年に生まれた身としては、万博という言葉だけが耳に残り過ぎてて不思議な気がする。

先日万博公園に行って太陽の塔の内部を見学してきたけれど、今更感動した。

当時の映像なんか見ても、いかにあの万博がすごいイベントだったかを思い知る。

55年の月日を経て、再び大阪で万博が開催されようとしてる。成功してもらいたい気持ちはある。どうなるかわからんけど。

妻がどうしても見に行きたいってことで行ってみた BIG MAN。まだあった。
あの頃は待ち合わせといえばここだった。

そして阪急百貨店のショーウィンドウ。

大阪にはじめて出てきた若者は度肝を抜かれたんだった。
都会だなあって思った。

ほんの少し当時の名残りを見つけて楽しんだひととき。

あの頃はなかったヨドバシカメラはこんな風に見えるのね。

阪神百貨店といえば地下ってイメージだったなあ。

まさか阪神と阪急が一緒になるなんてね。

青春時代を思い出すってのも、年を取った証拠だな。

あの少年は、ここからの風景を30年くらい経ってどんなことを思いながら再び眺めるんだろうね。

電車に乗って、帰る。
快足に乗ってしまえば1時間かからない。

おかげで夕日にギリギリ間に合った。

都会の景色もいいけれど、こっちの景色もいい。

我が町はいいですよ。

思い出があれやこれやと出てくるもすべてぼんやりそして美化され

VOIGTLANDER NOKTON 23mm F1.2 / FUJIFILM X-E4

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