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人はなぜデジタル機器を四六時中使っていられるのか?

(2014.6.27)

 車や飛行機は、人の「足」の代わりである。その目的は移動することであって、それを使えば時間を節約できる。
 洗濯機や掃除機は、人の「手」の代わりである。その目的はきれいにすることであって、それを使えば楽できる。
 さて、テレビやスマホ、ゲーム機やコンピュータは何の代わりなんだろう? それを使う目的は何なのだろう?

 車や飛行機あるいは洗濯機や掃除機は、運転手やクリーニング屋でなければ、四六時中使うものではない。長時間使い続けなければならないときがあるとすれば、それはなかなか辛いものだろう。むしろそうならないように、それらの機械がある。だからそれを使う時間は短ければ短いほどいい。
 ところが、テレビ・スマホ・ゲーム機・コンピュータなどのデジタル機器は四六時中使っていられるのである。ボーっとテレビを見たりかじりついて見たり、なんとなくスマホをいじったり誰かと連絡を取り合ったり。暇つぶしでゲームしたり人と対戦したり、転々とネットサイトを眺めたりパソコンで何かを作ったり。
 それらを使う目的は、娯楽であったり、暇つぶしであったり、意思疎通であったり、創造であったりするのだろう。いずれにせよ、何かを節約することが目的なのではない。むしろ人は好んでそこに時間と労力を注ぐ。それを使うことがその人にとって有意義なのだろう。そうでなければ、四六時中使ったりはしない。

 人はなぜ四六時中デジタル機器を使っていられるのか? 答えは、使うことそのものが目的だからである。なぜ使うことが目的になり得るのか? 答えは、デジタル機器が人の「脳」の代わりになっているからである。娯楽・暇つぶし・意思疎通・創造など脳の働きを代用するのがデジタル機器なのである。
 ボタン1つで、あるいはタッチするだけでいろんなことを実現できて、ブラックボックスの中で何が起きているのかを意識する必要はない。これまで脳で処理していた作業手順をブラックボックスが代用しているのだから、これも脳の代わりと言える。デジタル機器はより複雑な処理を実現しながら、同時に脳の負担がより少なくなる方向にさらに進化するだろう。
 すなわち、デジタル機器は脳の一部として機能しているのである。それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。たぶん両方なのだろう。いずれにせよ、だから人は四六時中デジタル機器を使っていられるのである。

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