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大好きだった先生

1.恋に落ちた瞬間
2.卒業
3.居場所
4.2度目の卒業
5.あなたの居ない生活
6.離任式
7.電話
8.新しい学校生活
9.成人式

これは最初で最後の大恋愛、そして私の人生の一部分である

1.恋に落ちた瞬間

中学3年生の時、私は担任の先生に恋をした。
最初はなんとも思っていなかった、テンション高い先生だなくらいにしか。
10月頃だっただろうか、私たち受験生は夏休みを終えて焦って勉強する時期だ。私も焦っていた。
そんな時私は家のことでも悩んでいた。私の家庭はお父さんが重度のモラハラ夫で私が小さいときはお母さんに暴力を振るっていたのを覚えている。暴力は無くなったが毎日家に帰ってきた途端怒鳴りだすのだ。「飯はまだか」「なにちんたらしてるんだ」と。お父さんが怒鳴っているのは日常茶飯事だ。
問題なのはお父さんだけではない。お母さんは家事ができないのだ。というよりやろうとしない。
毎日シンクには食器が山積み、洗濯物も山積みになっている。受験生の私はただでさえ勉強のことでストレスが溜まっているのに家に帰ってきてもこの有様でストレスがピークになっていた。
ある日保健室の先生に家のことを少し話したことがあった。その時は「お母さんも仕事で大変なんだから家事手伝ってあげなよ」そう言われた。確かにそうだけどそんな事を言われたくて話したんじゃない。そんな時、担任の先生と話す機会があった。きっとその時の私は誰かに助けて欲しかったのだろう。先生に家のことを全て話したのだ。なぜかこの人にならと思えた。私が話している時先生は真剣に聞いてくれた。そして話し終えた後先生はこう言ったのだ。
「辛かったな」その一言で私の中で今まで溜め込んでいた何かが溢れて涙が止まらなかった。小さい頃からずっとなんでこんな家に生まれてきたのだろうと思ってきた。先生のその一言で初めて自分を肯定してもらえたと思った。きっとその瞬間私は先生に恋をした。 

それから私は先生とよく話すようになった。勉強で分からないところがあれば先生に聞いて、家で辛いことがあれば話を聞いてもらった。
1月になると毎日昼休みも友達とずっと勉強して学校が終わったらすぐに塾に行って自習室で勉強してから授業を受けて疲れて帰ってきてもまた家でもストレスが溜まって…の繰り返しだった。それでもなんとか頑張れたのは先生がいたからだと思う。
受験に受かった時はハイタッチをしてくれた。他の先生に聞いた話だが私の合格の電話が来た時1番に喜んでいたと。

2.卒業

卒業が近づいていた。私は先生と離れたくない。そんなことばかり考えていた。先生は体育の先生で男子しか授業を受けることは無いから先生が教室にいる朝の学活、給食の時間、昼休み、帰りの学活。ずっと先生を目で追っていた気がする。先生はその年が初めて自分の持ったクラスの生徒たちの卒業式だと聞いた。ある日の日誌に卒業式緊張するけど先生のためにがんばる!そう書いた。
卒業式練習が始まったある朝私は母親とケンカをした。泣きながら学校へ行き目が腫れていた。気分は憂鬱。朝の学活が終わった後先生の元へ行ったら「どうした、病んでんの?笑」なんて笑って言ってきた。何も聞かず保健室行くか?って言ってくれた。「俺も1時間目は授業があるから保健室で寝てな、2時間目から卒業式練習一緒に行こう」って。1時間目が終わった後先生が迎えに来てくれた。その後「どうしたの?」と聞かれたからケンカしたことを話した。「自分より辛い環境の人もいるのに自分なんかが助けを求めていいのかな」そう言うと先生は「自分よりもっとひどい環境で育った人、自分よりもっといい環境で育った人その人たちと比べちゃダメ、それで我慢してたら壊れるよ。助け求めていいんだよ。」そう言ってくれた。「自分のために家事やったらいいよ、お母さんの為じゃなくて、そうしたら気持ちも楽でしょ。」そう言われてから私はお皿洗いや洗濯をするようになった。自分のために。


卒業式前日になった。帰りの学活で突然先生はこう言ったのだ。「俺、結婚します!」と。クラスのみんなは大騒ぎ。私はあまりのショックに言葉が出なかった。学活が終わった後先生の周りに円になってみんなが色々聞いていた。私もその中に混じって聞いた。なんと結婚相手は私が中2の時までいた保健室の先生だそう。すごく幸せそうな顔で「もう一緒に暮らしてるんだ」なんて話す先生。私はおめでとうの一言も言えずただひたすら涙をこらえるのに必死だった。帰り道私は泣きながら帰った。
そして卒業式当日。最後の学活で先生はクラスのみんなにこう話してくれた。「ほんとはみんなと来年も一緒にいたいけど、新しい道に送り出さなきゃいけません。めちゃくちゃ寂しい!」先生は泣いていた。私も明日から毎日先生に会うことが出来なくなるのが辛くて泣いていた。先生は私に「お前はほんとによく頑張ってるよ。これからもがんばれ、3年後絶対1番いい女になってるから」そう言ってくれた。そうして私は中学校を卒業した。


3.居場所

私は高校に入学してから、毎日が苦痛だった。
昔から友達を作るのが苦手で毎年クラス替えのたびに苦労していた。高校はほぼ全員が知らない人だ。
同じ中学の子は2人だけ。最初の方は大勢でご飯を食べていたけどどんどん分散していく。私はどこへ入ればいいか分からなくて毎日焦っていた。
そんな焦りから私は自傷行為をするようになってしまった。ある日私は先生の元へ向かった。自傷行為をしてしまった自分を止めてほしかった。
「先生に話したいことがあるけど言っていいか分からない」そう伝えた。
話すのにすごく勇気がいった。嫌われるかもしれない、めんどくさいって思われるかもしれない、怒るかもしれない、怖かった。「何か言いたいことがあって来たんでしょ?言いたいなら聞くしやっぱ言えないならそれでもいいよ。」って言ってくれた。
「リスカしちゃった」そう言うと「なんでやっちゃったの?」「家も学校も辛くて」先生は「でもやってる時も辛くなかった?痛かったでしょ。もう絶対やっちゃダメ。言ってくれてよかった、手遅れなことになってたら俺があの時話聞いてたらってめっちゃ後悔するもん。よく勇気出して言ってくれたね」そう言ってくれた。「誰にも言えるわけないって思ったけど辛くて誰かに言いたかったんでしょ。」そう言われて号泣してしまった。もう絶対やらないって約束をした。

それから数週間が経った。校外学習が近づいていた。それなのに私はまだ一緒に行く子が決まってなかった。毎日学校へ行くのが怖かった。とりあえずで一緒にいたグループでお昼ご飯を食べて、でもすごく居心地が悪くてこれからどうしよう。そんなことばかり考えていた。この頃バイトも始めていた。

ある日の朝私は学校へ行きたくなくて泣いた。泣きながらお母さんに「お願い今日だけでも学校休ませて」そう言った。学校へ行くのが怖かった。けど休ませてくれずその頃の私の精神状態はかなり悪かったと思う。また自傷行為をしたくなってしまった。けど先生ともうやらないって約束した。けど毎日どうしようもなく辛くて限界だった。約束を破る訳にはいかない、それが余計に辛かった。結局私は先生との約束を破ってしまった。痛くなかった。

そして私はついに心を病んでしまった。
不眠が続き、死にたいとずっと考えるようになった。食欲もあまりなかった。ただひたすら死にたいと一日中考えていた。学校の最寄駅から15階建てのマンションが見える。電車を待ちながらあの上から飛び降りたら死ねるだろうか。そんなことを思った。もう限界だったのだ。私は自分でこのままだとほんとに死んじゃいそうと思った。夏には大好きなバンドのライブに行く予定だった。どうしても行きたい、死ぬのはその後で。そう思って私は精神科に行くことを決意した。だが、お父さんには「ついに頭がおかしくなったか」と馬鹿にされ、お姉ちゃんには「うつ病な訳ないでしょ」そう言われた。
精神科にお母さんと一緒に行った。待ち時間私は訳もなく泣いていた。医者に最近の様子や心情を伝えた。
そして私は5月、うつ病と診断された。

それから私は薬の副作用に悩まされる日々だった。
初めて処方された薬を飲んだ時はバタッと倒れてしまった。それから副作用かうつの症状からか朝起きれないことが多くなった。遅刻が増えた。
先生に会いたかった。けど会っても暗い話しかできない。そう思って中々行けなかった。
遅刻が多くてテストは散々だった。自分を責めた。なんでこんなに弱いんだろう。心も体もボロボロだった。先生助けて。そう思っていた。

ある日先生に会いに行った。周りの先生からまた来たのかという視線が痛かった。その日は忙しかったみたいで「今日ひま?18時まで待ってて」と言われ1時間待った。仕事してる先生を遠くから見ていられるのは幸せだった。あーこの人が好きだ。そう思った。けど先生を想う気持ちは苦しいことが多かった。お待たせと言って現れた先生は相変わらずかっこよかった。「あれから約束ちゃんと守ってる?」そう聞かれた。私はしばらく黙って「一回だけやっちゃった」そう言った。先生は怒らなかった。
「お前はみんなより辛い思いしてる、苦労してる、だからこそがんばれ。幸せになるためにがんばれ。お前なら絶対大丈夫。1年間親よりお前のこと見てた俺が言うんだから大丈夫。頑張ってるお前には幸せになってほしい。将来好きな人ができて結婚したい人ができるかもしれない。その人がその傷見たらどう思う?お前には結婚して幸せな家庭を築いてほしい」そう言われた。私が好きなのは先生なのに。うつ病になったことは言えなかった。「忙しいのにごめんね」と言うと「またなんかあったらいつでも来い!」と言ってくれた。私のことを分かってくれるのも応援してくれるのも勇気づけてくれるのも全部先生だけだった。

7月、私はまた先生に会いに行った。「今日忙しくてあんまり話せないかも」そう言われた。私はその後バイトがあったから「じゃあ今日は帰るね」そう言ってバイトへ向かった。せっかく会えたのに話したのは5分ほどだった。落ち込んだ気持ちのまま仕事をしていた。私はお弁当屋さんでアルバイトをしていた。レジをしていたらなんと先生が来たのだ。
先生は何も言わずに「何にしようかな〜」なんて言っていた。私はびっくりしすぎて固まっていた。
先生はから揚げ弁当を3つ頼んだ。一つ袋分けてと言われ渡すと「終わったら食べろ」そう言って一つの袋を私に渡してきた。受け取るとすぐに先生はお店から去っていった。私は嬉しくて嬉しくてバイトが終わった後急いで親友に報告した。食べるのがもったいないと思いながらも食べた。少し特別になれた気がして嬉しかった。

私は先生にいい報告ができるように学校やバイトを頑張った。少しでも明るい話ができるように。
その頃私はこんな風に思うようになった。
"先生との子供が欲しい"と。
先生と付き合いたい、結婚したい、一緒に暮らしたい、先生との子供が欲しい。そう思ったのだ。誰かとの未来をこんなに願ったことはない。それくらい好きになっていた。でも叶わないことくらい分かっていた。だって先生は教師だ。そして結婚しているのだから。その現実がつらくて仕方なかった。

8月、私は初めてOD(オーバードーズ)をした。死にたかった。いつもより5錠多く飲んだ。すごく具合が悪くなった。動悸がすごかった。がんばって寝たけど途中で心臓がバクバクして目が覚めた。
ある日学校が怖くなった。居場所がない。そう感じた。お母さんの前で死にたいと泣き叫んだ。お母さんに「精神科に入院する?」と言われた。
その頃は毎日死にたかった。ODも量が増え20錠も飲んでいた。リスカもしてしまった。

9月、先生に会いに行った。
リスカを見せた。「死にたいと思った。」そう言った。先生は怒った。「お前は俺を後悔させたいのか?お前が死んだら誰が1番後悔すると思う?家族でもなく友達でもなく俺だよ。俺が1番後悔する。こんなにお前の話を聞いてたのに助けてやれなかったって。」それから少し話した後先生はこう言った。
「俺、来月子供が生まれるんだ」1番恐れていた事だった。聞きたくなかった。おめでとうと言えなかった。泣きそうだった。その後先生は「ちょっと待ってろ」と言って職員室へ行った。戻ってきて先生は「LINE交換しようぜ」そう言ってきた。ずっと先生のLINEが欲しかった。「どうせ病んでるの夜だろ、いつでもLINEしてきていいから」そう言ってくれた。すごく嬉しかった。今思えば先生は私が本当に死ぬんじゃないかと思っての行動だったのだろう。

次の日の朝先生からLINEがきた。
「ちゃんと学校行ってるか?」先生の方からLINEが来たことが嬉しくて幸せだった。
ある日私は先生にLINEで、「居場所がない」と言った。先生は「家の外に自分の居場所を作るんだよ」そう言った。「先生が私の居場所になって」私がそう言うと先生は「話はいくらでも聞くけど居場所になれないのは分かってるはずですよ」と言った。ずるい人だと思った。そういう時は敬語で先生と生徒という関係を崩さない。
先生に依存しているのは自覚していた。
1番辛い時に唯一理解してくれた人。そう簡単に抜け出せない。今の私には先生が居なきゃ生きていけない。そう思ってた。


4.2度目の卒業

10月、とある出来事が起きた。
この頃の私はうつが酷かったんだと思う。もうどうなってもいい、消えてしまいたい。そんなことばかり考えていた。毎日先生を想ってなんとか生き延びていたと言っても過言ではない。
そんなある日、私は何を思ったのか出会い系アプリ(年齢確認のいらないチャットアプリのようなもの)をインストールしたのだ。そして知らない人と会う約束をした。今でもなんでこんな事をしたのか分からない。約束の日の前日、私は友達と遊んでいた。するといきなりその人から電話がかかってきた。「やっぱり今日会えない?」私は「友達と遊んでるから今日は厳しい」そう言った。男はどうしても今日がいいと聞かなかった。そのうちどんどん口調が荒くなっていった。「今日は無理」と言うと「ふざけんなよ調子乗りやがって。今からそっち行くから。殺されないと分かんねーだろ。」そう言ってきた。私は怖かった。知らない人と会うのは初めてだったから行かないと殺される。そう思ってしまった。恐怖と焦りでおかしくなりそうだった。その時私は一生後悔することになる行動をとった。先生にLINEしたのだ。「先生助けて、今すぐ〇〇駅に来て」そう送った。この時の私は頼れる人は先生だけだった。先生はしばらくして「ごめん今気づいた。どうした?出来ることには限りがある。」そう返ってきた。「お願い、来て。」そう言うと先生は「それはできない。話を聞くことしか出来ない。」そう言った。結局私は男の元へ行った。無理やりされてしまった。スマホの充電は切れバスももうなかった。怖くて手が震えていた。なんとかタクシーを捕まえて家に帰った。すぐにシャワーを浴びた。それからまた先生にLINEをした。「先生は私が誰かに殺されるって言っても助けに来てくれないの?」そう送った。返信が来たのは朝だった。「行けなくてごめんね。顔見て話聞きたいから今日学校来れる?」そう言われた。手の震えはまだ止まっていなかった。

夕方、私は学校へ向かった。するとそこには先生ともう1人先生がいた。三者面談のような状態だった。私は状況が読めずにいた。すると先生の先輩、A先生が私に話しかけてきた。いきなり家のことを聞いてきた。全て知っているようだった。すると先生が「全部話したんだ。もう俺1人で抱えきれる問題じゃなくなったから。」そう言った。するとA先生は家のことを色々聞いてきた。でも私はなんでこの人に話さなきゃいけないの。と思ってずっと黙っていた。すると話題は先生のことになった。A先生は「LINE交換したのは先生が悪い。今すぐブロックして。」そう言った。先生は私の目の前でブロックして削除した。泣きそうだった。A先生は私に「お前は卒業してるのに学校に来すぎだ。もう卒業したんだから新しい場所で頑張らないと。」と言ってきた。そして「先生と生徒は一線を越えちゃいけない。もしかしたら先生の仕事に迷惑がかかることになるかもしれない。」そう言われた。何もやましい事なんてしてないのに。そう思った。そしてもう会えないんだ。そう悟った。私は泣いていた。私なんかが先生の天職を奪うわけには行かない。そう思った。そして、「分かりました。もう来ません。」そう言った。心が潰される感覚だった。先生は私にこう言った。「これからは俺以外の人に頼って。」そんなこと言わないでよ、私には先生しか居ないのに。
「最後に先生と2人で話させてください」私はそう言った。A先生は「一応ドアは開けとくからね。」そう言って出ていった。私は顔が涙でくしゃくしゃだった。「もう会えない?」泣きながらそう言った。「うん。次会えるのは成人式かな。」先生はそう言った。私は泣きながら「先生のこと大好きだったよ。先生と結婚したい、先生との子供が欲しいって思うくらいに。」と言った。先生は「ドラマみたいだな笑」と笑った。

そうして先生とお別れの時が来た。
私は今にも号泣してしまいそうなのを我慢して「ありがとうございました。」そう言った。先生は「2度目の卒業だな。がんばれよ。」と言ってくれた。そうして私は学校の門を出た。
少し歩いて私は歩けなくなってしまった。気づけば声を出して泣いていた。先生は私のすべてだった。先生がいたから私は生きていられた。頼れる人は先生だけだった。先生を中心に生きていたのに、いきなりもう会えないなんて。頭が真っ白だった。これから先生がいない世界でどうやって生きていけばいいの?怖くてたまらなかった。
「嫌だ!先生と離れたくない!いなくならないで…」私は泣き崩れながらそう叫んだ。道の真ん中で私はしゃがみ込んだ。ただただ怖かった。これから先の道が真っ暗で怖かった。唯一の光を失ってしまったのだ。先生、私はこれから先生無しにどうやって生きていけばいい?ゆっくりゆっくり歩き始め、わあわあ泣きながら10分もかからない道のりを30分以上かけて帰った。

家に帰るとお母さんが驚いた顔で「どうしたの?!」と言ってきた。わたしはお母さんの腕の中で「もう先生に会えない。やだ!やだよ、、」と泣き叫んだ。しばらくして私は「1人にして…」と言って自分の部屋へ行った。しばらくぼーっとしていた。現実が受け止められなかった。いつの間にかすーっと涙が出ていた。もう会えない、先生がいない生活?どうやって生きていけばいいの?そのことしか頭になかった。それから私は1時間以上泣いていた。しばらくしてお母さんが入ってきた。「ご飯は?」私はその日何も食べていないことに気づいた。だけど食欲なんて無かった。「いらない。」そう返した。しばらくして私は気持ち悪くなってきた。胃の中が空っぽだったからだろう。胃液を吐いた。ずっと泣いていた。

5.あなたの居ない生活

次の日私は目が腫れていた。昨夜は泣きながらいつの間にか眠りについていた。昨日のことを思い出すだけで泣けてきた。その日私はカウンセリングがあった。カウンセラーさんに「最近は家とか学校はどんな感じ?」と聞かれた。私は「今日はちょっと話す気分じゃなくて…」と言った。「何かあったの?」と聞かれ、私は昨日のことを話した。カウンセラーさんには前から先生のことは話していた。「これから先生に会えないのが怖くて」と泣きながら話した。カウンセラーさんは「先生とはもう会えないかもしれないけど居なくなったわけじゃないでしょ?会えなくても応援してくれてるよ。」そう言ってくれた。話して少しスッキリした。でも思い出すと不意に泣いてしまいそうになるから私はなるべく考えないように現実逃避した。

それから私は空っぽの生活を送っていた。
1ヶ月が経った頃、私は学校を休んだ。なんとなく行く気になれなかった。その日お父さんは仕事が休みだったらしく私が部屋で寝ていたら、いきなり大きな声で「何寝てるんだ!さっさと学校行け!」と怒鳴られた。私は無視した。するとお父さんに蹴られた。それがはじめての暴力だった。あ、この人ついに娘にも暴力振るったと思った。涙が出てきてお父さんの前で太ももをカッターで切った。何かが変わるかもしれないと。でもお父さんは心配する様子は無く「何やってんだ!早く学校行け!」と今度は頭を何度も叩かれた。"あぁ、この人は何をやっても無駄だ。私の病気のことなんて分かってくれない"そう思った。私は傷の手当てもせずに服を着替えて家を飛び出した。行き先は学校ではない。ただこの家から出たかった。近くのコンビニで絆創膏を買い、流れてくる血を拭いて絆創膏を貼った。この時の傷は今も1番大きく深く傷跡が残っている。

それからも私は自傷行為を辞めれなかった。先生、ごめんなさい。と思いながら。成人式まで後4年。それまで先生に会えないなんて耐えられなくて毎日死にたいと考えていた。学校に行こうと思っても朝起きれなかったり体が怠くてベットから動けなくて休んでばかりだった。他の人から見たらこれは甘えにしか見えないだろう。でもほんとにうつ病とはこういうことなのだ。自分でも嫌になる。自分が弱いだけじゃないかと自分を責めていた。
それから私は高校を1年で辞めた。通信制高校に転校しようと思った。でも願書提出日、私は鬱がひどく起きれなかった。隣でお母さんが泣いていた。
「お願いだから一緒に願書出しに行こう、お願い、起きて」私はどうでもいいと思った。別に私が行きたくて通信制に変えようとした訳ではない。お母さんに高校は卒業してなきゃ絶対ダメと言われて渋々だった。結局その日私は家にいた。

次の日、お母さんに「ごめんね」と言った。お母さんは「もう全部終わったことだからいいよ。もう好きなことだけしていいよ。韓国語教室通おうか!」と言ってくれた。だけど私は"あぁ、私の人生終わったのかな"そう思って泣いた。
そして私はニートとなり、闘病生活を送っていた。

先生とさよならして1年ほど経った頃、私は近くのコンビニに行った。買い物を終えて帰ろうとすると、ふと学校が頭の中に浮かんだ。ほんとにこれは笑われてしまうかもしれないが先生に呼ばれた気がしたのだ。もう来ちゃいけないと言われたのに、私は吸い込まれるように気付けば学校の前に居た。すると先生の声が聞こえた。びっくりした、空耳かと思った。少し進むと体育館でシャトルランの授業をしているのが分かった。そして、先生の姿が見えたのだ。私はその場で泣きそうになった。「がんばれーもっといける!」先生の声を聞いたのはいつぶりだろうか、遠くからだったから顔はよく見れなかった。私はずっとここで先生の声を聞いていたい、先生の姿を見ていたい。そう思った。すると先生がこちらを向いた。会釈された。遠くからだからきっと私とはバレていないはずだ。でももう行かないと、、心の中で"先生、頑張るね"そう言って私は家へ帰った。

この頃、不眠が悪化していた。朝の6時に寝て夕方起きるという生活をしていた。毎日朝日が昇るのをカーテン越しに感じながら寝るのは精神的にとてもキツかった。なんで寝れないんだと自分を責めていると外が明るくなっていく。"あぁ、また今日も寝れなかった"いつまでこんな生活が続くんだろう。未来は真っ暗だった。
アプリで知り合った男と適当に遊んで捨てられてを繰り返していた。抱かれているその一瞬でも必要とされているのがよかった。孤独が嫌だった。バイバイしたらまた孤独になってまた他の男に抱いてもらってのループだった。こんなの自傷行為と変わらない。もっと自分を大切にできたらよかった。

2020年12月、私は気になっていた男の人に彼女がいるのを知って今日はずっと寝ていたい。そう思ってODした。ほんとにしょうもない軽い気持ちで。気がつけば私は救急車に運ばれていた。2日間ずっと寝ていたらしい。お母さんが流石にやばいと思って救急車を呼んだ。それから私は3日間ひたすら点滴で薬を抜いた。尿の管を入れられていた。3日間私はずっとぼーっとしていた。薬がずっと残っている感覚だった。寝ても寝ても眠かった。個室しか空いてなくお母さんが泊まりがけで居てくれた。荷物を取りに一旦家に帰ると言って居なくなった後、私は手足を拘束された。身動きが取れない、なんなら管から尿を垂れ流してる。なんて姿だ。私はここまで堕ちてしまったのだとその時実感した。ここよりどん底はないだろうと。3日間の入院を終え、まだ少しぼーっとしていたが私は退院することになった。すぐにかかりつけの精神科でこのことを言って診察してもらってくださいと言われた。そのままいつもの病院に行ったがとても混んでいた。私は座ってるのもしんどくてベッドで寝かせてもらった。そしてお父さんとお母さんと診察室に行った。先生は私を怒らなかった。これから1週間は薬を一切飲まないでくださいと言われた。1週間後また来てくださいと。

帰宅して夜ご飯を食べたあと私は吐いてしまった。それから私は何を食べても戻してしまうようになった。お粥ならと思ってもダメだった。退院してから2日後、ほとんど薬が抜けてぼーっとすることも無くなった。するとまあ当然夜寝れなくなった。でも薬は飲めない。それから1週間ほど私はろくにご飯を食べれなかった。何を食べても吐いてしまった。お母さんは仕事を休んで家に居てくれた。でも仕事を休みすぎてクビになるかもしれないと言われた。全部私のせいだ。まだ私の体調は良くなかったがお母さんは仕事に行った。そして通院の日、先生にこの1週間のことを話した。吐き気はマシになっていた。体重は3キロも減っていた。そして今まで飲んでいた薬を全部変えてみようと言われた。薬を飲んでも寝れなかったからだ。するとその日から夜11時くらいに寝れるようになった。1週間薬を抜いてリセットされたのか薬がちゃんと効いて夜寝て朝起きるという普通の生活を数ヶ月ぶりに味わった。嬉しかった。それから生活リズムは安定していった。おかげで精神的にも少し良くなった。1ヶ月後、私は韓国語教室に通うことにした。韓国ドラマやKPOPが好きで韓国語を話せるようになりたいと思っていた。ずっと家に引きこもっていても良くないし、好きなことならできるかもと思って通い始めた。最初こそ緊張で上手く声が出ないほど緊張したが慣れてくれば楽しかった。

私は誰よりも「普通」に憧れているのかもしれない。普通に学校に通って普通に働いて普通に生きる。私はそのレールから外れてしまった。それが怖かった。みんなに置いて行かれてしまう。

退院してから半年ほど経った頃、私はバイトをしようと決意した。もうそろそろバイトしても大丈夫だろうと病院の先生も言っていた。近所のスーパーに応募した。結果は不採用、その後も2つ応募したが全て不採用。高校中退だからだろうか。私は社会から必要とされていないのか。私はすごく落ち込んだ。

うつ病は少しずつ良くなっていた。死にたいと思ってしまう希死念慮は以前は毎日のようにあったが月一で死にたくなる。くらいになった。
ある日お母さんに「ネイリストとかいいんじゃない?」と言われた。私は小さい頃からネイルが好きで夏休みはマニキュアを塗っていた。最近、ジェルネイルにハマっていた。私は「あーそれならいいかも。」と言った。そう思った自分に驚いた。少し前までの自分だったら働くなんて無理、将来のことなんて考えられない、どうせすぐ自殺するから。そう思っていた。そんな私がネイリストならできるかもと思った。カウンセラーさんにはこう言われた。
「悩みが健康的になったね。一年前までは生きているのが辛いとかそういうことばかり話していたけど最近は誰もが悩むことに悩めるようになったね。」と。私は泣きそうになった。言われてみればそうだ。以前の私は寝れない、死にたい、生きているのが辛い。そんなことしか考えられなかった。将来のことなんて全く考えられなかった。そんな私が韓国語教室に通い始めたり、バイトを始めようとしたり、将来のことを考えられるようになっていた。カウンセリングが終わって私はひとり考えていた。すると突然泣けてきた。嬉し涙だった。私、ちゃんと治ってきてる。これまでずっと孤独の闘いだった。家族から理解されず甘えだと言われ、何もできない自分が嫌になり、学校も辞めバイトも辞め体は傷だらけになった。ほんとに辛い2年間だった。学校の最寄り駅から見える15階建てマンション、あそこから飛び降りたら死ねるかなとよく考えていた。久しぶりに行ってみた。懐かしいと思えた。今はちょっと生きてみようかなと思った。わたし、本当によく頑張った。

6.離任式

2021年3月末、卒業した中学校の離任式があった。そしてその日先生が離任することを知った。そろそろだろうとは思っていたが、いざ先生が母校から居なくなると思うと悲しかった。もう学校に行っても先生に会えないということだ。私は友達と離任式へ行くことにした。とても緊張した。うまく話せる自信がないから、手紙を書いて渡すことにした。体育館から出てきた先生、約1年ぶりに見る先生は相変わらずかっこよかった。やはり緊張してほとんど話せなかった。友達が進路や就職の話をしているのに私はなにも報告出来なかった。

7.電話

離任式から半年ほど経った。私は未だに先生に会いたくて泣いていた。先生の新しく働く学校はそれほど遠くなかった。会いに行こうと思えば行ける距離だ。会いに行こうかと迷うくらいまだ先生が好きだった。私は学校に電話して、先生に会いに行ってもいいか聞いてみることにした。電話した時先生はまだ授業中だった。電話番号を教えて折り返してもらうように頼んだ。しかしいつまで経っても電話は掛かってこなかった。私はもう一度学校に電話した。先生に代わってもらった。私は声が震えていた。
「お久しぶりです」
「ひさしぶり。なんですか?」 先生の声が優しくなかった。
「会いに行っちゃだめですか?」
「だめです。あなたはもう卒業して、俺は今の生徒がいるから。」
凄く冷たかった。悲しかった。会いに行くことは許されない。
「成人式でいい報告が出来るように頑張ります。」 そう伝えた。
先生は終始私の名前を呼ぶことはなく私に冷たくした。
電話が終わって私は泣いた。どうして冷たくするのって。

電話した日から1か月が経った。あの時はどうしてそんなひどいことするのって思ってた。けどあれは私のためだったんじゃないかと思い始めた。先生に依存していた私を突き放すことで、私が自立出来るようにしてくれたのかもしれない。

今まで返ってこないLINEを頻繁に送っていたのに、最近頻度が減った。こんなにLINEを送らなかったのは初めてだ。先生の思い通りに私は先生への執着が少し無くなったのかもしれない。あんなに冷たくされたらそうもなるだろう。でもそれでも好きという気持ちは変わらない。
夢に先生が出てきた。夢の内容はうろ覚えだが、先生が家族も仕事も捨てて私と一緒に暮らすために会いに来てくれた。私はだめだと言った。先生の仕事を奪いたくなかった。それでも先生は私といることを選択してくれた。すごく嬉しかった。そんな内容だった。目が覚めて、あぁまだこんな夢を見るほど好きなのかと痛感した。

たしかに私は以前より先生を思い出す回数も減った。それでもまだ好きな気持ちは変わらない。

8.新しい学校生活

そして私はまた学校に通うことに決めた。通信制のネイルコースがあるところだ。ここなら高校に通いながらネイルの資格が取れるからすぐに就職できて周りとの差もあまり開かないと思った。今度はちゃんと自分が通いたいと思って決意した。やっぱり高校中退じゃバイトもできない、だったら周りに少し遅れてもちゃんと高校卒業したいと思った。そして学校説明会に行き、10月に入学した。初登校はとても緊張した。なにもわからない状態で、知らない人が沢山居て、分からない事があっても聞ける人がいなくて、勉強も2年ぶりにやったから変な感じだった。しんどくなってその日は1時間で帰った。帰り道私は訳もわからず泣いていた。
4月からネイルの授業が始まった。
私は2つ資格を取った。つらいこともあったけどなんとか合格することが出来た。
自分が資格を持ってるなんてなんだか不思議なくらいすごいことだった。
通信の高校は私に合っていた。人間関係を作る必要もないし自分のペースで通うことが出来る。
今の通信は精神疾患抱えてる子が多いから鬱が出てしまった時も先生達は慣れてるからしっかり対応してくれる。
私はこの高校でも、信用できる先生が出来た。そして依存していた。

成人式まであと2週間になってしまった。中3の頃仲良かった子とは、縁が切れた。ひとりぼっちで成人式に行くのが怖かった。そして先生に会うのも怖かった。

9.成人式

成人式当日を迎えた。私は誰とも会話を交わすことなく式に参加した。
なんと先生は欠席だった。ショックだった。成人式で会うと約束したのに。
私は式を途中退室し家に帰ることにした。夜インスタを見ていると、同級生の投稿に今日の成人式の写真を載せていた。見るとそこには、私が会いたかった先生とのツーショット写真が載っていた。多分先生は式が終わってから来たのだろう。私は悔しさで泣いた。どうしていつもこうなんだろう。
いつも先生のことになると後悔ばかりだ。

後日、先生の学校に電話してみた。その時先生は席を外していて、私の電話番号を伝え、折り返してもらうよう頼んだ。
でも、何日待っても連絡が来ることはなかった。
私は先生に嫌われてしまった。

でも、このまま終わりにしてしまっていいんだろうかと思った。
私は先生に成人式で渡そうと思っていた手紙を送ることにした。
私は先生にもう執着していないと、今は恩師として見ていることを書き足して。あわよくば、お返事をくれたらうれしいです。と書いた。
だが、先生から手紙が送られてくることはなかった。
もう終わりにしようと思った。そりゃあ悲しいに決まってる。
でも、もうこれ以上なにも出来ることがないのだ。

こうして、私の大恋愛は5年の月日を通して幕を閉じた。
15歳の私はガキだった、でも20歳になった今でもあの時の恋は本物だったと胸を張って言える。まさに大恋愛だった。
まさかこんな結末になるとは、思ってもなかったけど。

さよなら、大好きだった先生。


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