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論理には4種類ある

 「論理」あるいは「論理的」という言葉は実は非常にあいまいな言葉であって、現実にはいろんな意味合いで使われます。たとえば、「数学の論理」は万人が正しいと認めるものですが、「論理的な説明」というときの論理は万人が正しいと認めるとは限りません。数学においては 99 %正しくても例外が1つでもあれば「偽」と判定されますが、一般の議論においてはそうではありません。というより、一般の議論においては、万人が正しいと認めるものなら、最初から議論の対象になりません。
 そこで、ここでは「論理」を4つに分けて考えることにします。

   (1) 記号論理(命題論理)
   (2) 数学の論理
   (3) 科学の論理
   (4) 議論の論理

 (1) の「記号論理」は論理学の分類では「演繹(えんえき)」と呼ばれるもので、たとえば三段論法がこれに含まれます。「PならばQである。Pである。よって、Qである」のようなものです。この論理は古代ギリシャのアリストテレスの時代にほぼ完成したもので、「古典論理」を呼ばれることもあります。古くからあるものですが、だからといって時代遅れになっているわけではありません。それどころか、現代社会において大きな力を発揮しています。どこで発揮しているかというと、コンピュータの世界です。コンピュータはまさに論理的に動いているのですが、そこで使われている論理は古代ギリシャのそれと同じものです。その意味で、(1)記号論理は、いわば「機械的な論理」と言ってもいいでしょう。そして、この論理は確実に100%正しいものです。

 (2) の「数学の論理」は (1) の記号論理も使いますが、それ以前に数という(なんだか得体の知れない)ものがあり、そしてそれについて考える際に人の捉え方や感性やアイデアも実はふんだんに盛り込まれています。その意味では、(1) を「機械的な論理」と表現したのに対して、(2) は意外にも「人間的な論理」と呼んでもいいような面を多分に備えています(と私は思っています)。そして、みんなが正しいと認めたもの(現実には、数学者の集団が正しいと認めたもの)が、「定理」と呼ばれます。その意味で、数学の論理も100%正しいと言えます。なお、数学の体系が (1) の記号論理で表せないことは、すでに数学的に証明済みです(ゲーデルの「不完全性定理」)。

 (3) の「科学の論理」は数学の論理と同じようなものだと思うかもしれませんが、むしろ正反対です。科学で使われる論理は、論理学の分類でいえば「帰納(きのう)」と呼ばれるものです。帰納とは「反例が見つかっていないから、また他のことと矛盾しないから、とりあえず正しいものと見なそう」ということであって、いわば「経験的な論理」と言ってもよいでしょう。そして、ということは、科学において100%正しいということは原理的にあり得ないことなのです。たとえば「なぜ物と物は引き合うのか?」(万有引力の法則)という問いに対する科学からの答えは「互いに引き合わない物を見たことが無いから」ということであって、将来もし仮に互いに引き合わない物が見つかったときには「万有引力の法則」は却下されます。そんな可能性はどこまでいっても残ります。これが「科学の論理」です。

 (4) の「議論の論理」は (1) とも (2) とも (3) とも異なります。それが使われるのは、自分で考えるとき、他人に説明するとき、議論するときです。いうなれば「普段使いの論理」です。ところで、この論理は100%の正しさを保証するものではありません。けれども、(1) や (2) や (3) に比べて劣っているというわけではありません。というより、この論理はそもそも100%の正しさを求めてなんかいないのです。目的が違うのです。誤解を恐れずに言えば、ここで求めているものは「正しさ」ではなくて、「説得力」です。そのために「根拠・理由」を挙げる。これが「議論の論理」です。こうして他人の理解・支持・共感を得ることが、この論理の目的です。また、自分でいろんな可能性を検討する際にも、納得する際にも、この論理は使われます。

 同じ「論理」という言葉を使っても、意味合いはこんなにも違うのです。「論理的な考え方」と言ったり、「間違った論理」と言ったりしますが、その「論理」の意味が (1) なのか (2) なのか (3) なのか (4) なのかによって、文脈がまるで違ってきます。たとえば、世の中のほとんどの言論は (4) を基盤にしていますが、これを (1) の立場でみると「100%正しい」とは言えない、すなわち「偽」ということになってしまいます。あるいは、「PはPである」という文は (1) の文脈では「正しい」ですが、(4) の文脈では「無意味だ」ということになるでしょう。
 さて、この4つの論理は、互いに重複して使われますし、もちろんどれも必要です。その違いをきちんと認識して、うまく使い分けたい。学校でもバランスよく学びたい。ところが、残念ながら、現実にはそうなっているとは言えないように思います。というのは、(2)「数学の論理」と (3)「科学の論理」はそれぞれ数学と理科の授業で扱っていますが、(1)「記号論理」と (4)「議論の論理」は学校ではほとんど扱われていないからです。そこで、情報科の出番です。どちらも情報科で扱うのにうってつけなのです。

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論理と一言でいうけれど 〜  
▷ 論理には4種類ある             
▷ 数学的正しさで物事を解決しようとする人   
▷ 数学を勉強すると論理的思考力が身につくのか?

〜 論理的正しさの化けの皮 〜 
▷ 論理には4種類ある   
▷ パラドックスのからくり 
▷ 正しい議論は無意味である

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