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AI時代には考えることが娯楽になる

 産業革命以降、機械化が進んで、人々が肉体労働から解放されて、体を動かすことが娯楽になりました。そこに次の時代の価値観であるところの競争が組み込まれて、スポーツが生まれました。
 さて、AIが普及すれば、今度は人は頭脳労働から解放されます。もちろん考える仕事がゼロになることはないでしょうけれど、今より大きく減ることは間違い無さそうです。
 それと連動して減るもの、それは話し合うことです。これまでの頭脳労働社会では話し合って決めることが仕事をする上で大きな割合を占めていましたが、これからの社会ではこれもまた減るでしょう。AIが決めてくれるからです。あるいはAIを使えば少人数で決められるからです。
 では、そのときに人が考える(話し合うことを含む)のを止めるかというと、そうはならないでしょう。むしろこれまで以上に人は積極的に考えるだろうと、考えることが娯楽になるだろうと私は思うのです。

 ところで、肉体労働から解放された人が運動を始めるにあたって、新たに組み込まれたものがあります。「競争」です。次の時代(つまり今の頭脳労働社会)の価値観です。そこからスポーツが生まれました。
 同じように、AI時代には考えることが娯楽になって、そこにAI時代の価値観が組み込まれて、新しく何かが生まれるでしょう。
 では、AI時代の価値観とは何なのか? それは、端的に言うと「失敗」、具体的に言うと「直観→試行錯誤→軌道修正→ … 」のループ、私はそのようにイメージしています。
 と言うのは、実はこれはAIが学習する過程そのものでもあります。「初めは精度が低くて、データを集めながら、どんどん精度を上げていく」のですから。
 さらに、AI関連企業がやってることも同じです。「完成品を世に出す」というより「未完成のまま世に出して、みんなに使ってもらいながら、より良い製品に磨いていく」のですから。
 どちらも最初の一歩は「失敗作」みたいなものです。そう、それが大事。それ無くしては何も始まらない。

 別の観点から考察を続けましょう。AIが膨大なデータから取り出したものは「明確なロジック」だけじゃありません。もっと大きなものは「曖昧な立ち振る舞い」です。言い換えると、AIがもたらしたものは「顕在意識の要約」よりも、むしろ「潜在意識の具現化」です。さらに言うなら、AIの凄さは「論理」よりも「感性」にあるのです。
 では、今の「頭脳」に変わる、次の時代に求められる素養は何か? AI時代に人は何を元手に働くのか?
 私は「直観」だろうと思うのです。直観は、何かの拍子にポッと出てきた自分の潜在意識の一部です。自分の潜在意識に通じる扉です。
 私たちの意識のうち、顕在意識はほんのわずか、大部分は潜在意識(無意識)です。直観を「無意識領域の膨大な情報に基づいて、瞬時に働いた総合的判断」だと捉えれば、その働きはAIに比肩しうるものです。
 直観で動くというのは、衝動的に動くのとは違います。まっしぐらに突き進むのとも違います。常にアンテナを立て、内なる声を聴きながら、他人と共鳴しながら、軌道修正しながら進む。そういう動き方・働き方です。

 考えることにそれを組み込んで、何が生まれるのか? それは今は分かりませんが、直観に従ってあれこれ試行錯誤してみて、失敗しながら軌道修正しながら続けるうちにきっと何かが見えてくるでしょう。
 私にとって、ヒントは お笑い哲学対話 にあります。どちらも失敗・試行錯誤しながら、考えること(+話し合うこと)を楽しむ営みの一例です。

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