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こどもがこどもでいられる世界


あるちゃんは普通じゃないんだから

普通の人が感じるストレスの100倍感じる人なんだから

あるちゃんはそういう宇宙人なんだから

だから地球の普通の生き方に馴染もうとしなくていいんだよ。

普通じゃないんだから

普通じゃない生き方をえらんでいればいいんだよ。


これ👆は、なにかちょっとした傷つくことがあって

わたしがボロボロ泣いてるときに

夫がよく言うこと。


普通じゃない、という言い方しかできないらしい。💧

いい意味でもわるい意味でもなく

その表現しか出てこないらしい。


そんなふうに言われるとき、

わたしもうれしいのか悲しいのかどちらでもなくなって

ただ、

自分は地球に社会科見学にやってきた宇宙人だったことを思いだす。

地球で生きることの苦しみとそれを乗りこえた先にあるよろこびがどんなものなのか偽りなく知るために派遣された

宇宙人だったことを思いだす。


なんとも自由で愛のある場所からやって来たから

さまざまな哀しみで溢れた地球とは、相容れない。


そっか、馴染むためにやってきたわけじゃなかった。

知るためにやって来たんだった。

そう思いだすと、ふときもちがラクになる。


🎀 🎀 🎀


こないだ、わたしの心の中にいる小さな女の子について書いた。

そのことについて書いた後、

ちょっと心がザワザワして

ちょっと溝落ちがみぞみぞして(©︎すずめちゃん)


自分の内側からちょっとしたクレームがきた

気がした。


「ねえねえあるちゃん。わたしあんなに強くないし、いい子でもないのよ。ちょっとだけ書き直して」って。

綺麗に描こうとしたわけじゃないんだよ。

ただ単純に自分の説明力じゃそこまでだっただけだよ。

とはいえガンコなわたしの心は納得いかないようでしたので

聖人君主じゃないよってことを

ちょっとだけ書き加えた。


わたしの心は「よし。」と言って

ザワザワが治った。


🎀 🎀 🎀


つい先日お腹がめっちゃ痛くなって

生理じゃないのに生理痛みたいに痛くなって

痛さで眠れないほど痛くなって

しかも次の日おともだちとたのしみにしていた予定があるって日にそうなって

なんでだよーって思って

痛い痛いって泣きたくなったしイライラもした。


いつもの痛みとは違ったから

次の日の朝に近くの病院に行くことにした。

夫が、心配だからいっしょに行くよと言ってくれた。

午前中の仕事を欠勤して

病院まで着いてきてくれた。

わたしが病院におおきなトラウマを持ってること知ってるから

待合室で待っていてくれた。


え、いいの?って思った。

そういう理由で欠勤して、いいの?って。

そういうの、かつてわたしの生きていた環境ではゆるされないことだった。


わたしの育った家での最優先事項は「人さまに迷惑をかけないこと」だった。


わたしの両親もそうやって育った人たち。

だから、

与えられなかったものを与えるって

難しいことだったみたい。


けど夫は「妻が体調がわるくて心配なので」と職場に伝えてくれた。

わたしの心に残る「人さま最優先」の感覚では

そんなこと言ったら「そんなことで休むの?」と返ってくるかと思ったけど

夫の同僚の先生たちは心配してくれて、「お大事にね」と言ってくれた。


うれしかった。

うれしいとお腹痛いが混ざってるふしぎな感覚だった。


わたしはお腹痛くてぼろぼろ泣いた。

お腹痛いだけじゃなくて

むかしひとりで病院に行ってたことを思い出して泣いた。

体調わるいと伝えても

「バイトの人たちに迷惑がかかるから」と言われたから

がまんして学校に行ったこと。


誰かに守られている小さな子がうらやましかったこと。


学校までの横断歩道が

ずっと赤だったらいいのにと思ったこと。


ひとりで準備して病院行ったこと。

病院の扉を開くとき、不安だったこと。


16才のわたしの心は5才のままで

大丈夫だよと言って傍にいてくれる誰かがほしかった。


着いてきてほしかったよね。

外の人たちに迷惑かけるかどうかより

わたしの体のこと

最優先にしてほしかったよね。


うっすら残ってる小さなころの記憶で

予防接種を打たれて

周りの子たちみんなわんわん泣いていて

泣いたらおかあさんが困ると思って泣かないようにした。

けど泣いている子たちはみんなおかあさんの腕に甘えていて

泣かなくていい子だねと言われたとき

わたしのいい子はなんのためにあるのかわからなくなった。


だれかに宝物みたいに大事にしてもらえたとき

わたしの中の「あの頃のわたし」はまだちょっとびっくりする。

え、なんで?

なんで?って。


けど少しづつ気づいてる。

大事にされるって

とくべつな人だけのものじゃないんだよね。



評判を見てから行った病院の先生は

むかしながらの街のお医者さんというかんじの

丁寧な先生だった。

たぶん不安感満載の顔をしてたわたしに

時間をかけて、いっぱい説明してくれた。

おかあさんの遺伝で婦人系の抱えてるもの(良性)はあるけれど、

とりあえず大きな問題はないと知ってほっとした。

おともだちも心配してくれて

体がいちばん大事だから気にしないでと言ってくれて

またすぐに予定を立て直してくれた。


赤ちゃんみたいにみんなに大事にされたわたしは

お家に帰ってから痛み止めを飲んだ。

痛みが減ってきたわたしはすやすや寝た。

ソファの上ですやすや。

前の日に眠れなかったぶんもすやすやと。

眠る前にお菓子を平らげた。

夫からホワイトデー用にもらったマカロン。一日一個にしようと思っていたマカロンをその日でぜんぶ平らげて

すやすや寝た。


🎀 🎀 🎀


心の中にいる小さな女の子のことを無意識にちゃんとしてるいい子みたいに書いたのはたぶん

名残だった。

自分で自分を守るために必要だった強さ

その名残だった。


もうひとりで立っていなくていいんだってずっとわかっていた。

だけど習慣づいたものを手放すって時間がかかるよね。


今まで生きてきた環境では必要だったけど
今いる環境ではもう必要のない強さを手放すこと

それがいま欲しいもの。


こどもの自分をちゃんとこどもとして扱うこと

それが今したいこと。


怖いものは怖いと言ったり、着たいものは着たいと言ったりね。



わたしは母性強いほうじゃないから

小さなこどもを見てもあんまりなにも感じないんだけど

いまもどこかで誰にも甘えられずおとなになろうと必死にひとりで立っているどこかの女の子(もちろん男の子も)のことを思うと

抱きしめたくなる。

わたしに抱きしめられても困るか。

しあわせになってほしい。


喧嘩でいっぱいの家庭で暮らす子も

病気のきょうだいに親が付きっきりな子も

話を聞いてくれる人が誰もいない子も

戦争の中で生きている子も

しっかりしないと、おとなにならないとってがんばって立っている

こどものままでいられないこども。


抱えきれない寂しさがふりかかって

本来の自分を見失うことで自分を保とうと

甘えたい自分を心の奥に隠している

どこかのこどもたち。


その子たちがいつかどこかで

愛する人のそばでたくさん甘えられますようにって願う。

何歳になってからでもいい。

何歳になったってこどもはしたいときにするものだもん。

甘えられるやさしい手に

好きなだけ甘えられますように。


こどもがこどもでいられる世界を想うとき

わたしの中のあの頃のわたしが少しほっとした顔をする。

それは、わたしのセラピーなんだと思った。



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