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人工知能の作り方

 私がかつて人工知能について考えて書いた記事です。2013年2月から2018年2月まで7編あります。今読んでも「けっこう的を射ている」と我ながら思います。

人工知能の作り方(その1)    (2013年2月)

 「こういう入力があったときは、このように出力する」、こんなコードを膨大に書き込んでも人工知能は出来ない。新しいものを生まないからである。書き込んだコードから一歩も外へ出られないからである。自ら進化しないからである。これではロボットにはなっても、人工知能にはならない。
 では、どうすれば人工知能が作れるのか? 人の発言を統計的に処理すればきっと出来る。ネット上に膨大にあるみんなの発言の最大公約数的な発言を続ければ、自ら進化する人工知能にたぶんなる。
 人工知能X氏に、まずネット上で書き込みをさせる。最初はなんでもいい。それに対して人工知能Y氏が、世界中のみんなの書き込みを統計的に処理して、しかるべくコメントする。X氏の発言と似たような発言はネット上にたくさんあるので、それに対する他の人の反応を真似ればよい。
 そうするとX氏も同様に、Y氏のコメントと似たようなコメントに対する反応を調べて、同じように反応する。そうこうするうちに、X氏とY氏のやり取りに他の人も話に加わってくるだろう。誰が絡んできても、X氏とY氏のやり方は同じである。ネット上に膨大にあるみんなの発言を真似るだけである。
 発言を真似ることは、考え方を真似ることである。 結局はそういうことだ、たぶん。実際に人が考えるとき、他人の発言を真似ることでそれをやっているのだ、きっと。そのように見れば、X氏とY氏は、人が考えてネット上で発言するのとなんら変わらないことになる。
 こういうことを可能にするのに十分な量の情報がネット上にはある。X氏とY氏は冗談も言えるし、相手を笑わせることも、怒らせることもできる。これこれこういう発言をした後にはどういう発言が続くか、というのも統計をとれば予測できる、おそらく。こうして、ネット上でみんながやっていることはX氏もY氏も何でも出来ることになる。そして、その統計には新しい情報が増えるから、X氏とY氏はちゃっかり進化するのである。
 そしてまた、その新しい情報のうちのいくつかはX氏とY氏によるものだから、X氏とY氏は自ら進化していることになる。こうして人工知能が作られる ・・・ かも。

人工知能の作り方(その2)    (2016年5月)

 そこにセンサーと駆動装置をつなげば、人工知能搭載ロボットが出来上がる。お手伝いさんロボット、介護ロボット、先生ロボットなど。当然ネットとつながっている。ロボットの台数が増えれば、他のロボットの経験も蓄積されて、次第に精度が上がってゆく。
 ところで、その頃には人も今以上にネットにつながっている。子供一人一人の効果的な学習法を提供するために言葉と行動をモニターしたり、健康管理のために運動量や内臓の働きを監視したり、徘徊しそうな老人にGPSをつけたり。そうしなければ適切な学びが保証されず、保険にも入れず、家族の負担が増えるので、こうしてみんなが進んで自分と家族のデータをネット上に絶えずアップするようになる。現代人がネットから情報を得ることなしには暮らせないように、10年後の人はネットにデータをアップし続けなければ暮らせないようになるだろう。
 人工知能は、人がアップするデータと人工知能がアップするデータの両方にアクセスして、瞬時に検索して統計処理して判断して行動する。ここに至って、人の出る幕はもとより無くなる。処理できるデータ量においても、処理速度においても、太刀打ちできないからである。
 この光景は悲観的なものでは、おそらくない。車や電車が発達した結果、現代人がみんな寝たきりになったかというと、そうはならなかった。行動範囲が広がって、むしろアクティブに動いている。人工知能が活躍するのは、きっともうすぐだ。準備は整いつつある。

 僕が想定している人工知能の使い方を1つ紹介しよう。ネット書き込みの件に戻るが、僕が人工知能に指示を与える。「僕が1週間ネット投稿しなかったら、僕が戻るまで、代わりに投稿しておいてくれ」と。人工知能は僕の投稿を真似して、うまくやってくれるだろう。その時点でもし僕が死んでいたとしても、そのことを誰にも気づかれないままに、ずっとずぅーといつまでもネット上に居続ける。そんなことが出来る時代が、もう間もなくやってくる。
 これがビッグデータの正しい使い方。

自動運転がもたらす未来      (2016年5月)

 スマホに向かって「買い物に行きたいわ」と言えば、どこからともなく無人の車がやってくる。買い物が終わって「終わったわよ」と言えば、先ほどとは違う車がやってくる。
 朝、スマホに向かって「やばい、学校に遅刻しちゃう」と言えばやっぱり車がやってきて、乗り込んだ車の中で「急いで!」と言えば、大抵はなんとか間に合わせてくれる。
 道を走っている車の多くが自動運転になれば、人が運転する車はだいぶ自由になる。多少手荒な運転をしても、他の車が事故を避けてくれるので、スピードを出しても大丈夫、信号無視もへっちゃら。歩行者にだけは注意しないわけにはいかないが、他の車のことはほとんど見ていなくても問題なし。
 そのうち「人が公道で車を運転するのは禁止」という法律ができるだろう。危険だからだ。自動で安全に運転できるのに、危険を冒して人が運転するのは社会的に認められないという道理だ。そうでもしなければ、交通事故は無くならない。
 そしてそうなると、人が運転できるのはサーキット場だけということになる。この時点でサーキット場ビジネスが大流行り。車を運転したい人たちが殺到する。
 ところがそうなると、公道での交通事故が減る代わりに、サーキット場での事故が増えることになる。こうして今度は「サーキット場での運転には事故回避のための安全装置をつける」ことが義務化される。そしてこうなると、全く面白くない。サーキット場でできることは、アクセルを踏むことだけになるからだ。こうして、一時期栄えたサーキット場があっという間に寂れる。

 「昔はね、家族でドライブに行ったものよ」。じいさん・ばあさんが孫に語りかける。「どうやって?」。「アクセル踏んで、ハンドル回して、ブレーキ踏んで…」。「えっ? アクセルってなに? ハンドルってなに? ブレーキ???」。こんな会話がなされる未来はそう遠くない。
 その頃には博物館に「人が運転していた時代の車」なるものが展示されているかもしれない。「うわぁ、これに乗ってみたい!」。子供がそう言っても、人が運転できる場所はどこにもない。

学校に人工知能がやってきたら   (2016年7月)

ロボットは端末で、人工知能はインターネットにつながったサーバーの中にある。

 これが近未来の姿だろう。近未来というのは、5年後か10年後か20年後かはわからないが、いずれにしても今生きている多くの人が経験する未来である。
 人型ロボット・猫型ロボットのように単体で完結する人工知能ができるのは当分先のことだろう。さしあたって、単体の人工知能ではできることが限られる。ところで、単体で高性能の人工知能が出来たら、それは人類の危機を意味するのかもしれないな、と思う。
 それよりも、ロボットはインターネットを介してサーバーにつながった端末で、サーバーに人工知能が組み込まれることを想定した方が現実的だろう。その形ならば、実現するのはそう遠い未来のことではないだろう。5年後には運用されているんじゃないかな。10年後には私たちは、それ無しでは不自由を感じるようなような生活を送っているかもしれない。

 さて、学校に人工知能がやってきたら、どうなるか? そんな未来を思い描いてみよう。
 その前に、現状認識から。現在でもインターネット上にはたくさんの学習教材がある。無料のもの有料のものいろいろあるが、ここでは小学校から大学受験までをカバーしていて、月額980円で利用できる学習サービスを取り上げる。
 このサービスの良いところは、受講者一人ひとりのレベルに合わせて問題が出されるところ。わからないところ、苦手なところはそのレベルに合わせて、そこを簡単にクリアした人にはさらに発展的なレベルの問題へと進んでいく。大勢の子供たちが一緒に学ぶこれまでの学校では、なかなか展開できないやり方である。
 すでにこのサービスを学校で採用しているところもある。子供たちは授業中スマホやタブレットを使って、イヤホンをつけて各自が自分のペースで勉強している。先生は何をしているかといえば、教室を回って、子供たちの質問に答えている。そのネット教材には質問に答える機能はないので、その役割を先生がしているというわけだ。
 このやり方はなかなか合理的で効率的だ。これまでの一斉授業と比較してみよう。一斉授業では、すでに十分わかっている人にも、まだよくわかっていない人にも同じ説明をして、同じ課題を与えることになる。授業時間の多くがそれに費やされて、子供たちが質問するのは放課後だったり、もしくは質問せずに終わることになりがちだ。
 これに対して、そのネット教材では、子供たちは自分のレベルに合わせて自分のペースで勉強して、個々人のわからない点・疑問点を個別に先生が答える。基本的な説明はネットを介して機械が説明するのだから、先生は質問に答えることに専念できて、しかもそこまでを授業中にできるのだ。
 つまり、これまでの授業では学習内容を説明するのが先生の主な仕事だったが、ネット上の学習サービスによって、質問に答えることが先生の主な仕事になるということだ。
 さて、ここに人工知能が加わったらどうなるか? 今度は質問する相手が先生から人工知能に変わるだろう。質問に答えてくれるのが、先生から人工知能に変わるだろう。スマホやタブレットに向かって生徒が「どこどこがわからない」と言ったり何かを質問したりすれば、インターネットの先にあるサーバーの中の人工知能がそれを受けて、スマホやタブレットを通じて答えてくれるのだ。
 ここに至って、授業中に教室を動き回るのは生身の先生ではなくて、先生ロボットになっているかもしれない。とはいえ、先生ロボットは端末だから、実質的に質問に答えるのはインターネットの先にある人工知能に違いないのだが。
 そして、このサービスを利用する子供たちが増えれば、人工知能はデータをどんどん蓄積する。子供たちがどこでつまずくのか、どのような質問が出てくるか、どのように説明したら理解できたか、そんなデータをどんどん蓄積して、パターンを認識して、人工知能は最適な答え方をするようになるだろう。人工知能の学習スピードは、サービスを利用する子供たちの数が増えれば増えるほど、端末の先生ロボットの数が増えれば増えるほど、飛躍的に伸びていく。生身の先生が何十年もかけて習得することを、人工知能は短時間で習得するだろう。ここに至って、生身の先生に勝ち目はない。
 もちろん、このサービスは家庭でも受けられる。さて、このとき、先生たちの仕事は何になるんだろう? 子供たちは何のために学校に行くのだろう?

ディープ・ラーニングってなに?  (2018年1月)

 人工知能が何をやっているかと言うと、バカバカしいほど単純なことを、あきれるほど何度も繰り返して、なんとなく人間っぽいことを、あっという間にやってしまう。そういうことだ。
 そのアルゴリズム(データ処理の流れ)は人間を脳を模したものだ。もちろん人間の脳と同じ働きをするわけではない。そもそも人間の脳の働きは一部しか分かっていない。完全に分かっていないのはもちろんのこと、脳の働きの表面的なことがぼんやりと分かっているに過ぎない。その分かった範囲において、それと似たような動きをコンピュータにさせているのだ。それでも処理速度と記憶容量で圧倒的に人間を超え、ある部分で人間を超える力を発揮する。それが人工知能だ。
 人工知能が模した人間の脳の働きとは、ニューロンの情報伝達の仕組みだが、それは例えて言うならバケツ・リレーみたいなものだ。途中でバケツの水をこぼしたり、時には受け取りを拒否したりしながら、とてつもなく大人数で、超高速で行うバケツ・リレー。一人一人がやっていることは実に単純なことだが、全体としてはなかなかのことをやってくれる。ディープ・ラーニング(深層学習)とは、つまりそういうことだ。

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人工知能の作り方 〜 
▷ 人工知能の作り方      
▷ 人工知能の多種多様     
▷ AIは漫画を読んで笑えるか?
▷ バカは人工知能に喰われない 

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