ライブハウス・タイムリープ

出会ったのは中学2年の時だった。

友達に薦められた5曲。声があまり好きじゃなかった。
でも1曲、歌詞が良くて何度も聴いた。

そのうち声も好きになって、気づくとウォークマンには全CDが入っていた。

あれから10年。ずっと追いかけてきた。

幾度目かのライブ。お決まりの合いの手ももうすっかり体に染みついている。

全力で手をあげる。飛び跳ねる。歌う。エネルギーを受け取って、使い果たす。

でも――。


遠い、遠すぎる。3階席の最後列。
ファンクラブ先行も外れ、アルバム先行も外れ。

アリーナ広すぎ。そもそもアリーナってなんだ。英語?何語?

はあ。もし過去に戻れるのなら、小さな小さなライブハウスでこの人たちのライブが見たい。

最前列のど真ん中で、バンド全体がこの視界に収まらないくらいに、間近でこの音楽を浴びたい。

でもまあ仕方ない。そんなこと考えたってどうにもならない。

また全力で手をあげ、飛び跳ねて歌う。


え。

視界が急に暗くなった。

体がふっと軽くなって、気づくと私は小さなライブハウスにいた。

目の前には見覚えのある顔があって、でもなんか若い。

お客さんは数人。ボーカル以外は知らない顔だった。

夢か。ライブで倒れたのかな。

目の前で鳴っている音楽は何も頭に入ってこないまま、誰も手をあげることもなくライブは終わった。
アンコールの手拍子もない。

帰ろうかなと思ったその時、バンドメンバーが出てきた。

さっきまで楽器を持っていたその手にはお菓子やジュースが抱え込まれている。

もう頭が?なのだけど、そんなとき後ろから話しかけられた。

「このバンド、どう思います?」

その人を私は知っていた。だってのちにこのバンドのギターになる人だったから。

聞くと彼はちょうど自分のバンドが解散してしまい、新しい仲間を探しているのだと言う。

「楽器は下手なんすけど、曲はいいんだよな」

すごい、わかるんだ。いつもへらへらしているだけかと思っていたのに。
正直私にはいい曲とは思えなかった。

「ギターのやつ抜けないかな」

ぼそっとそう言って、彼は帰ってしまった。

見る目はあるけど性格悪いな、と思った。

見ていると、バンドメンバーと話しているのは皆知り合いらしかった。家族や友達、おそらく恋人も。

でもボーカルの祥平の姿はどこにもなかった。

なんだか居づらくて私も早々にそこを出た。
変な夢。相当疲れてるのか、ストレスか。

にしてもこの、夢を夢だと分かっている感じ、なんか気持ち悪い。なんて言うんだっけ。なんとか夢。でもこれって確か自分で夢の内容を操れるんじゃなかったっけ。
なんて考えながら歩いていたらお腹が空いてきた。

町はおそらく東京、たぶん下北沢あたりで、少し古いにおいがする。

とりあえずカレーを食べたのだけど、お金がない。グッズを3つも買ってしまったことを後悔した。

このまま夢が覚めなかったら、私はどこへ帰ればいいのだろう。

急に不安になって、気づくとまたあのライブハウスの前にいた。

さっきのライブを思い出す。

なんか思ってたのと違った。私は今の彼らを小さいハコで見たかったんだ。バンドメンバーはみんな違うし、あれは私の知っている祥平じゃない。

すると、ふっと扉が開く。出てきたのは祥平ひとりだけだった。

目が合ってしまった。


「もう来なくていいんで」


冷たかった。
聞いたこともない冷たい声をしていた。

大きい背中はだんだん遠ざかっていく。

少し息苦しくなって、その場に立ち尽くした。

こんなとき、彼らの音楽が聴きたくなる。
でもこの世界にはまだ、彼らの音楽はない。

結局お金がないので、24時間営業のファミレスで一夜を過ごした。ショックでほとんど眠れはしなかったけど。

当たり前だけどスマホは使えないし、朝早く起きても何もやることがなかった。

公園に行って逆上がりが永遠にできない小学生を眺めたり、本屋で懐かしいギャル雑誌を立ち読みしたりした。ちょっと楽しかった。


夢はなかなか終わらなかった。

毎日ファミレスで寝るのも限界だった。お金もない。

食事もまともに取れず、このまま死ぬのかもしれないと思った。

でもきっと死ねば夢が覚める。早く覚めてほしい。そう思って目を閉じようとした、そのときだった。

「お客さま」

ぼんやりと見えたのはいつもの店員さんだった。バイトリーダー的なちょっとキリっとした女性。

いよいよ怒られる。そりゃあ毎日ドリンクバーだけで何時間もいるなんてあまりに非常識だ。


「あなた、タイムリープしてる?」

衝撃の言葉に一気に目が覚めた。

「いえ、あの」
これは夢で、、と言いそうになったけど薄々自分でも気づいていた。でもまさか。

その人は小声で話し始めた。

ルミと名乗ったその人は、昔タイムリープしたことがあるらしい。小学生のときであまり覚えてはいないけど…と言いながら事細かに教えてくれた。

そのとき居場所がなかったルミさんはある人に助けられたそう。

名前も覚えていないけど、ずっとどこかでその人を探しているらしい。

タイムリープした先に自分の居場所はない。当たり前だ。

だってその世界に存在しないはずの人間なのだから。

いや、現実世界でも私の居場所は――。

「うち来る?」

ルミさんはいとも簡単に私の居場所を作ってくれた。


23歳。フリーター。

趣味はバンドのライブに行くこととドラマを観ること。

それなりの大学に入ったのにろくに就活もしなかった。誰でもできる仕事なんてしたくない。私が私である意味が欲しかった。

【将来の夢】に書いたこともなかった職業を今、追いかけている。

それは何かから逃げるためだったのかもしれない。

そうやって夢を追いかけた結果、誰からも認められず、何も成し遂げられていない。

私は今社会の隅っこで、誰に見られる訳でもなく、ただ自分のやりたいことをやっているだけ。


何日かぶりのお風呂は想像以上に体に染みる。
気持ちがいい反面、その温もりが私を責める。

炊き立てのご飯も、ふかふかのお布団も、今の私にはもったいない。

ルミさんは言った。
「いつ戻るか分からないから、やっておきたいことはすぐにやった方がいいよ」

やりたいことってなんだろう。

10年前ってそんなに昔じゃないから、面白みにかける。

小学生の頃の記憶がよみがえって懐かしいなあと思うくらい。

自分の家でも見に行こうかと、とりあえず外に出た。

でももし、小学生の自分とばったり会ってしまったら、時空が歪んだりどちらかが消えたりするのかな。それとも何も起こらず、彼女にとって私はただの不審者になるだけなのかな。

小学生の自分に会ったら、どんな顔で何を話せばいいのだろう。

まさか大学を卒業してフリーターになってるなんて思ってもないだろうな。

気づくと自分の家とは全然別の方向に歩いていて、全く見覚えのない地へ行きついた。

喉が渇いてコンビニに入ると、レジには祥平が立っていた。

いらっしゃいませー。と生気のない声が空気中に放たれる。気づいていない。ていうか全然こっちを見ていない。

アイスティーをレジに持っていく。全く目が合わないまま、気づかれる素振りなど一切なくコンビニを出た。なんか悔しかった。

その後も何回かチャレンジしてみたけど、やっぱり気づいてもらえない。

そもそも私の顔なんて覚えてないのかもしれない。あの日一日会っただけだもの。


「ルミさん、やりたいこと見つかりました」

そう言って私はあのコンビニへ向かった。

バイトの面接を即クリアして、明日から祥平と同じバイト先で働くことになった。

よく考えたらこれってすごいことじゃない?だっていわゆる”推し”(この言い方まだしっくりこないけど)と一緒に働けるんだもん。

ちょっと浮かれてあんまり寝れなかった。

バイト初日。店長が業務を教えてくれた。まだなんとかPAYもないし、メルカリの発送とかもない。コンビニの仕事も相当増えたよな、なんてちょっと未来人っぽいことを思ったりした。

休憩中、昨日寝れなかった分の睡魔が一気に襲ってきて、爆睡してしまった。

目が覚めると誰かがいて、ぼんやりと輪郭が浮かび上がってきた。

そこには着替え中の祥平がいた。

「あ、すいません寝てたんで」

更衣室があるのになぜここで着替えるのか。ちょっと変な人だなと思った。

自己紹介をしてもやっぱり気づかれない。顔を見ているようで見ていない、人見知りによくあるあの目線。

そのあと店長は帰ってしまって、祥平と二人になった。

変な緊張。

「あの」

こちらを向く祥平。

「この間ライブで」

「あ、はい」

はい? 気づいてたのかよ。やっぱ変な人。

「いつからやってるんですか」

「中学です」

「自分で曲を?」

「まあ、はい」

「すごいですね」

「・・・」

だめだ、全然心開いてくれない。

「私、音楽好きなんです。バンドとか」

「そうですか」

続けて好きなミュージシャンを言おうとしたけど、もしかしたらまだデビューしてないとかあるかもな、と思って何も言えなかった。

結局この日は全く距離が縮まらずに終わった。


帰るとルミさんに聞かれた。

「なんでコンビニバイトなの?」

「話したい人がいて」

「叶わぬ恋とか?」

ルミさんは恋バナが好きだ。夜勤中のお客さんたちの話を盗み聞きしては私に垂れ流す。

ずいぶん恋愛をしていないから、人の話で満足らしい。

「恋バナは好きだけど、恋は面倒」

それは私も同じだ。大人になると、昔簡単に出来ていた"人を好きになる"ってことが難しくなる。

人生を重ねればできるようになることが増えるけど、もしかしたらできなくなることの方が多いのかもしれない。

朝までオールとか、真夏に全力で走るとか。夢を追うとか恋をするだとか。

小学生の私の方がずっと、人生を楽しんでいた。


祥平と全く距離が縮まらない日々が続く中、とある事件が起きた。

店長の失踪。

フランチャイズのコンビニだから、代わりの人はいない。

バイトが次々辞めていくのに、一番新人の私は辞められずにいた。祥平がいる限りここにいると決めている。

「どうして辞めないんですか?」

と祥平に聞くと、ぽつりと答えた。

「残された側の気持ちが知りたいから」

その後、ほとんどのバイトが辞めて営業時間が短くなった。夜勤がなくなり、もはや副店長と三人で回しているようなものだった。

こんなに忙しくてバンドはどうしてるんだろう。気になっていたけどどうも聞けなかった。


激務が続いたある日、祥平が倒れた。

その日は私たち2人でシフトを回していた。すぐに救急車を呼んで、店を閉めた。

ぐったりして汗をだらだらとかく祥平に声をかけ続けた。

病院に着いて少しして、看護師さんに呼ばれた。過労によるものだから明日には退院できるとのことだった。

病室の祥平にそれを伝えて、帰ろうとしたときだった。

「夢を見たんです」

「え?」

「でっかいステージに立ってるんです。俺が」

そっと椅子に腰かけると、彼はまた淡々と話し始めた。

「中年くらいの俺がステージにいて、それを今の俺は遠くから見てて。客席は満席で、グッズとかいっぱい持ってる人がいて」

それって、、。

「いい夢だったな」
「夢じゃないよ」

祥平は少し驚いた様子でこっちを見た。初めて目が合った気がした。
そしてすぐに「ふっ」と笑った。
ずっと、この世の終わりみたいな顔をしていた祥平が笑った。

「やっぱり変な人だ」

「私が?」

「俺、バンド解散したんです」

なんとなく、そんな気がしていた。

「わかったんです。バンドとかライブとかそういうの向いてないなって」

「どうして?」

「人といるの苦手だし、人前で歌うのも好きじゃない」

「・・・」

「そもそも売れないと意味ないんで」

「売れるよ」

「え?」

「あなたは大丈夫」

「なんで」

「だって」

だって未来から来たから。なんて言えない。
それでも祥平の目を見ていると嘘をつくことはできなかった。

「…私、夢があって」

咄嗟に話をそらした。


「脚本家になりたいの」

――すごいね。

脚本家になりたいと他人に言うと、大抵この言葉が返ってくる。

そんなの無理だよ、なんて誰も言わない。心の中ではみんな思っているのに。

ーそんな無謀なものを目指してすごいね。

あれらの「すごいね」はこれの略だと思ってる。

脚本家になるには、という話をすると毎回、自分でもすごいものを目指してしまったなと思う。

まずは千を超える応募作の中からたったひとつの大賞に選ばれなければいけない。それだけすごい倍率を勝ち抜いてもその先仕事がある保証はない。

気づくと長々と話してしまっていた。好きなドラマや脚本家。こういう人が好きで、こういう社会が嫌で。もしかしたらまだ放送されてないものもたくさん喋ってしまっていたかもしれない。

でも彼は何も言わずに聞いてくれた。すごいね、なんて言わずに。静かに、しっかりと聞いてくれた。


数週間後、店はやはりどうにもならず閉店することになった。

最後の勤務日までに何度も連絡先を聞こうとした。このままだと離れ離れになってしまう。それは嫌だった。

また会いたい。ただそれだけだった。

でも結局聞けないまま最終日を迎えた。

迫る退勤時間。黙々と仕事をする祥平。

簡単なことが、言えない。

なんだか無性に悔しくなってきた。

「…あの」

はっとして、気づくと目の前に祥平がいた。

「どうしたんですか」

「え?」

「泣いてるから」

頬を触ると濡れていた。何の涙かわからない。

「あの…、今日時間ありますか」

「へ?」

突然の誘いに声が裏返った。


よくあるチェーンの居酒屋。大学時代よくお世話になったなあ。ここの月見つくね、何十本食べたことか。

「すいません、急に」

「あ、いえ」

気まずい空気。誘っておいて何も話を振らないのは一種の暴力だ。

「ごめんごめーん」

急に飛び込んでくる明るい声。

やって来たのはギターの彼。あの早くも祥平の才能を見抜いていた男だ。

「お、彼女? ってかどっかで会いました?」

彼の名はアキラ。底抜けに明るい感じ、嫌いではない。

話を聞いていると、祥平はアキラにバンドをやろうと誘われているが、ずっと断っていると言う。
まだベースもドラムも決まっていない。

「え、どっちかやります?」

冗談っぽく私を見るアキラ。
祥平の苦手そうな人なのに、不思議と嫌そうではない。

この日は9割方アキラがしゃべって終わった。

ていうかなんで私呼ばれたんだろう。と謎が残ったけど、良かったこともある。
アキラのおかげで祥平の連絡先を知れた。

携帯を持ってないと言うと、アキラにめちゃくちゃバカにされた。祥平はやっぱ変な人ってぼそっと言ってた。
2人の連絡先が書かれた紙を無くさないように大事にしまった。

急いでルミさんにお願いして携帯を契約してもらった。身分証もない私では契約なんてものは何ひとつできない。

誰かと連絡を取るために携帯を買う。当たり前だけどなんかいい。

私の電話帳にはルミさん、祥平、アキラという最低限の人たちだけが入ってる。

知らない名前もないし、いつからか会わなくなってしまった友人もいない。

なんだか無性にこの携帯電話が愛おしく大事なものに思えてくる。


それからというもの、事あるごとにアキラから招集がかかり3人で集まった。

いつまで経ってもベースとドラムは見つからないまま、時間だけが過ぎていった。

祥平は本当のところ見つかってほしくなさそうだった。曲もあんまり作っていなかったみたいだし、まだバンドを組むことを躊躇っていた。

私はルミさんのファミレスでバイトを始め、祥平はまた別のコンビニ、アキラは単発のバイトをちょこちょこ。たぶん親がお金持ちなんだろう。身に着けているものも高そうだった。

なんだかもう10年来の知り合いみたいに3人でいるのが当たり前になっていた。私もタイムリープしていることや彼らが大好きなバンドの人だってことをちょっと忘れかけていた。

ずっとこのままいられたらいいのに。

そんなことを思っていたある日、祥平のお母さんが死んだ。交通事故だった。

それから祥平はほとんど家から出てこなくなった。

アキラが招集しても返事は来ない。

祥平のお母さんってどんな人だったんだろう。何かのインタビューで読んだけど、そんなに仲良くなかった気がする。それでもやっぱり肉親の死だもんな。きっと今想像もできないような痛みを一人で抱えているんだろう。

何も出来ない自分が憎かった。いつも祥平たちの音楽に助けてもらっているくせに。

ルミさんにこのことを話した。過去に戻れたらいいのに。そしたら祥平のお母さんを救えるかもしれない。でもルミさんも自ら時間を越える方法は知らなかった。

安否確認のために毎日空メールだけは送ってもらうようにしていた。

祥平から無言のメールが来るたびに安心し、返す言葉がない自分に憤慨した。

そのときどきで何かを語っているように見えるその空白は、私自身の揺らぎの表れだった。

アキラに会うといつも、今日も来たね、という会話から始まる。

祥平がいないことが当たり前になりそうで怖かった。


今日アキラに呼ばれたのはいつもと違う場所。なんで小学校の前なんだろ。

「おーい」

遠くからアキラが走ってくる。

真夏の暑い日によく走れるな、と感心したのも束の間、彼は小学校の閉ざされた門を登り始めた。

「えっ!ちょっと」

「大丈夫。おいで!」

怒られたくないな。でも怒られたところで私、この世界に元々いない訳だしな。ちょっと憧れでもあったしな、このシチュエーション。

なんて考えていたらもうすでに門を越えていた。

夏休みの小学校。誰もいないグランドにブラスバンドの音とセミの鳴き声が響く。

「こっちこっち」

「え、ここプールじゃ…」

躊躇う私の手をアキラがつかむ。

プールまでの階段を一気に駆け上がる。

「よし」

「え、なに」

「手、離さないでね」

そのままプールにダイブ。

うるさかったセミの鳴き声が聞こえなくなり、一瞬世界が止まったような気がした。

苦しくなって顔を出すと、少し遅れてアキラも出てきた。

アキラはプールから上がり、ポケットから何か取り出す。

ジップロックに入った携帯。それを開いて

「よしっ!いけた!」

と満面の笑み。

「は?」

「過去に戻ったの!」

え?アキラも過去に戻れるの?
混乱する私を気にも留めず嬉しそうに話すアキラ。

「2人でやったの初めてだったんだけど、いけるもんだね」

「初めてなの?」

「うん」

「実験に使わないでよ」

「ごめんごめん。でも過去に戻っても驚かないってことはやっぱりそういうこと?」

「気づいてたの?」

「うん、まあ勘だけどね。どのくらい戻ったことある?」

「どのくらい?」

「最長で」

「元いたのは15年先の未来だけど」

「えっ!ずるい!俺なんて半年が限界なのに。最初は数分でさ…」

とアキラのこれまでの話が始まった。

アキラはもう10回以上過去に戻っているらしい。それは祥平とバンドを組むためなのだが、何度やり直しても祥平に断られてしまう。

今回お母さんを亡くした祥平は音楽を辞めるかもしれない。

そう思ってあの事故の日に戻ったのだと言う。

「事故を起こさないようにするの?」

「そう」

「そんなの無理だよ」

「あと1時間半。俺たちが助けなきゃ」

「でもどうやって…」

事故は運転手の不注意によるものだった。運転しながら携帯でワンセグを見ていたという。本当に弁護の余地がない理由だった。

娯楽は人を殺すために生まれたんじゃない。

アキラは、祥平のお母さんを別の場所に誘導すればいいと言った。

でもそれではだめだ。あの事故で他の人も亡くなっている。事故そのものが起きないようにしなきゃいけない。

「運転手に会おう」

アキラは不安そうだった。でもそれしかない。会って携帯さえどうにかすればきっと大丈夫。

運転手は小さなIT企業の社長。会社にコンタクトをとればなんとか会えるはず。

適当な会社を名乗ってみるけど、なかなか社長に会わせてもらえない。

何度か声色を変えて挑戦してみたけど、私もアキラも惨敗。

事故発生まで残り30分。

もう、これしかない。

事故現場の歩道は多くの人が行き交う。

「本当にやるの?」

「やるしかないでしょ」

自分で過去に戻ったくせに不安気なアキラをよそ目に、私は何故か使命感を感じていた。

あと10分。人目のつかないところで準備をする。

事故発生まで3分。

「きゃーっ!」

人々が一斉に逃げていく。

黒ずくめの2人組がナイフを持って歩道をふさぐ。

「ねえ、これ一歩間違えれば俺たち死ぬよね?」

「ちゃんと時間見といてよ」

「怖いよぉ。あ、通報してる。捕まるの確定じゃん」

「あと1分。もうちょっと逃がさないと」

私たちはどこからどう見ても犯罪者だ。
それぞれ逆方向に進み、道をできるだけ空ける。

いた。祥平のお母さんが怪訝そうにこちらを見ている。やばい、あと5秒。

「5、4、3っ」

一気に走る。人々は悲鳴をあげながらさらに逃げる。


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車は誰もいない歩道に乗り出し、運転手は軽いけがをした。

私たちは警察の取り調べを受けたけど刑罰はなかった。

むしろ事故を防いだヒーローのような扱いをする人もいた。

祥平はもちろん、私たちがあの2人だということは知らない。

いつだったか祥平が言っていた。誰かのために何かできる人に俺はなりたい、と。

私もそう思った。今、私はそうなれているのかな。

「あの2人、なにがしたかったんだろうね」

「え?」

「ほら、ナイフで」

「ああ、あの事件ね」

「俺の母ちゃんあそこにいたんだって」

「えっそうなの」

やばい。ちゃんと演技できてるかな。

「本当にかっこいいのってああいうことなのかな」

「え?」

「他人には一切分からない、その人たちだけに分かる意味みたいな」

「うーんと」

「分かる人にだけ分かればいいんだよな、音楽も」

なぜか私たちの奇行が祥平に影響を与えてしまったようだ。


この日から祥平は妙にやる気を出した。寝る時間も削って曲作りに没頭し、同時にベースとドラムの新メンバーも探しだした。

あっという間にバンドが結成され、自主制作のCDまで作られた。

どれもいい曲。ちょっと過激なのとかふざけてるのとかもあるけど、15年後にもこの曲たちが聴けたらいいな。

祥平はどんどん曲を作る。その勢いは止まらなかった。

でも、かたくなにライブはやりたがらなかった。

「ライブやらないと売れないよ」と様々な音楽関係者に言われてケンカする、そんな日々。

バンドメンバーとも毎日ケンカ。
アキラはいつも愚痴が止まらない。もう解散だっ!が最近の口癖。

どうしてライブしないの?

と尋ねると祥平はこう言った。

「自分の声が嫌いだから」

確かに、私も初めは好きじゃなかった。でも何回も聴いてると心地よくなる、不思議な声。
美人は3日で慣れるとかそういうやつ?
いや、祥平の声は不細工ではないのだけど。

「好きになるために、聴いてもらうんじゃない?」

偉そうにそんなことを言ってしまった。

きっと、私もそうだ。自分のことを好きになるために脚本を書いている。誰かに受け入れてもらうために、誰かに求められたくて書いている。

それが居場所になると信じて。

祥平はそれから、曲作りをやめた。

何か変なこと言っちゃったのかな。連絡も取れなくなった。

「来週ライブやるから来てほしい。」

祥平から数週間ぶりにメールが来た。

ライブは一ヶ月前から決まっていたらしい。

メンバーの誰にも言わずに決めてしまい、みんな怒りそうになったけど、それ以上にライブが出来るのが嬉しくて怒れなかった、とアキラはまた愚痴っていた。

ライブをすると決めてから、曲作りを休んでひたすら歌の練習をしていたらしい。

みんながライブの準備で忙しそうになって、一人でいる時間が増えた。

色々考える中で、私はタイムリープしたあの日を思い出していた。

あの日は大きなシナリオコンクールの二次選考が発表された。見るのはライブの後にしようと思ったけど、気になって見てしまった。

そこに私の名前はなかった。

ずっと一次止まり。未だに二次まで通ったことはない。脚本家を目指して4年。周りは会社に入って仕事をしているのに、私はただ誰にも届かないものを書く日々。

誰も私を必要としていないし、誰のためにもなっていない。

最悪の気分でライブに向かった、あの日。

ひとたび彼らの姿を見れば、声を聴けば、音楽が鳴れば、私は私でいいんだと錯覚する。

そんな魔法みたいな時間。

私はそれにすがっていたのかもしれない。
もうダメだと思っては彼らに助けられ、また同じことを繰り返す。

もう、すがるのはよそう。

ライブの日、アキラに話した。

私はこのライブで帰ると思う、と。

アキラは嫌だ嫌だと駄々をこねた。
しかもなんでライブ前に言うのと。

ごめんね、でも君には言っておきたかったんだ。
祥平には適当に言っといて、と頼んだけど、適当なんてできるかな。

小さなライブハウスはやっぱり全然埋まらない。
私は一番乗りして最前列ど真ん中を陣取る。

練習のしすぎで声はガラガラ。演奏もヘタクソ。
でもいい。これでいい。
祥平が、みんなが楽しそうだから。

歌い終えてステージを去っていく。
まばらな拍手。アンコールはやっぱり起こらない。

それでもステージに戻ってきた祥平。
今日はお菓子もジュースもない。

その手にはギターがしっかり握られている。

「もう一曲いいですか」

そう言って歌い出したのは、アンコールのときにみんなで歌う定番の曲。

少し震えた声で、ギターを弾きながら歌う。

こんなに昔からあったんだなと思いながら聴いていると、またあの感覚が襲ってくる。



気づくと私はベッドに横たわっていた。

え、うそ。全部夢?

「やっと起きた〜」

白衣のその人が振り返る。

「ルミさん?」

その人はルミさんにそっくりだった。もちろん別人なのは分かってる。

「ここは…」

「もうすぐアンコールだね」

「え?」

「早く行きな」

部屋を出ると手拍子が聞こえてきた。
急いで3階席へ向かう。
重い扉を開けると、同時に歓声が響く。

ステージに戻ってきて、それぞれの位置につくメンバー。
大きな拍手が徐々に止んでいき、会場は静まる。

なかなか歌い出さない祥平。いつもならすぐにあの曲が始まるのに。

客席はざわつき始める。

「むかし」

祥平が語り出す。

「昔ずっと一緒にいたはずなのに、顔も名前も思い出せない人がいて」

え。
心臓が鳴り始める。

「その人に言われたことがあって、それだけは覚えてて。あの人に会えたら伝えたかったんだけど」

祥平の言葉ひとつひとつを、瞬きもせずに受け取った。


「俺は、ちゃんと好きになれました」


そう言って、あの曲が始まった。


今までで聴いたどのそれよりも、美しかった。


#創作大賞2023
#オールカテゴリ部門


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