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[毎日30分ルーティン]すべては予定調和。

ターナーの単色の陰影でエンジェルラダーまで表現する、素晴らしい技巧がうっとりとします。

先日、早朝の約束に人が現れなくて「どうしたのかな、連絡も取れないしもう1時間以上来ない」と知り合いから連絡が来ました。そういうのを聞くと、パンクチュアルな人なら、どうしたのだろうかと心配するし、今回の人を待たせた人のように待たせるのが平気な人だったら「寝坊しているんじゃないの」と思います。

後者のようなタイプの待ち人を心配しているやりとりを経て、ふと心に浮かんできたことがあります。

いろいろな辛いことも嬉しいこともすべて予定調和で全てが決まっているのであれば?

本人の意図に関わらず、遅刻するように回り合わさっているのであればどうでしょうね。「神の采配」じゃないですけれど、先ほどの話で言うと、一人欠けた状態で近場の半島をめぐってツーリングしてお刺身定食食べて帰ってくることが決まっていたのなら・・・。

それまでの思考の方向性というのは、自分の身の回りに起こるであろうことに「善意」や「こうあるべき」「こうしたい」という希望、または自分の気がつかない部分での「嫌だなぁという気持ち」の表出としての出来事だと捉えることが多かったように思います。

巷で一時期流行っていた「引き寄せの法則」なんていうのはこの考え方かなぁと思います。

そうすると、思い通りでないことは「引き寄せられていない」とかそんなふうに思って面白くなかったり、自分を責めたりしちゃうかもしれません。

自分の努力や望む道へ進むための道が一本で最速最短のものばかりではないのであれば、今ある出来事のいくつ先に自分の望むものがあるかはどうやっても知る由はないのです。

人生を過ごした時間が半世紀を過ぎた時、もうこれからは風のように生きていきたいなと強く思いました。

風のように柔軟でさわやかにいけるためには、できるだけイレギュラーだと思わないでいいように過ごしたいなと思うわけです。一見イレギュラーだと自分の目からは見えることも、もっと違う視点から見ればそのように決まっているのだ、そう思えればどんなことにも穏やかに冷静に立ち向かえるような気がしています。

理不尽なことも不合理なこともたくさんある中で、自分が一体何を学び、取捨選択していくのか。それもまた自分の選択です。決して迎合せずに、世界のありようを見極めながら自分の思う美しさを育てていければ良いのかな、と今は思っています。

時間は不明
1010字



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