説明しない人々
ふと疑問に思ったことを「なぜ? どうして?」と聞くと、しばしば「面倒くさい人」と思われます。
この現象、日本独特のような気がするのですが、いかがでしょうか。
レストランのおすすめメニュー
非常に個人的な体験談です。娘と一緒に近くのファミレスに行ったときのこと。
お奨めするには何らかの理由があるはずなのです。お奨めするときはその理由を添えるべきだと思うのです。
ところで、私がこの話を友人にしたら、友人はこう言いました。「いやな客だなぁ」と。そしてまた「お前、クレーマーと思われたんじゃないか?」と。でも私は一切クレームをつけてませんよね。私は、当然添えられているはずのものが添えられていなかったから、尋ねただけです。そして店員さんは、それでも理由を言いませんでした。
おまわりさんと三文判
もう1つ別の体験談です。今度はお巡りさんとのやりとりです。
お巡りさんは車のナンバーを控えて、私の免許証を見て、さらに目の前で私がサインしたのです。あの場面でハンコが要るとは私には思えなかったのです。そしてまた、どうしてハンコの代わりに指紋採取なのか? これがまた謎なのです。
助手席にいた妻が言いました。「ゴネてないで、さっさと指で押せばいいじゃない。ゴネると後で面倒なことになるわよ」と。でも、私はゴネてなんかいませんよね。私は、自分が交通違反したことをちゃんと認めています。私はお巡りさんに質問しただけです。でもお巡りさんは、答えてくれませんでした。
身元引受人はつまり何を引き受けるのか?
入院なんかしたいわけがないが、しなければならないときもあります。数年前にそんな経験をしました。スキー部の引率で骨折して足に金具を埋め込んで、ほぼ1年後にそれを取り除くために再入院したわけです。嫌だけど仕方がない。
入院する前に入院の手続きをしました。書類に「身元引受人」と「連帯保証人」の欄があって、別々の人物の署名・捺印が要るという。病院の担当者に聞いてみました。
誰かに署名・捺印してもらうためには僕は何らかの説明をするべきだと思うのですが、「いちおう、念のため」で説明になるのでしょうか? そう言えば人は署名・捺印してくれるものなのでしょうか?
入院するのは嫌だから、せめてこんなやり取りでも楽しみたいなと思いつつ、とことん詰める場面でもないと思って、こちらから1つずつ質問して、答えになっていないような答えを引き出したところで引き下がりました。
なにはともあれ退院しました。めでたしめでたし。
くれぐれも誤解の無いように言っておきますが、ファミレスの店員さんの件も、交通取り締まりのお巡りさんの件も、病院での入院手続きの件も、話を振ってきたのは私ではなくて、相手側です。私はそれを受けて、返しただけです。適正な応答だと私は思っています。
この体験談から私が何を言いたいかというと、「説明するのは難しい、理由を挙げるのは難しい、議論するのは難しい」ということです。ファミレスの店員さんやお巡りさん、病院の担当者だけが問題なんじゃありません。私のことを「いやな客だ」といい、「クレーマーだ」といい、「ゴネてる」というその感覚、まぁ一般的な感覚だと思いますが、要するに説明もせずに理由も挙げない彼らの行為をみんなが許容しているということなんでしょう。
さて、私は今、議論の仕方を考えています。SNS上でも「意見・主張には根拠・理由を挙げろ」ということを何度となく書いています。それだけを言うと、みなさんは「当たり前のことだ、簡単なことだ」と思うでしょう。でも、全然そうじゃないんです。 そのことをまずみなさんにご納得いただきたいのです。
◇ ◇ ◇
〜 議論の論理 〜
▷ そもそも議論とは何なのか?
▷ ものの考え方いろいろ
▷ マリモ型の思考
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?