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外向思考(Te)と内向思考(Ti)について

自分の主機能だと思っている内向思考Tiと、向きが逆の外向思考Teについてまとめてみる。引用多め。ヘッダー画像は左:Te、右:Tiのイメージ。

https://uranaino.net/archives/631より

ひとまず、外向思考と内向思考を主機能と補助機能にもつタイプを見てみる。

外向思考を主機能と補助機能にもつのは、TJタイプ、内向思考を主機能と補助機能にもつのはTPタイプだ。

外向思考
考えたことを行動に移すことを重視する
議論を好み、考えが豊富
前もって考えをまとめ、計画的に進める
ものごとに対処するための決まったやり方をもっている
エネルギッシュ、早いペースを好む
合理的で分析的
表現が豊かで言葉が流暢
気まぐれ
望みが高い(大志を抱く)

内向思考
思慮深く、論理を重視する
興味あることに控えめで距離をおいた態度で接する
自分の世界を分析して管理する
考えを組織立てて整理する
知性の部分を重視する
独立しており、人に頼らない印象を与える
批評的で懐疑的
独自性があり想像に富む
型にはまらない

書籍「MBTIへのいざない」より

Te(TJ)は理路整然とした思考、Ti(TP)はランダム的な思考というイメージがJ/Pとの組み合わせから浮かぶ。

上の記述内だと、僕自身は、興味あることに控えめで~というのはあまり当てはまらなく、情報収集をしているときや好きなものを語っている時は、その状況に入り込んでいる認識だ。外向思考って気まぐれなのかな?


                                                                                                                      MBTIにおける4つの指標

思考と感情機能は主観的な経験が培った合理的判断力により支えられているため合理的機能と呼ばれるようだ。

        各タイプ別の作用しながらバランスをとっている指向の組み合わせ(TJ/TPタイプのみ抜粋)

「内向と外向のどちらを指向しているかに関係なく、誰もが外界と関わることでそこには特別な動機づけが生まれてくるのである。この動機づけのための心の相互作用はSP,NP,TJそしてFJの4つの組み合わせがある。」(FJはFeを主機能か補助機能にもつ)

「私たちの心には、自分たちの内向された心的機能のほかに、ときどき心のなかに起こる、引っ張られたり突き上げられたり、という作用がある。これも、タイプ論の一部であることを知っておこう。この作用は、自分たちが周囲にどのような印象を与えるかや自分たちが動機づけられる作用があるのと同じように考えてもらいたい。これらの心的相互作用(SJ,NJ,TPそしてFP)は、外界に対する心的態度と内向された心的機能の間で相互に引っ張り合っているようなものとして体験される。」(FPはFiを主機能か補助機能にもつ)

上記「」内の記述が書籍「MBTIへのいざない」の中にある。

上の表で言うと、動機づけと外界が関連するため、動機づけられるきっかけにはTJ,SP,NPタイプが該当する。(思考機能でいうとTe)

内的緊張には内向機能のSJ,NJ,TPが該当している。(思考機能でいうとTi)

ここでTJとTPの特徴について見てみる。

動機づけがうまくいっているときに見られる特徴
TJ

理論的な意思決定者
動じない
分析的
執行権をもってものごとを実行する
議論したり、疑問をもってのぞむ
きっちりとしていて厳密である
じっくり考えながらものごとをすすめる
野心的

内的緊張が働いているときに見られる特徴
TP

分析的で疑問を持つ
独自の方法でものごとを結びつける
寛容な
要領を得ている
整然とした枠組みを好む
変化に敏感で好奇心が強い
状況を楽しむ

書籍「MBTIへのいざない」より

冒頭の外向思考/内向思考よりもJ/Pの影響が大きそうな記述になっていると思う。

TPの記述で寛容な、とあるがおそらく意識が寛容になる対象に向いていないようにも感じる。

整然とした枠組みを好むかは僕はあまりわからない。インプットの時は整然なものを好むが、色々情報を取り入れて脳内でごちゃ混ぜにして、アウトプットの時は整然ではないものができていることがあるので、そういった意味では整然としたものを好んでいるし、ごちゃ混ぜの状態も好んでいる。

TJについてはなんとなくイメージ通りだと思う。


TeとTiの説明がわかりやすいと思ったサイトがあるので2つ紹介する。

TeとTiの違い

・主観性と客観性 (向性と態度)
・社会的価値観 (相対性と絶対性)

一番の違いは主観性と客観性の違いであろう。 まずその向性と態度の違いから、 Teが始めから終わりまで客観性を持つ一方で、 Tiは始まりは客観性を持つが終わりは主観性が強くなるという特徴がある。

これはどういうことかというと、 インプットは両者ともに外部の情報をもとにしている点で似ているが、 アウトプットの方向性が異なっているということだ。 具体的に言えば、 Teはその判断において客観的事実や前例などの情報をもとに現実に対処することに重きを置く。

対して、 Tiは必ずしも現実に対処するための思考とは言えず、 むしろ「理解する」ことに重きを置く思考といった面が強い。 なのでアウトプットにおいて客観性に欠けるという性質がある。

しかし、 Ti(Tiを優勢機能に持つタイプ)のその判断の根拠となる情報自体は外部の情報(Se・Ne)をもとにしているのであくまでもそのプロセスの「始まり」においては客観性があるという理屈だ。 もとになる情報に対しては開放的で質・量ともに限りがなく、 その上独自に処理する傾向にあるため他人から理解されにくいというのがTiの基本的な特徴となる。

MBTI TYPE DECISIONより

上のサイトの管理人がISTPのようであり、僕もTiユーザーなので説明はしっくりくる。理解(自己満足)に重きを置いているので、Teのような対処というのは当てはまらない。仮に答えを得られなくても何か情報を集めて思考している時が楽しいと思っている。 急ぎの問題解決などに対処する場合でも、まず関連情報をできるだけ集めていくつか解決策を考えたいので急かされるとイライラする。相手の理解を得るための思考ではなく、自分が理解し、納得した上での説明で相手は理解するんじゃないかとか考えている。この辺がTiが独自理論と言われる所以だろう。主観でしかない。

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内向的思考(Ti)と外向的思考(Te)の違い【パート2・具体編】
ケース1:自分がある人に刺されたら


外向的思考(Te)を持つ人ならば、このように考えます。

自分を刺した犯人に対して、しかるべき法律にのっとって裁判を起こし、判例にしたがって判決を下してもらい、それによって刑務所で罪を償ってもらう(=責任を取ってもらう)、という処理を行います。

つまり、外向的思考(Te)は、もともと用意されている法律という社会の決まりにのっとって処理をする機能です。そして、判例主義(裁判での判決が判例という過去の事例に基づいて下される)で納得するのも外向的思考(Te)の特徴だと言えます。


内向的思考(Ti)を持つ人ならば、このように考えます。

自分を刺した犯人が裁判によって刑務所に入ったとしても犯人がただ苦しむだけで、自分が受けた体や心の傷は何も変わらない=責任を取っているとは言えない=意味がないと考えます。

では、そもそも責任を取るとはどういうことか?それは、自分が受けた体や心の傷を元に戻すことです。しかし、それは現実的には不可能なため、結局は自分が受けた傷は自分で受け止める他ないがなく、刺され損だと考えます。
自分を刺した人を刑務所に入れても結局は自分の刺された体は元に戻らず何の意味もないため、その判決自体を変えるべきだと考えます。例えば、刑務所に入れるのではなく服役期間とされる間に働かせ、賠償金を支払ってもらうこと方が合理的で筋が通っていると判断します。

ナルメカ(ナルキンのそうなるメカニズム) -NaruMECHANISM-

これはまさにその通りだ。Tiってこうなんだよな。Teの例だと刺され損だし、やったもん勝ちに近い世の中はおかしいと思っている。ある事柄について、それって意味あるの?というのはよく考える。


まとめ

僕は、Tiは利己的だと思っている。とすれば向きが逆のTeは利他的かと思いきや、やはりTeも利己的ではないかと思う。(利他というのはしっくりこない。)

Fe/Fiで考えると利他的/利己的というのはまだしっくりするんだけど。

思考そのものが利己的ものなのかもしれない。客観的思考と言っても、結局は主観だし。

Teは全体のことは考えているが、自分も含めて周囲の環境は自分がのし上がるためのコマという印象がある。他人にも利益をもたらすが、自分はそれ以上の利益や評価を手にしたいという感じかな。これはESTJとかがそうで、ENTJはさらに+支配みたいなイメージがちらつく。

Tiは完全に自分ことだけというわけではないが、極力周囲のことを考えなくてすむ環境の方が好ましいと考えている。Teより利己的である。自分が満足するために様々な考えに没頭したい。

Tiユーザー(TPタイプ)はPによる融通の利きやすさによって、TeユーザーがTiを使うよりも、もう少しスムーズにTeを使えるのではないかと思う。

社会においては、Teや他の心理機能も使えなければただの自己中な人間として認識されるため、うまくやっていけないだろう。

仕事上で、感情面と相対することになった場合は、「なぜ、この人はそう感じているのか」を周囲の状況などから推測し、「さあ、どうしようかな」とお得意の思考によって対応する。僕は声を荒らげることはほとんどないが、なんか不公平だなと思ったりもする。

プライベートでは、あまり自分の感情について考えたくはないと思っているものの、「感情」そのものについては知りたい欲はある。

感情面も含めて、主観的な経験を蓄積する中で判断力を鍛え、社会に溶け込むために「思考」するというのは合理的機能として適切な使い方だと考えている。


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