She is in here.
なんの理由もなく泣けてくる日が月に1〜2回あるよ。
むかしと比べるととても少なくなった。
それはいいことかそうじゃないかはわからないけど
泣いたあとは楽になる。
なんの理由もなく泣けてくるときにわたしの中に浮かんでくる心象風景がある。
おおきな男の人が病院のベッドに寝ている。
病室はまっ白で、外はとても晴れている。
男の人は最期の時を迎えている。
わたしはベッドの横の丸いすに座って
ぼろぼろ泣いている。
そこに居るわたしにとって
彼だけが信じる人だった。
彼以外、だれもわたしの辛さに興味がなかった。
周囲の人たちは自分に都合のいいわたしのことだけが好きで
気分屋からもらう不定期な愛情ではけして感じることがなかったものを彼だけがくれた。
泣いても叫んでもだれにも届かなかったものを彼だけが受けとめてくれた。
彼だけが、世界を生きるに値する場所にしてくれた。
その大事な手を失ってしまう。
またひとりぼっちになってしまう。
ぼろぼろ涙を流すわたしに彼は穏やかな表情を浮かべている。
大丈夫、また会えるよと言って
穏やかにほほ笑んでいる。
💂 💂 💂
どうしてそんな風景が浮かんでくるのだろう?
そのような映画は観たことないよ。
自分の人生でほんとうに大事な人を失う経験もしたことない。
身内で言うとおじいちゃんは亡くなってるけど
わたしのことをけなすおじいちゃんだったから亡くなったときになんの感情もわいてこなかった。
心の宝物を亡くす経験をまだしていない。
はずなのに
心はその悲しみをすでに知っている。
すでに生きたことがあるのだとしたら、
いつかの人生の記憶なのかなぁ。
バグパイプって言うスコットランドの民族楽器の音色を聴くときも
おなじように胸が詰まって泣きそうになる。
イギリスもスコットランドも行ったことないし今の人生ではなんのゆかりもないけど
バグパイプの音色は、遠い遠い心の奥の記憶に刻まれている気がする。
自分のお葬式で流れていたのかもしれない。
なんの理由もなく涙が流れるのはインナーチャイルドが泣いているのだと思っていたけど
もしかしたら、もっとずっとむかしのわたしだったのかもしれない。
いまだにどうして泣いてるの?って不思議がられるから
なんとか答えようとするんだけど
うまく答えられない。
悲しいからでも、淋しいからでも、ない気がする。
ただただただただ
She is in here
彼女がここに居るから。
いつかどこかのわたしが今でもずっとここに居て
泣いている。
いっしょにいていっしょに泣いてる。
だから大丈夫。また会えるよって言ってほしい。
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