自信がないも魅力だと思うんだ


おととい14日は聖バレンタインさんが処刑された日だったので、:(´◦ω◦`):

愛し合うことが合法な時代に生まれてよかったねというきもちを込めて

クッキーを焼きました。


画像1
くま型クッキーにTシャツを着せました👕


画像2
たれ目でめがねかけてて首元よれよれなのが夫モチーフ。


しばらくぽーっと眺めてから頭から平らげました。


🐻 🐻 🐻


自信って

あればあるほどいいと言うわけじゃないんじゃないかなって、

ぽーっと考えてた。


自信にはきっと2種類ある。

人から与えられる自信と、自分で築く自信。


人から与えられる自信はきっと「自己価値観」に近くて

自分で築く自信は文字通り「自分を信じる力」なんじゃないかな。


人間が幼虫だとしたら、

人生の最初の段階で「あなたはあなたのままで価値があるよ」って栄養を周囲からたくさんもらってむくむく育っていく。そして時が来たら、自力で地面に顔を出して、外の世界に飛び出していく。

外の世界に出たあとは、幼虫の頃にたくさんもらった「自己価値観」を小脇に抱えたまま、自分の生き方を自分で選んで信じていく。


そんなふうにできたら

みんなそうできたら理想だけど

みんながみんな、家庭で自信をもらえるわけではない。

人からもらえなかったら

自分で自分に栄養を与えていかなくちゃいけない。

体は成虫になっていても、心は幼虫のまま

土の中をモゴモゴして、自分で探っていく。


自信をたっぷり蓄えていたとしても

外の世界で生きるのは骨折り作業なのに

自信が欠落したまま外の世界に飛び出して

生きていくことを強いられて来た人は

ほんとは自信満々で生きられることの何倍もすごいことをしてきたのだと思う。



自信はあればあるほど生きる上では何かと役に立つと思う。

それはそうだと思う。

だけど

自信があることだけがいいことだとは言えないんじゃないかな。

自信を持つのはいいことだけど

ときに人を盲目にすることもあると思う。


自信がないことにも、そこにしかない魅力があると思うんだ。


自信がない人って

とても冷静に世界を見つめてると思う。

何か事がうまくいったり褒められたりしたときも

全て自分の能力のお陰だと盲信せず

何が自分をここまで運んできてくれたのか

じっくり見つめる目を持っている気がするんだ。


自信なんてないけど

それでも自分なりに生きようとしてる人には


替えの効かない

唯一無二の魅力がある気がするんだ。


前回のnoteで

オズの魔法使いの脳みそのないカカシと心のない木こりの話をちょろっと書いた。


それと同じで

何かが欠落していると自覚している人って

人生でそこを補うために他の人の何倍ももがいていて

自分にうんざりしながらもがいてもがいて

そうやってもがいて生きている切なさって、

そのままその人の魅力になっていると思うんだ。


その魅力はきっと

どんなにそれを持っているふりをしたって

さいしょから自信があったときには得られないもので。



自信がなくても魅力的だからだから何もしなくていいずっとこのままでいいってのは違うかもしれないけど、

人間の魅力や美しさは

何を与えてもらったかなんかじゃない。


生きようとしてる姿だと思う。


🐻 🐻 🐻


わたしの自信は

100%中の60%くらい。

温度はアツアツというより

ぬるま湯。♨️


それ以上になっちゃうと

自分的に違和感があるんだ。


自信が満々だと

自分を守ることはじょうずにできる気がするけど

陰と陽、善と悪、清と濁を

どちらも見つめようとする目は

なくなっちゃう気がする。

自分の肯定感をキープするために

都合が悪いものには目を瞑るようになっちゃう気がする。

それはときに必要なのかもしれないけど

わたしがほしい自信は多分それじゃない。


何を見てもあなたなら大丈夫って

自分からそう言われたい。

そういう自信がほしい。


自分を揺るがさないものだけじゃなくて

何が正しいのかわからなくなるものも、見つめていたいから

自信がない心の部分も必要なんだ。



世界はやたらと自信がない人が自信を持てるようにって

全体的な流れがそう動いてると思う。


自信を持った人がたくさんいることはいいことだと思う。

だけどどのくらいの量のどのくらいの温度の自信を持つかは

どのくらいが自分にちょうどいいかは、

自分で決めていけばいいんだと思う。


みんながみんな「自分大好き!」って思わなくてもいい。

まぁ日によってうんざりする日もありますが手のかかる自分とずっと付き合っていこうと思ってます。くらいだっていいんだと思う。



わたしは、、

自分のこと好き?って聞かれたら

限りなくビミョーに近い普通よりのまぁまぁ好きくらいかな。

今日は嘘つかないでいられたなって日は好きに触れる。

ただ他の誰かになりたいとは思ったことはないな。

自分のままで自分をどうにかしたいと思って生きて来た。


もっと正直に生きて来られたらどれだけよかっただろう。

私の気持ちなんて今やもう偽物なんじゃないかって思う日もある。


カカシと木こりといっしょかもしれない。

完全に不完全な自覚があるから

ここから少しでも好きな自分になれたらいいと

探りつづけるんだと思う。



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