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心は私の親友


将来のこととか何も考えないで自分のケアだけに集中しようって決めて暮らしていた時期があった。


21歳から24歳までの4年間のこと。


人間不信の中でも、小さなよかった出来事をかき集めていたら、自分を大切にする生き方をしたくなった頃だった。


同年代の子たちを見ても焦燥感をかりたてられない、なんてことはなかったけど。「わたしはわたし」なんて思える強い意志はなかったけど。よく揺れていたけど。_(┐「ε:)_


せめて今だけは、自分を心地よくすることだけを考えてみようっていう、細いけど頑固な凧糸みたいな思いがあった。


最後の一年半は、カルガリーという街にワーホリビザで暮らしていた。


カルガリーは、とてもスピリチュアルな雰囲気のある街だった。地元の人からしたらそんなことないかもしれないけど、外国人のわたしからしたら何かが違った。初めて来たのに懐かしいきもちを感じる場所だった。


たぶん敏感な人がカルガリー(またはその上のエドモントン)に行ったら、何かしら神々しいものを感じると思う。


ヨガ、瞑想、アロマ、クリスタルボウル、壮大な景色を見ること、日光浴、食事療法


バイト代が許す限り、自分を大切にしていると感じられることはひと通りやってみた。


通っていたヨガのクラスで、初めて「hsp」という言葉も教えてもらった。


何よりわたしを解放してくれたのは「泣くこと」だった。


わたしはカウンセラーさんの勧めで、17歳のときから「ホメオパシー療法」をしていたのだけど、正直それまでは怒りしか出てこなくて、苦しかった。


だけどカルガリーに渡って自分のケアに集中し始めてから、ホメオパシーが目に見えて効くようになった。怒りだけじゃなく、そのもっと奥にある悲しいきもちが出てくるようになった。涙がボロンボロン流れてくるようになった。毎日家に帰ってベッドに腰かけると涙が出てくるのはあたりまえで、歩いてても出る。おばあちゃんを見るだけで出る。川の流れがおだやかなだけで泣けてくる。


ほんとうに毎日絞り出すように泣いていた。


あぁ、自分の中には、岩塩みたいなおっきな怒りのカタマリがあったんだって思った。悲しい悔しいきもちが蓄積して凝り固まって、気づいたら怒りの岩塩になってた。それを今こうして溶かしているんだって思った。


泣いたあとはまた怒ったり、不機嫌になったり、いやなものはいや、やりたくないことはやりたくない〜って我儘な自分になったり。


我儘な自分が出てくるのは疲れたけど、同時に生きてる感じもした。


心の岩塩を溶かして溶かしてある程度小さくなったのを感じたとき、


朝日や夕陽がなんとも形容し難いぐらい美しく感じられるようになった。


自分の目がワイパーで磨いたフロントガラスみたいだった。


わたしは無宗教で、それまでは神様のこと考えることがなかった人間だったけど、カルガリーでは街自体が神様になっているような気がした。日本で暮らしていると自分の内側に神様を感じるんだけど、カルガリーでは自分の外側に神様を感じていた。


日本食店のアルバイトの帰り道、bow riverという川沿いを歩いていた。


割りかし気分がいい日は、水と風と光の中に、ちゃんと見守ってくれている何かがいるような気がした。気分がよくない日は、でかハンバーガーにLサイズポテトと言うカロリーの暴力団みたいなセットをぶら下げて帰った🍔


誰かといっしょにこの景色を分かち合いたい寂しさとイライラで荒んだ心をハンバーガー臭で誤魔化してるこの自分のことでさえ、どこかで誰かが見守ってくれているといいと思った。


見えないものを信じることは、不安定で安らかで、孤独で偉大だと思った。



いつか夫を連れてまたあの川沿いを歩きたいなぁ。

今の私はどんな風に感じるかな。

夫はどうかなぁ。「よくわかんないけどきもちいい」って言いそう。


🔶🔷🔶🔷🔶


カルガリーで過ごしたあの時間から、私の心は私の親友になった。


私に酷使されようが足蹴にされようがじっと耐えてきてくれた子。そこからがんばって生き返ろうとしてくれた子。


荒んだらジャンクフードを欲してくる子。


ビートルズの「Across the Universe」が大好きな子。


どこに行きたくてどこに居たいか知ってる子。


辛くなったら私と世間を引き離して私を社会的に抹殺する子。


そうすることで、私を守ってきてくれた子。


天国みたいな景色を見せてくれた子。



たぶんもうあんな景色を見ることはないんだろうな。


どんなに美しい世界遺産を訪れたとしても。


もう今はそこまで悲しみを蓄積することもないし、いちいち感情的に生きてるしね。(・ω・)


先輩に必死についていこうとクタクタになるまで走った部活の帰りにおなかペッコペコで食べた牛丼がしぬほど美味しかったように、あのときの美しさは、溜めてきた涙を流しきったあとだけの、到着点だったんだよね。


🔶🔷🔶🔷🔶


たま〜にぼーっとした頭で自分の「心」を擬人化して自分と瓜二つの姿を想像する。👯


彼女なら、今の私になんて言ってくれるだろうって考えたりする。



「あんたやっぱり遠回りしないとなっとくできないタイプなんだね」って言われそう。


「まぁいいよ。何も起こらないことが私のしあわせではないし」って言ってくれそう。


「あんたやっぱりどの時代も穏やかじゃないのね」って苦笑しながらも


いつでもいっしょにハンバーガー食べてくれると思うんだ。🍔



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