私とその他SNSをつながっている人は、私がどれほどこの夏を駆け抜けたかはご存知でしょう。 詳しく言ってみると、 手持ち花火をした(それも2回) 浴衣を着た(特に用もない日に半ば無理やり着せてもらった) 花火を見た(しかも地元の花火) 六本木のドラちゃんとも写真を撮った(ジャニオタ必修講座) かき氷も、冷やし中華も、すいかも、とうもろこしも、食べた! という感じで、なんだかんだ楽しみました✨️ そして、やってみて気づいたことがある。 夏、やっぱり楽しい。 それと、夏は
あの期間は本当に何なんだろう。 「自分は無価値で、生きている意味など無い。」みたいな劣等感や虚無感みたいなものが全身に染み渡る感覚。 しばらくしてあーこれはきっと今PMSだ、落ちる時期にいるんだなと気づくんだけど、気づいたところでそういう感覚が消えてくれることは無い。 なんとなくずっと胸の奥の方にモヤモヤした痼が巣食っている。 ふとしたきっかけでこぼれた墨汁みたいにじゅわっと全身に広がって、一気に心ごと持っていかれる。 嫌だ、気持ち悪い。分かってるのに。 そう思って
なーんて大層なタイトルになってしまったものの、 これは私のタイトルセンスがないだけでただのオタク丸出し文章です(汗) では、すたーと。 というツイート(ツイ廃としては敢えてツイートと言いたい)がバズっていた。 そりゃそう。嵐の曲ってめちゃくちゃいいし。 「思い出の後先を」の「あ」ってめちゃくちゃいいから。 かなり主観的ではあるものの紛れもなく事実である。 Dear Snowの「白く燃える恋は」の「し」 Bittersweetの「甘く切ない君の歌」の「な」 アオゾラペダル
1個書くと書きたくなるよね〜ということで。 いつの間にか夏が来たのと同時に、いつの間にか22になった。 22、二十二歳。 実感が、ない。 22って私の中ではすごく大人で、もう割と社会の中で立派に機能する年齢で、色んなものが整理されてドンドン前に進んでいく、みたいなイメージだった。 現実、甘くないです。 全然心は子どものままだし、未だによく分からないことの方が多いし、進むどころか停滞の毎日な気がする(これはたぶん私自身の問題も含め) 22っていう曲を13.4歳くらい
気づいたら蝉がうるさい。 いつの間にか2024年の夏が始まっていて、びっくりした。そしてたぶん気づいたらあっという間に夏が終わる。 私は結構夏が好きな部類に入ると思う。 夏が来ると無条件にワクワクするし、毎年今年の夏も楽しみたい!と密かに考えるぐらいには夏が好き。 生まれが7月なのも関係あるのかな?とは思うけど、夏生まれでも夏が嫌いな子はいるし、そこら辺はよくわからない。 風磨みたいに毎年夏に楽しいことをしてたから夏が好きって訳でもない。そんな充実した記憶は、残念ながら、全
今の心境・もう疲れちゃったーーーーー。 錯綜する情報に一喜一憂し無理やり心に波を立てられることも、 信じたくないものを見せられ続けた人が陰謀論に傾いていくのを見るのも、 自分の感情と倫理観をいちいち照らし合わせて確かめてそこにある溝を目の当たりにするのも、 言いたいことを文字にしても果たしてそれは誹謗中傷にならないだろうかと結局世間に放つ前に全て消去する作業も、 きっと自分より不安で難しい状況にいるであろう本人たちの心情を勝手に想像して勝手に辛くなることも、 一連のあれこれ
今見終わった。まさに今。 なんか暇だしーーーとおもってネトフリを漁ってたらビジュが好きかも!と思って(単純)見始めた映画。 Netflixの制作らしい。 見終わった感想としては、おぉ・・・て感じ。 まじで登場人物の心情が急展開過ぎてどういうこと?の連続で感情移入はできなかった、、 でも世界観はオシャレで俳優は完璧だし宮崎あおいは鬼かわいいし視覚の満足度は高すぎる 吉沢亮、結構な豪華客船のバトラー役なのにバックヤードでもない場所で普通にスマホいじり出してえっ⁉️ってなっち
影響されすぎて 今を見失うなよ こちら、Let It Be/SMAP の歌詞です。 HiHi Jetsさんがこれをカバーした時、この部分が自担パートってのもあってやけに印象に残ってる。 というのも、最初に聞いた時にどういう事だろって思ったんだよね。 好きなものに影響されることって私はいい事だと思っているし、 映画や音楽みたいに自分の人生を豊かにしてくれるものとは積極的に関わっていきたいって思っているから。 けど、今ふとわかった(というか自分の中で解釈ができた)気がする
今、実家から一人暮らしの家に帰るために新幹線に乗っています。田んぼだらけ〜〜〜🌾 突然ですが、私は多分、というか確実に親に愛されていて、恵まれているんだと思う。 思うってのは失礼か、恵まれている。 やりたいことをやらせてもらえて、実家を離れて生活させてくれて、定期的に何か足りないものはないか、ご飯は食べているかと聞いてもらえる。 今だって、お菓子やら服やら手作りのご飯やら、来た時よりも随分と多い荷物を抱えて家に帰る。 それが愛情によるものであることはさすがに理解してい