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上司の判断ミスので大嵐に遭遇したら、どうしますか?

今週の聖書勉強会の該当の聖書箇所は、使徒言行録27章でした。こんな物語です。(興味のある方は、無料の聖書アプリなどもありますので、ご自分でチェックしてみてください)

伝道者パウロは、騒乱罪の容疑で逮捕されましたが、えん罪でした。彼はユダヤ人でありながらローマ帝国の市民権を持っていたので、ローマ皇帝に上訴する権利があり、それを行使すべく、ローマ皇帝直属の百人隊に付き添われてローマに向かいます。ところが、風に恵まれず、「良い港」に着いた頃には、航海には危険な時期になっていました。日本でいうなら台風シーズンです。そこでパウロは、その地に留まることを提案しますが、船長や船主は、続行を決断をします。そして案の定、暴風雨で遭難、漂流という羽目に。聖書はその船上でのあり様を描いています。転覆を回避する努力、危機に際してのパウロの指導力、自分だけ助かろうとする水夫、保身のために護送の囚人の殺害をもくろむ兵士。しかし、誰も逃げられず、殺されず、船は座礁して破壊され、人々は泳いで岸をめざします。

この物語を踏まえての質問は

「私たちは自分のミスではなく、自分の上に立つ人の判断ミスによって大変な目に遭うということがあります。そのときあなたはどうしますか?」

私たちは該当箇所から当時の様子を想像しようとしました。例えば、船の出港場所がアレクサンドリアだったので、主な積み荷はローマ帝国の重要な食料の小麦だっただろう、乗船していたのは276人。パウロの護衛は百人隊、水夫は70~80人ぐらいだろうかとか。船主も乗っているぐらいだから荷主たちも乗っていただろうとか…。そして、彼らの判断ミスは、現代でいう正常化バイアスだろう。積み荷をローマに納めて早く換金したいという気持ちもあって無理をしてしまったのかも、とか、ベテランの水夫もいたはずだから、内心はパウロのように航海続行は無謀だと思っていたかもしれない、でも、空気を読んじゃったのかなあ、など。

聖書の物語を読んで常に思うのは、人の性は、いつの時代もそんなに変わらない。

パウロは博学な人でしたが、この時は護送される囚人で、航海を続けるか中断させるかを決断できる立場にはいなかった。その権限を持つ人は、数百人の人命を左右するような大きなミスを犯した。その渦中にいたパウロの姿勢は、現代のリーダーシップ論につながっていると思いました。

  • 必ずローマに行くという決意

  • 乗船者276名の命は自分の責任下にあるという認識

  • 航海技術のある人たちの力を最大限に活用する能力

  • 人を鼓舞する知恵とコミュニケーション力

仕事でも、自治会やPTA、ボランティアグループなどでも、問題が発生したときや、前進を阻む壁にぶつかったとき、チームの中には、それを自分ごととして考える人と、そうでない人が混在しています。すべてのことを自分ごとにするのは難しくても、誰かがそうしなければ、どうしようもないことになってします。立場のある人が責任を果たしてくれるとは限らない。要するに、リーダーシップは、立場の問題ではないということを、またも再確認ということになりました。




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