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いじめと言わず、スクハラと言おう

(2014年11月)

 「スクハラ」とはスクール・ハラスメントのこと。セクシャル・ハラスメントを「セクハラ」と言い、パワー・ハラスメントを「パワハラ」と呼ぶのと同じである。(ちなみに「スクハラ」も「スクール・ハラスメント」も、私が勝手に作った用語である)
 「いじめ」と呼ぶより「スクハラ」と呼ぶ方が良い理由は、3つある。
 1つ目は、何を言ったか何をやったかよりも「受け手の感じ方が重要視される」こと。セクハラについて、言った側からすれば「親しみの表現」のつもりであっても、受け手がセクハラと感じれば、セクハラとなる。パワハラも、言った側からすれば「注意・指導」のつもりであっても、受け手がパワハラと感じれば、パワハラとなる。およそ、そういう社会的合意がある。さて、学校で嫌がらせされたり、不愉快な思いをさせられた場合、それを「いじめ」と呼んだのでは、相手が「遊んでいた」と言えば、「それはいじめではない」ということになりかねない。一方、それを「スクハラ」と呼べば、受け手がスクハラと感じた時点で、それはスクハラなのである。
 2つ目は、言った人・やった人を責めることよりも「受けた人を守ることが目的となる」こと。セクハラもパワハラもまさにその通りであって、一方を叩くのが目的ではなくて、もう一方を守ることこそが目的なのである。さて、それを「いじめ」と呼ぶと「いじめた側を懲らしめよう」という発想になったり「いじめを撲滅しよう」というスローガンになったりする。一方、それを「スクハラ」と呼べば、視点が受け手の方に移動して「学校で辛い思いをしているなら、その子を何とか守ってやろう」という発想に自然となるのである。
 3つ目は、それは「いつでもどこでも誰にでも起こりうること」という共通認識が生まれること。そして「だから、そういう言動をしないように気をつけよう」という心掛けが生まれること。セクハラもパワハラも、そういう用語を使うようになって、そういう共通認識と心掛けが一般的なものになった。それを「いじめ」と呼んだのでは、それが特殊な例だというイメージを醸して、それを「あってはならないこと」ととらえたり「いじめられる方にも問題があるのでは?」と考えたりしがちである。一方、それを「スクハラ」と呼べば、「スクハラと言われるようなことをしないようにしよう」という心掛けが自然と生まれるのである。
 スクハラもセクハラもパワハラもたぶん無くなったりはしないだろう。けれどもそれらの言葉が、「いつでもどこでも誰にでもありうること」つまり「ありふれたこと」だと認めつつ、円滑なコミュニケーションと「弱い立場の人を守る」という目的のために、「相手が不愉快に感じるようなことはしないようにしよう」という心掛けを育むのである。

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屁理屈から理屈を取ったら屁だけが残る
▷ 「がんばりたいと思います」の構造
▷ 思考の止め方、話の止め方    
▷ 不要不急を誰が判断するのか?  
▷ いじめと言わず、スクハラと言おう

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