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狂言とは
野村萬斎さんが
狂言とは、能 と 能 の間の面白い寸劇ではない
「劇が滑稽なのではなく、人間の滑稽さを描いたものである」
というようなことをいい声でおっしゃっていた。
(言葉は違っているが、内容はこんな感じのはず)
「蝸牛」に大笑いしたが、状況が違っていたら、私が太郎冠者になりえる。
能 と違い、人生の縮図をわかりやすく描いている芸能なんだなと感じました。
楽しく笑える曲ばかりでないことを知ったのも、高いポイント。
玉城朝薫が、能 や 狂言 など大和の芸能も組踊の参考としたということから興味を持ち始めたのだが、とても興味深い。
650年ほどと、組踊の倍以上も長い歴史のある狂言が今でも楽しまれているのには、理由があるんですね。
素晴らしいです。
琉球処分や廃藩置県、戦争などを経て今尚上演されている組踊も、これから後世にずっと残っていくといいな。