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カンボジアが好き!

 私が初めてカンボジアに行ったのは92年8月。当時6歳の息子と。翌9月に日本の国連PKO(Peacekeeping Operations:平和維持活動)がカンボジアに派遣された、その直前にあたる。
 次にカンボジアを訪れたのはその17年後、2009年春。両親と妻と当時6歳の娘と一緒に。政治情勢は安定して、普通に観光できた。


初カンボジア(1992年夏)

 私が初めてカンボジアに行ったのは92年8月。翌9月に日本のPKOがカンボジアに派遣された、その直前にあたる。まだデジタル・カメラが一般化していない頃だ。
 バンコクから飛行機でプノンペンに入り、プノンペンから再び飛行機に乗ってシェムリアップに入った。陸路で行くことはほぼ不可能で、バンコクとプノンペンでそれぞれ飛行機の手配をしたので、時間もかかった。
 目的地はアンコールワット。シェムリアップの町で民泊のような形で宿をとり、バイクを借りて動き回った。当時のカンボジアにはバイクの免許制度なんてものは無くて、ヘルメットも不要で、誰でも勝手に乗れた。ガソリンは、酒のビンやペットボトルに入れて、道路脇で量り売りされていた。
 遺跡の修復も始まってなかったので、遺跡によじ登っても誰もとがめる人がいなかった。地面には崩壊した建造物が転がり、草木が生い茂っていたので、遺跡の上を歩いた方がむしろ楽だった。
 あるとき、思い立って、トンレサップ湖に向かってみた。息子とバイクで2人乗りをして。船をつかまえて、「少し案内してくれ」と言ってみたら、快くOKしてくれた。5ドル支払った。湖にはボートハウスに住んでいる人々がいて、思いがけない発見をした。

トンレサップ湖のボートハウス

 カンボジアのトンレサップ湖は、乾季には下流のメコン川に向かって流れますが、雨季にはメコン川が増水して湖に向かって水が逆流します。そうして湖は乾季の3倍の大きさに広がるそうです。
 その季節に飛行機から見ると、森が水没しているのが見えます。シェムリアップの町からトンレサップ湖に向かってバイクを走らせ、その時点での船着場に行き着き、漁船と交渉して、水没したエリアを散策しました。
 湖にはボートハウス(水位にあわせて上下する家)の村がありました。ナンプラー(魚から作る醤油)を作っているところなど見せてもらいました。

ゆでたまご

 メコン川のほとり、プノンペンの王宮前広場にゆでたまご屋がありました。「孵化しかけのたまご」 をゆでたもので、スプーンでほじくって食べます。ちょっと試しに、と思って1個買ってみたら、息子が全部食べちゃって「おかわり!」。2個買い足して、ボクも食べてみました。こりこりモサモサぐにゃぐにゃと、いかにもたまごとひなの中間ってお味です。
・・・気がつくと、二人で2×3=6個、食べちゃいました。

牛追い少年の3点セット

 アンコール遺跡あたりをバイクで走っていたとき、牛を追う少年たちに出会いました。葉っぱで編んだ帽子と、草を切り払う刀と、パチンコが彼らの3点セットです。

茂りほーだい

 アンコール遺跡群のひとつ。ボクが行ったときは、ほとんど何の管理もしてなくて、茂りほーだい、登りほーだい・・・。

アンコール・トム

 アンコール・ワットの北に広がるアンコール・トムは、周囲を塀で囲まれ、ゲートには立派な門があります。ちょっとごっつい顔ですが、これも「クメールの微笑」の一つのバリエーションなんでしょう。

天女

アンコールワットの壁に彫られた天女の像。

再びカンボジアへ(2009年春)

 次にカンボジアを訪れたのはその17年後、2009年春。

Hotel de la Paix

 アンコールワット観光の拠点の町シェムリアップにある Hotel de la Paix (ドゥラペ)。新しい大規模ホテルが町の郊外にどんどんできているが、ここはダウンタウンにある割りと小さなホテル。ずいぶん前からあるホテルだが、「良いホテルってのは古くならないな」 と思わせる。

シェムリアップの人々

お坊さん と お嫁さん と 完熟マンゴー と お葬式 。

アンコール遺跡群

 タクシーをチャーターして、1日 US$30~50 程度。以前はレンタルバイクで回れた。自由に見て回れる感じが良かったが、今は外国人はバイク禁止。

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