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アイデンティティ

LinkedInで「Atsuko Tai さん、ご意見ございますでしょうか?」と、名指しで質問してくださった方がありました。とても光栄です。英国のビジネススクールで学んでおられる方で、アイデンティティに関する授業があったそうです。以下は、質問そのままです。

「他民族国家かどうかは、アイデンティティという概念に影響するのか、という論点が出ました。アジアにも昔からの他民族国家がたくさんありますが、アイデンティティという概念はあったのかどうか気になります。どちらかと言うと西洋文化なのかな、と感じました。ということは、キリスト教から来てるのか?と。Atsuko Tai さん、ご意見ございますでしょうか?」

私の答えをここにもコピーしておこうと思います。時間が経つと忘れてしまうかもしれないから。

「ご指名ありがとうございます。私は現役の頃、シンガポールやマレーシアによく行っていて、上司や同僚もシンガポール人やマレーシア人が多かったのですが、彼らはアイデンティティをかなり意識しているように思いました。その軸となるのは民族(言語を含む)と宗教です。中華系の人は中国本土から最近移民してきた人ではないのに、I am Chineseと普通に言っていました。婚姻関係にしても、他の民族と結婚することは珍しいです。(米国ならば珍しくないですよね)別の宗教の人と結婚することも珍しいと思います。(日本では珍しくありません。)
キリスト教についてですが、以下のようなことではないかと思います。キリスト教は、旧約聖書と新約聖書の両方を聖典とします。イエス・キリスト以前は、ユダヤ教で、こちらは旧約聖書が聖典です。旧約聖書にはアイデンティティの概念が明確にあります。ユダヤ人は血統という側面からみると混血だと旧約聖書の一節にあります。けれども、彼らのアイデンティティは「父祖アブラハムに連なる神の民」です。(私たちの時代の)歴史の教科書にあった「選民思想」というものです。天地万物を創造した神が世界を救って祝福するために選んだ特別な民族。人格と人格というレベルで神と交流ができる特別な民族、という概念で、それが旧約聖書で一貫する彼らのアイデンティティです。キリスト教(新約聖書)は、その特別な身分は、イエス・キリストの十字架の死と復活(「イースター」のことです)のあとは、それを信じるすべての人に与えられるという信仰です。そういうアイデンティティが、例えば、明治初期の欧米からの宣教師が日本で医療や教育機関、福祉施設を設立した、というようなことにもつながっているのではと思います(それだけではなく他の動機も含めてではあったでしょうが)。」

そこに、これも加えるべきでした。

「お住まいの英国の場合は、例えば、19世紀の前半、英国反奴隷協会を設立し、奴隷解放を成し遂げた貴族で国会議員でもあったWilliam Wilberforth(彼の人生は、映画Amazing Graceに描かれています。有名な讃美歌Amazing Graceの作詞者John Newtonが、Wilberforthの同志であり、信仰上のメンターでもあったのです。私はオーストラリアでこの映画を見てとても感動しました)、またビクトリア朝時代、劣悪な労働環境、住環境にあえいでいた工場労働者たちのために、健康で文化的な共同住宅街Bourn Villeを建設し、彼らの生活を変えたGeorge Cadburyが、キリスト教徒のアイデンティティを基盤に仕事をした人といえるのではないかと思います。(Bourn Villeは、今も存在すると伺っています。美しい場所だそうです)」

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