2022/11/29

使っていないサブスクを解約しなければと思いつつも全く手をつけていない。ラーメン屋で煮卵つくだけで100円上がるならいいかな…と思い普通のラーメンを注文するくせに使ってもいないアプリのサブスクに月2000円以上も払い続けている。Duolingoとかいう英語学習アプリなんて一瞬始めて一瞬でやめたはずなのに俺のカードから毎月1500円も引き落としがあるということは、俺はDuolingoの緑の鳥に毎月ファックされているということである。初めにケツを突き出したのは俺なのだが、このファックはいつになったら終わるのだろうか。こっちがやめてください!と声を上げなければ犯され続ける現代はなにかおかしい。インターネットに殺される。

お金に執着があるとは思っていないが妙なとこでケチったりするし、銀行口座からお金を引き出す際は出来るだけ残金が見えないようにしている。単純に持っているものが減るのが怖いのであって、お金そのものへの執着ではない気がする。なぜなら俺はコンビニで2000円とか普通に使うのだ。しかもパンに。パンに2000円はあり得ませんよね。
そもそも執着とは冷静さを欠くことが必須であって、それで言えば俺は何かに執着したことはない気がする。俺は男同士の愛つまりLOVEを好きでよくしていますが、愛つまりLOVEに対しても冷静さを欠いたことなど一度もない。愛つまりLOVEが俺に何かしてくれたことは一度もない。

執着は悪いものではなくて、むしろ良いこと。人生を彩るのは執着であって無自覚の執着こそが人生を楽しくさせるのだと思う。こんなことを書いている時点で俺に執着があり得ないことは明白なのですが。

サブスク2000円にどうこう言うくせに毎月ポルノに5000円払っていることは全く問題視していないのだが、そういう事も含めて色々とちゃんとしなければと思っている。「ちゃんとしなければ」という言葉は10代や20代の初めの方は美しき無能として描写されるが、もはや30歳手前という自分にはこの言葉はもっと具体的で生々しい案を出さなければいけない時期が来ている。そうは思うが、そんな決意の3歩手前でいつもシコって寝て忘れてしまう。

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