哲学対話・第2クルー
勤務校で2023年 2学期から始めた哲学対話 、冬休みを経て、3学期に再開した。
哲学対話4回目
2024年1月18日(木)の放課後15:15に始めた。
初めに哲学対話をやる際の心得を確認。そこでは「聴くことで見えてくるものがある」の1点だけを挙げた。ついつい他人の言葉を遮ったり、自分が延々と喋ってしまいがちになるので、それよりも他人の話を聞くことに集中しようということだ。(所要5分)
続いて、テーマ決め。(所要15分の想定が、実際は10分)
私の方であらかじめ3つの候補を挙げて、そこから選ぶ形にした。いずれも以前の哲学対話で挙がったテーマの候補であって、一定の支持を得ながら、結果的に選ばれなかったテーマである。
こども家庭庁に期待することは?
好きなことばっかりやるのは悪いことか?
人間より高位のものがあるとしたら、どんなものか?
参加者各自に「それを選んだ理由」とともに1つずつ選んでもらった。その結果、圧倒的多数が次のもの(↓)を選んで、それで話をすることにした。
▷ 人間より高位のものがあるとしたら、どんなものか?
さて、「高位」とはどういうことか?
いや、そもそも「人間より高位」のものを想定している時点で、「人間がかなり高位の位置にある」という前提みたいなものを感じる。
その上で「もし有るとしたら」という仮定のもとに、すなわち「無い」という可能性は一旦引っ込めて、その存在を炙り出そうという試みなのか。
そのことは、次のようにも言える。人間は「自分たちがかなり高位にいる」と自惚れている。だからこそ、人間より高位のものを想定して、人間がそれに対して遜るような存在が必要だったのではないか、と。
また「人間より高位のもの」という言い方から思いつくのは、神。それも日本の八百万の神より、西洋の唯一神がピッタリくる。そして最近出てきたもので言うと、AI(人工知能)。これも人間を超えつつあるのかもしれない。
テーマが決まったのが15:30、そこから45分、16:15までやろうと、対話を始めて、気がつくと16:30になっていた。そこで終了。また1週間後にやることにした。
今日の反省としては、話を整理する時間が無くて、終わってから私がこうして私なりの視点でまとめたものの、それを共有する手立ても用意していないこと。またボチボチ考えよう。
哲学対話5回目
ここのところ木曜日にやるのが恒例になってきた。第2クルーの2回目、通算5回目の哲学対話を2024年1月25日(木)の放課後15:15に始めた。参加者は私を入れて5名。人数的にはこれまでの最少だが、ちょうど良いくらいの規模と言っても良い。
初めに哲学対話をやる際の心得を確認。前回に引き続いて「聴くことで見えてくるものがある」の1点だけを挙げた。案外とこれだけで必要十分な気がしてきた。
続いてテーマ決め。今回はあらかじめ各自に1つずつ考えてきてもらうことにした。できるだけ「問い」の形で。
そこで出てきたのは、次の4つ。
AIが支配する世界とはどのようなものか?
AI時代にやるべきこと、やめるべきことは何か?
大人と子供の違いは何か?
人類にとって最高の発明は何か?
このうち2つ目の案を挙げたのは私だが、1つ目の案と似ていたので、票が割れても仕方がないと思って、2つを統合する意味合いで、2つ目の案を取り下げた。結果、3つの案から1つを選ぶことになった。
投票の仕方は、初めは1人2票で投票するつもりだった。なぜ2票かと言うと、自分が提案したものにはまず投票するだろうと想定して、それに加えて他人が提案した案にも1票入れてもらおうと考えたからだ。けれども全部で3案の中から2つを選ぶのは何だか変な気がして、その場では1人1票で投票した。その結果、次(↓)のテーマに決まった。
▷ 大人と子供の違いは何か?
参加していたのは中学3年生、ちょうど大人と子供の中間みたいな人たちだ。初めはそんな意識は無かったみたいだが、客観的に側から見れば、要するにそういうことだ。ついでながら私は還暦(60歳)を超えて、一説によるとここから子供返りしていくらしいので、このテーマにふさわしいのかも知れぬ。この案を出した人は、なかなかエライ。
話をしている途中に「子供像をどんどん挙げてみよう!」ということになって、やってみた。しばらくしたら今度は「自分が子供だと思う理由をどんどん挙げてみよう!」ということになって、やってみた。こういう展開が面白い。
40分かけて話す予定だったが、15:30〜16:20の50分話したところで一旦終えて、5分間休憩した後に、一人ずつ「自分の視点で」まとめてみた。こうした終わり方は、これが初めて。
以下、私を入れて参加者5人のまとめである。
「自分の人生」を認識できるのが、大人。
〃 ってなんだろうと考えている間が、子供。「自分が大人だ」と思えるのが、大人。
〃 と思えないのが、子供。(・・・循環論法っぽい?)「大人と子供の違い」と言うけれど、肉体的な面と精神的な面では、同じ表現を使っていても、全く別物。精神的な面が本質的なのかな?
「自分の生き方」について一定の考えを持っているのが、大人。でも、100%大人はいない。何才になっても、ちょっとずつ大人になっていく。
自分の「社会的役割」(家庭でも仕事でも)を感じられるのが、大人。
その準備段階にいるのが、子供。
「言葉に出そうで、出ない!」とモヤモヤしている人、「あと1週間くらいかけて考えたい」と言う人がいた。良い時間の中にいられて良かった。
哲学対話6回目
ここのところ恒例になっている哲学対話の常連さんたちに「ちょっと付き合ってくれぇぃ」と声を掛けて、こちらから問いを発して、彼らの話を聞きました。放課後に30分ほど、いつもの哲学対話のおまけみたいな感覚で。
私に疑問があったからです。前回の対話の場面でテーマ案として出てきたものに、こんなもの(↓)がありました。
AIが支配する世界とはどのようなものか?
そう、この言い方なんですよ、私が引っかかったのは。「AIに支配される」と言ったり、「機械が人間を支配する」と言ったり、そんな言い方を多くの人がするんですね。そしてもちろん私の中にもそんな感覚はあります。
そこで、次のような疑問を振ってみました。
▷ AIに対する漠とした不安の正体は何なのだろう?
うちの学校の中学3年生の何人かと30分ほど話して、彼らから出てきた話について、こちら(↓)をご覧ください。
話してよかった。いろいろ見えてきた感じがします。
◇ ◇ ◇
〜 哲学対話はじめました 〜
▷ 学校で哲学対話を始めてみた
▷ 哲学対話・第2クルー
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