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あきらめなければ

土曜の朝も暗い中散歩してきて、明るくなってきてから庭をちょっとだけ撮った。4日連続の NIKKOR Z 50mm F1.8S と Z6 。

初日は雨上がりだったので、ええやんええやんと鼻息荒くなりながら撮ってた。

わずかな時間だけど、撮ってて楽しかったなあ。

それで味を占めて、このレンズで朝の庭を撮っている。

4日目となると、手詰まり感が出てくる。葉っぱばっかり撮ってるわけだからねえ。でも、何か撮れるんちゃうかなってあきらめずに撮ってみてる。

探してみると、限られた庭のスペースでも何かしら撮れるもんである。
毎朝同じような写真ばっかりなのは否めないけれど。
まあ日課というのはそういうもんである。

毎朝同じ時間に同じ体操をするもんだから。同じ動きでいいわけ。ラジオ体操第一の動きでも、日によってうまく体を回せる日もあれば、腰が痛くていまいちな朝もある。

定点観測のような写真だって被写体が日々変化するから同じように撮ろうとしても撮れない。そもそも記録としての意味もある。

日々継続するってのをやってると、あきらめずにやってみようということが体にしみついてくるのかもしれない。

継続は根気を育てるに違いない。

今日もいくつかあきらめそうになった場面があった。仕事しててもちょこちょこあるのよね。こりゃあ無理かなあって思うこと。
オレの手には負えない、というのがある。

あきらめがつくこととあきらめたくないことがあって、自分としてあきらめられないな、と思うと、悪あがきすることになる。
あきらめそうになっても、別の手はないかと一か八かやってみる。

スペイン戦の三苫選手のようにはいかんけれども、あきらめずに精一杯やれば、あきらめそうになったことでも、何とかなることがある。

どう考えてもあきらめるべきときもあって、そういう時はとっととあきらめるんだけど、あきらめたくないことに対しては、しつこくいっとくべきだと思う。

50過ぎたオッサンだけれど、仕事でもやったことないことは多くて、今日もダメもとでチャレンジしてみた。それで何とかなったら、一つオプションが
増えるしね。

結果はまだよくわからんけれど、意外といけるかも、という手ごたえがあった。やっぱりやってみないとわからん。

あきらめないって、大事だわ。時と場合を選ぶけれど。

しかしあきらめたくないけれどあきらめざるを得ないことはある。
そんなことばっかりやなねんなあ、実のところは。

しゃあないなあってことばっかり。そういのがあまりに続くとさすがに心が折れそうになる。
でも、折れないように、かわせる柳になる努力をする。

あきらめない柳になれたら最強だ。うちの庭には柳はないからシマトネリコだな。
シマトネリコも弾力があって風にゆれるけれども折れない。
シマトネリコは根がすごく張る。繁殖力半端なくて増えすぎて手に負えなくなって困る植物とも言われている。それだけ生命力が強い。

あきらめそうになること、折れそうになることが続いた土曜日ではあったけれども、あきらめなかったことが結果に結びつくかもしれない土曜日でもあった。

こういう日に思うのは、まずは地味なことを地道にやり続けるに限るのかな、ということでありました。

揺れながらあの手この手であきらめぬ意外な活路見つかるかもよ

NIKKOR Z 50mm F1.8S / Nikon Z6



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