ピュアな「うらやましい」


どんなに脅しても諭しても人からぜったいにむりやり引きだせない感情って「うらやましい」だと思うんだ。


ジェラシーは簡単に引きだせるだと思う。

嘘ついちゃえばいくらでも引きだせる。

だけどその人のピュアな「うらやましい」だけは嘘ついたって転げまわったってどうしたってむりには引きだせない。

むりやり自分をうらやましがらせることなんて、どんなにお金つんだって出来ないことだと思う。



ジェラシーとうらやましいは別物だと思ってるの。

ちょっと似てるけど別物だと思ってる。


ジェラシーは嫉妬とかコノヤロウってきもちで、うらやましいは羨望とかあこがれとか、自分のほんとうに行きたいところにいる人・モノに対してかんじるきもちだと思ってる。


だから素直に心から出てくる「うらやましい」はとってもヒントだと思う(とってもヒント)

そっちのほうに自分がほんとに進むべき道がつづいているよっていうとってもヒント。


わたしが初めて純粋なうらやましいを経験したのはバイト先にいた男の子だった。


劣等感をともなわない「うらやましい」があることを初めて知った。

それまでは、ジェラシーもうらやましいもあたりまえのように劣等感をともなうものだと思ってた。

劣等感つきのジェラシーをかんじる人が持っているものは、自分もぜったいにそれと同じものが欲しいのだろうと思ってた。

そういうものを自分も手に入れてみたらたしかに人生は変化するんだけど、のちのち考えたらなくてもよかったものばかりだった気がする。


いっぽうで劣等感をともなわないうらやましいきもちは

なんていうかほんとシンプルに、

「あなたの運命はこっちだよ」って言っている

道しるべに思えた。


バイト先の男の子の次に心地いい羨望をかんじたのは

ダニエルタメットさんっていう人だった。

サヴァン症候群をもっていて、数字が風景にみえる能力をもってる人。

サヴァン症候群の人たちに対してわたしがかんじてるきもちは神さまに対してかんじるきもちとちょっと似ている。

彼らの苦悩の1000分の1しか知らないということを百も承知で、彼らにしかわからない内面世界がうらやましかった。


わたしがうらやましいをかんじる何人かの人たちに共通してることはなんだろうってこないだシャワー浴びながら考えてたの。

すぐわかった。わかりやすかった。


自分の世界に浸かって生きてる。


自分の世界は誰だってもってるけど、世の中を感じないほどそこに浸かって生きられる人って

世の中的には奇人で、変わり者。


たぶん、こうやってわたしが「うらやましい」って言うこと自体、彼らにとってはさして意味をもたないことなんだろう。

人からうらやましがられる人生を生きたいわけじゃないだろうし、

人からうらやましがられたところで自己評価も変わらないだろう。

うらやましがられようがそうじゃなかろうが

変わらずマイワールドで生きるんだろう。


答えをいっこにまとめたい人たちの声なんてもう、届かないところにいるんだと思う。


そういう境地に行ってみたい。

どうだろう。

そういうのって、ちょっとやそっとの経験が運んでくれるばしょじゃないと思うし

それ相応の孤独も付きものだと思う。

だけど神聖で安らかでうらやましい。


世の中の一般常識を気にしすぎないことって、気にしないように意識することや気にしていない体で生きることはできると思うけど

ほんとうに気にならない境地は、時間と経験しかつれていってくれないんじゃないかな。

これさえ受ければ誰でも雑音が気にならなくなる魔法のセミナーなんてない。


簡単に行けるばしょだったら、そんなにいいモノでもないと思うし。


時間をかけて何度も何度も人生をくり返すことでしか辿りつけないばしょなんじゃないかな。


🌠 🌠 🌠


人のいいところを見るようにしなきゃだめだよって言われて育ったの。

大事なことだと思う。


とくにわたしは人の暗い面にばかり興味があったから(暗い面のほうがゾクゾクするから)そのせいか人のいい面に気づきにくいタイプだった。

いいところに注目しなさいってよく大人に言われてた。


でもなんか、

人のいい面を見なきゃいけないとか

〜しなければいけないのせいで、

ピュアな感情も見えづらくなってた気がする。


いい面を見るのが大事なことであるのは変わりないけど

ピュアな「いやだ」とか、ピュアな「なんか違う」ってきもちを抑えこむようになったら

ピュアな「すき」も、ピュアな「ほしい」もわからなくなってた。

けっきょくはぜんぶ心の同じところから生まれていたんだなって。

素直にかんじる「いやだ」にフタをすることは、すべての感情にフタをすることだった。


そうして頭で考える「いいもの」だけがのこって

ほんとうに自分が欲してるものがなんなのかわけわかんなくなっちゃった。



一回フタを開けて

いやなものはいやで

すきなものはすきでかんじることをゆるしてみたら

ピュアな「うらやましい」も湧いてきた。


正直に生きれば誰だってワガママなんだと思う。


世の中は「うらやましいでしょ?ね?ね?ね?」ってものであふれていて

ほんとうは欲しくないのに手に入れさせられるものばかり。

手にしたあとに「やっぱりいらなかったな」って気づけるならいいけど

大人になればなるほど手に入れることより手放すことのほうがよっぽどむずかしくなると思う。


なんてったって大人は頭でっかちだから🤖

頭で考える「いいもの」しかのこせない。

ほんとうに欲しいかどうかより、人から見られたときにどうだろうって考え始めちゃったら立派なおとなの仲間入りだ(やだーー)

ほんとうに欲しい人生を生きてるかどうか自信がなくなって寄ってたかって答えをいっこにまとめようとした暁にはおとな検定1級合格だ(きゃーー)


手に入れたいよりいらないものを手放したいのほうが強くなってきた。

いままでありがとう。でももう今はいらないんよ。

だからさ、必要としてる人のところに飛んでって。

アディオス!ってできたら

いいのになー。🐣



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