いないことにしないで


自分の中にはたくさんの分裂した自分がいるなぁと思う。



ひとり時間が好きな時間。

人とも関わりたい自分。

だけど心の奥の奥にあるものは、やっぱりなかなか見せられない自分。

涙で言葉を詰まらせながら話してる人につられて泣けてくる自分。

カフェでの注文ビビる自分。

笑いたきゃ笑えばいいさとプライド捨ててる自分。

笑われてイライラして落ち込む自分。

何度も同じ失敗をする自分。

を、抱きしめる自分。

嘘と欺瞞でいっぱいの世界に怒りを感じている自分。

嘘をつかなきゃ生きてこられなかった自分。

人の幸せを同じように喜べない自分。

人の幸せを喜べない人は不幸だと言う人らにラーメンぶっかけたい自分。

偏屈な自分は見たくない自分。

見たくない自分に蓋をする自分はもっと見たくない自分。

大事なものは目に見えないと信じ続けてる自分。



優しいものに分類される自分を表に出すことにためらいはないけど

優しくないものに分類される自分のことは、できればないものにしたいときがある。

人も自分も傷つけてしまうかもしれないし、何より、優しくないものを愛してもらえる自信はないから。



だけどそうやってそこにあるはずのものをないものにしてしまうと、

何倍にもなって「私の中の私」からしっぺ返しがやってくる。



自分の存在を無視されて悲しんでいたはずの「怒り」が、

悲しみの第二感情のもっとおおきな怒りになってやってくる。



どうしてみんなが好きだと言うものばかり認めるの?

人から好かれることは私よりも大事なの?

あなただけは私を認めてくれないの?

あなたにとってもわたしは必要のないものなの?

私がいるからこそ見えるものは何もないの?

あなたが認めてくれないなら、誰が私を認めてくれるの

いないことにしないで。


🌷💐🌷


ほんで私は私の中の私に謝る。


ここにいるのにまるでいないような、

そんな疎外感がどれだけ心を引き裂くか

私は知ってきたはずなのに、

同じことをあなたにしてしまったんだね。


今日までの私を作ってきてくれたのは

他でもない、あなたたちなのに。



私「ごめんよ、私。できる範囲であなたたちのために時間を割いて、あなたたちがなっとくできそうなことするからね。たまにめんどくさくてサボるけど勘弁よ。」


私の中の私「あぽろじーあくせぷてっど。」



もしかしたら歳を重ねるにつれて「自分はこう言う人間だ」を言い表せる人もいるのかもしれない。

だけど自分は逆に歳を重ねるにつれて、多面的な自分に分裂していくのを感じる。


あれも自分だしこれも自分。


もしかしたらその多面性は、最初から自分の中にあったものなのかもしれない。どんどん正直に生きられるようになっただけかもしれない。

見えなかったものが見えるようになっただけかもしれないね。



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