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うつ病になってから3年半

今日はうつ病になってから現在までの3年半を振り返ろうと思う。生きてきた中で一番どん底だった時をちゃんと記録しておきたい。誰かと共有したいと思ったからだ。

高校一年生の5月

まずはうつ病と診断される前を振り返っていこうと思う。
中学3年の受験期、私は家が嫌で嫌で仕方なかった。学校が終わってすぐ塾へ向かい自習をしてから授業を受ける。そんな日々を送っていた。疲れ切って家へ帰ると両親が喧嘩していた。私の父はかなりのモラハラ夫である。自分の部屋へ逃げてもお父さんの怒鳴り声が聞こえる。毎日つらかった。
その時は担任の先生に相談に乗ってもらっていたからなんとか耐えられたというところもあった。

卒業して高校生活が始まってから私の心は疲弊していった。同じ中学の子は少なくほとんどが知らない人だった。私は小さい頃から人間関係を構築することがとても苦手だった。クラス替えのたび苦労していた。私は中々友達が出来ずどのグループに入ろうと焦っていた。毎日毎日学校へ行くのが怖かった。この時から自傷行為は始まっていた。最初は血も出ないくらい浅く浅く切っていた。
そしてGW明け私は五月病のような感じになっていた。というか鬱が始まっていたと思う。毎日死にたいと考えて学校へ行きたくなくて毎朝泣いて自傷行為をして。不眠もあった。もう限界だった。うつ病という診断が欲しかった。そうすれば病気のせいに出来る。少しは気持ちが楽になるって思った。
そして私は母に相談し精神科へ行った。父からはついに頭がおかしくなったのかと笑われた。姉からはうつ病なわけないでしょと言われた。
初めて精神科に行った時のことはよく覚えてる。
待ち時間何故かずっと泣いていた。そして2019年5月、私は医師から"うつ病"と診断された。

薬の副作用

うつ病と診断されてから私は抗うつ薬と睡眠導入剤を処方された。最初は1番少ない量で処方されたがそれでもはじめて飲んだ時は強くてバタッと倒れてしまった。朝起きたらすごく体がだるくてすごく眠くて到底学校へ行ける状態ではなかった。
それから私は学校を休んだり、遅刻して行くことが増えた。

高校を1年で中退

うつ病と闘いながら学校生活を送っていたがそう上手くはいかなかった。
鬱が酷く学校を休んだ日があった。父もその日仕事が休みで家にいた。寝てたら起こされて「何寝てんだ!学校行け!」と怒鳴られた。そして叩かれ蹴られた。その時初めて父から暴力を受けた。私はショックと共に呆れてしまった。この時は今ほど家族にうつ病の理解がなかった。そして分かってくれないならと私は父の目の前で太ももを切った。それでも父は怒鳴って学校行けとしか言わなかった。心配もしてくれなかったことが悲しくてそのまま家出した。その時の傷跡は今も1番深く残っている。
結局、休みが多く出席日数が足りなくて進級できないと言われてそのまま辞めた。辞めてすぐに通信の高校に転校する予定だった。願書提出の日、鬱が酷く朝起きれなかった。お母さんに何度も起こされたが、元々私自身は行く気があまりなかった。結局起きれずに夕日が沈んだ。起きて私は起きれなかった自分を責めた。そしてお母さんに、「ごめんね」と謝った。朝のお母さんは、泣きながら「お願いだから起きて一緒に学校行こう」と言っていたのに、「もう全部終わったことだから、これからはあなたの好きなことだけすればいいよ。」と言ってくれた。泣きそうになった。私の人生、終わっちゃったのかなと思った。

1年半の闘病(ニート)生活

好きなことだけすればいいよと言われたものの、その時の私には何も出来なかった。ベットで寝ているだけで一日が終わった。家族からみれば、怠けているようにみえただろう。だが、この時が一番辛かった。
この頃の生活リズムは完全に狂っていた。夜、眠剤を飲んでも寝れなかった。寝れない夜ほど孤独なものはない。そして朝日が昇る。‘’あぁ、また寝れなかった。‘’朝日が昇り絶望した。朝6時に寝て、夕方起きる。そんな生活を送っていた。ちゃんと薬を飲んでるのに何で寝れないんだろう。ただただ辛かった。
自分が一日中ベットで過ごしている間、みんなは学校へ行ってバイトして休日は遊んで。普通の人が羨ましかった。
自傷行為で体に傷をつけてしまった。傷跡をみてとても後悔している。
過食してしまう時期もあった。寝る前の薬を飲んだ後、寝れなくて冷蔵庫の中を漁ってなんでも食べてた。お腹いっぱいで苦しくても詰め込んでた。でも、起きた時には忘れてて食べたごみをみてハッとして、またやってしまったと自暴自棄になっていた。薬の副作用や過食で半年で10キロ太った。

ODして3日間入院

2020年12月私は薬を大量に飲んだ。理由は大したことじゃない。嫌なことがあっていつもより長く眠っていたかった。だが、眠りすぎてしまった。2日間眠ったままで、さすがに心配になった母が救急車を呼んだ。そしてそこから3日間救急病棟で入院した。尿道カテーテルをして点滴でひたすら薬を抜く治療をした。母がずっと付き添ってくれていたが、荷物を取りに家へ帰ったとき、暴れないようにと手足を拘束された。薬で意識がぼーっとして暴れる気力なんてないのに。手足を拘束された状態で、(あぁ、私の人生ここまで堕ちてしまったのか)と思った。退院後1週間薬を飲むことを禁止された。そして、精神科の主治医に今飲んでる薬を全部変えてみようと言われた。それが良かったのか、夜寝れるようになったのだ。夜寝て、朝起きる。こんなのいつぶりだろうと感動した。そこから生活リズムが少しずつ安定していった。

少しずつ湧いてきた意欲

2021年2月、私は韓国語教室に通うことにした。元々韓国ドラマが好きで、韓国語が話せるようになりたいと思っていた。好きなことをすればいいと言われたのでやってみることにした。
それからしばらくして、バイトしようと思って面接に行った。いくつか行ったがどれも不採用だった。私はそれを中退のせいにした。やっぱり高校を卒業していないと社会では生きていけないと感じた。
そんな時私はセルフネイルにハマっていた。母と姉からネイリストになったらいいんじゃない?と言われた。今までの私だったら、無理に決まってるじゃんと即答していただろう。でもその時ネイリストだったらありかもと思った。そんな自分に驚いた。今までの自分はうつ病に支配されていた。毎日死にたいと思いながら生きていた。未来が真っ暗だった。けどどうせ自殺するからどうでもよかった。でも少しずつ少しずつうつ病が良くなってきて考え方も少しずつ変わっていった。そして、沢山考えて私は通信制高校に編入することを決めた。その学校を選んだ決め手は、ネイルコースがあったからだ。そして将来のことを考えたときに、やはり高卒であったほうがいいと思った。この決断を出来たことが1~2年前までは信じられないことだろう。そして、この決断をした自分に感謝する未来が近いうち訪れるだろう。

2回目の高校生活のはじまり

私の高校は大学みたいな通い方で自分のペースで通うことが出来た。初めて授業に出たときは人の多さとか慣れない環境で1時間で帰った。10月からの入学でネイルコースが始まるのは、4月からだった。ネイルコースが始まってから検定の実技練習をして、7月に3級に合格した。もちろん簡単ではなかった。1月に始めたバイトと普段の授業に加えてネイルの授業があったため、完全にパンクしてしまった。バイト中に突然泣き出してしまった。さすがにやばいと思い、1か月休みをもらった。普通の授業もネイルの授業も頑張った。自分がどんどん‘’普通‘’に近づけているのがうれしかった。少し前までベットの上でみんなのことを羨んでいたのに。少し遅れをとってしまったけど、やっとここまで戻ってこれた。

今の自分と未来

気づけばうつ病になってから3年半が経っていた。この3年半で色んな出会い、そして別れがあった。(今後noteに書こうと思う)そしてうつ病という病気に出会って沢山の経験をした。それはつらいことばかりだった。でも、人よりつらい経験をしたからこそ今笑顔でいられること、今生きていることの凄さを知った。病院のベットで拘束されていた自分に、今の自分を想像も出来なかった。死ぬことばかり考えていた自分がやりたいことが出来て、また学校に通ってネイリストを目指して資格をとって。考えれば考えるほど不思議で奇跡のようで。もちろん病気が寛解したわけではないから今でも鬱が出ることもあるし、薬が無いと眠れない。それでもここまで頑張って頑張って頑張って生きてくれた自分にありがとうと言いたい。うつ病というのは周りには見えずらい。うつ病と戦っている姿を怠けていると思われていただろう。孤独な真っ暗な夜もひとり戦ってきた。沢山の苦しみに耐えて、沢山の涙を流し、それでも生きていてくれてありがとう。これからは幸せが待っていると信じて生きてみよう。


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