見出し画像

北九州キネマ紀行【小倉編】無法松は時空を超えてよみがえる〜映画「無法松の一生」

小倉を舞台にした名作映画

九州最北端のまち・福岡県北九州市。
市役所があるのは、小倉。
その小倉を舞台にした代表的な映画と言えば「無法松の一生」だろう。

明治から大正にかけての小倉を舞台に、「無法松」と呼ばれた暴れん坊の人力車夫、富島松五郎が、夫(吉岡大尉)を亡くした女性に密かな思いを寄せながら、その息子の成長を見守る物語。

映画は何度もリメイクされたが、最も有名なのは、最初に手がけた稲垣浩監督版だ。

稲垣監督版の「無法松の一生」は、二つある。
一つは戦時下の1943(昭和18)年に公開されたもの。
もう一つは、戦後の1958(昭和33)年公開のリメイク版。
どちらも、高い評価を受けた作品だ。

昭和18年版は、脚本が伊丹万作(マルチタレントで、映画監督だった伊丹十三の父)。無法松を阪東妻三郎(俳優・田村正和らの父)が演じた。

昭和18年版はオープニングのカメラワークにご注目。カメラは2階の部屋の中からするすると外に出ると、地上に着地するが、この間ワンカットで撮影している。こうした(クレーン)撮影が当時すでに行われていた(撮影・宮川一夫)。

検閲でカットされた昭和18年版

昭和18年版は、内務省の検閲でいくつかのシーンがカットされたことでも知られる。
「人力車夫が軍人の未亡人に思いを寄せるなど、ケシカラン」という理由だったらしい。

戦後になると、今度はGHQ(連合国軍総司令部)の命令によって、学生の乱闘シーンなどがカットされた。
暴力は民主主義にヨロシクナイとされたという。

つまり昭和18年版は、当局の都合でズタズタにされた映画だった。
稲垣監督の無念さは、いかばかりだっただろう。

にもかかわらず、なぜ名作と言われるのか。
これは一度ご覧いただくのが早い。

わたしは、無法松の吉岡夫人に対する思いを感じさせるシーンが一切カットされたにもかかわらず、無法松の切ない思いが伝わってくるところにそれを感じた(終盤にチラリと見える、無法松の部屋に貼られた〝女性のポスター〟で)。

ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した昭和33年版

一方、昭和33年のリメイク版は、ベネチア国際映画祭(イタリア)で金獅子賞を受賞した。こちらは戦後の大スター、三船敏郎が無法松を演じた。

受賞に感激した稲垣監督は日本に「トリマシタ ナキマシタ」と電報を打ったという。

原作は小倉出身の作家、岩下俊作の小説「富島松五郎伝」

「無法松の一生」の原作者は、小倉出身の作家、岩下俊作(1906〜1980)。

岩下は八幡製鉄所に勤務しながら創作活動を続けた人。
「無法松の一生」は、岩下の小説「富島松五郎伝」を原作にしている。
この小説は直木賞の候補にもなり、1940(昭和15)年に「オール読物」に掲載されると、舞台化されたのち、映画化された。

映画のヒットによって、無法松はあまりに有名になり、岩下は無法松の作者のイメージでしか見られなくなったことから、松の木を見るのもイヤになったという(「北九州の文学 北九州市立文学館10周年記念誌」)。

いま「富島松五郎伝」は、北九州市立文学館文庫などで読むことができる。
製鉄所に近い八幡の高炉台公園には、太鼓の形をした岩下の文学碑がある。

高炉台公園にある岩下俊作の碑

無法松は時空を超えてよみがえる

「無法松の一生」は古い映画だが、昭和18年版は近年、4Kにデジタル修復され、よみがえった。

それにとどまらず、無法松は今でも別の映画を通じて、ひょいと顔を出す。

「海辺の映画館−キネマの玉手箱」

例えば、大林宣彦監督の遺作となった映画「海辺の映画館−キネマの玉手箱」(2020年)。

この映画には、移動劇団「桜隊」が「富島松五郎伝」を慰問巡演するため、原爆が投下される昭和20年8月6日の広島に向かうエピソードが出てくる(映画の中に〝入りこんだ〟現代の若者たちがこれを食い止めようとする)。

桜隊は実在した劇団で、実際に原爆投下の犠牲になり、参加していた女優の園井恵子は32歳の若さで亡くなった。
園井は昭和18年版の「無法松の一生」で、吉岡大尉の妻役を演じていた。

「君は一人ぼっちじゃない」

無法松がもっとストレートに顔を出すのは、2019年公開の映画「君は一人ぼっちじゃない」(小倉出身の三村順一監督)。
こちらは、正面から「無法松の一生」にオマージュを捧げた作品だ。

「君は一人ぼっちじゃない」には、昭和33年版で無法松を演じた三船敏郎の長女、三船美佳が出演している。

三船美佳は、小倉に実在する映画館「小倉昭和館」の館主役。
この昭和館では、三船版の無法松を上映している……という設定になっていた。

こうして今でも、無法松はわたしたちの前にふっと姿を現す。
これは「無法松の一生」が、いかに映画人にインパクトを与えたか、という表れでもある。

喧嘩っぱ早いが、思いを寄せる女性にはシャイで、誠を尽くす無法松。
ストイックに愛に殉じる無法松。
その愛すべきキャラクターは、今も色あせることがない。

小倉のまちには「無法松の碑」が建っている。

無法松の碑は商工貿易会館の近く

映画「無法松の一生」の功罪

終わりに、映画の見せ場にもなっている、無法松がたたく小倉祇園太鼓について、映画の〝功罪〟を。

小倉祇園太鼓は、小倉を代表する伝統的なお祭りで、毎年7月に開かれる。400年の歴史があり、2019年には国の重要無形民俗文化財に指定された。

小倉祇園太鼓に小倉っ子の血は騒ぐ

映画は小倉祇園太鼓を有名にしたが、よいことばかりではなかった。
映画では本来のものと違ったたたき方がされ、見た人にそちらを〝本物〟と勘違いさせてしまったという(「400周年記念誌 小倉祇園太鼓」)。

では、本物の小倉祇園太鼓とは、いったいどんなものか。
それは、ここで語るより、実際に見て、感じていただく方が早い。
未見の方は、ぜひ7月に小倉にお越しいただき、「本物」を体感していただきたい。
小倉の夏、無法松に会えるかもしれない。



サポートいただければ、うれしいです。 お気持ちは創作活動の糧にさせていただきます。