2022/09/12

少し前にTwitterで「顔がいい人が自分はモテないなどと卑屈になってると嫌味にしか聞こえない」というツイートがあって、それはそうだね…と思ったものだが、これって受取り側は嫌味と受け取ってしまうのもしょうがない話なのだが言っている側はほんとはどう思っているのでしょうね。単純に「謙虚は日本人の美徳ですから…」と慣習に倣ってただ言葉をなぞっているだけで「ほんとはめちゃくちゃモテます。週4回SEXをしています。そのうち一回は3Pです。」という本心があるのか、はたまた本当に「俺はまだまだモテ足りておりません...」と思っているのか。後者が真だとすると俺は怖くて一歩も動けなくなってしまいますよ。この前新宿2丁目を歩いたのですが、歩く人間は一様にいい顔、いい体をしていてまるで東京を名乗っているかのような人間ばかり。あの手の人たちが「まだモテ足りないでやんす...」と卑屈を披露しているのならば、俺たちの卑屈は一体何なんだと思いませんか。卑屈や劣等感を基にいい顔、いい体になっていくはずなのに、既にそれを手に入れた人間もまだ劣等感を感じている。終わらない地獄です、この世は。俺たちの卑屈なぞ東京を名乗るゲイたちの中では些末。卑屈な人間は卑屈なことにアイデンティティを感じているのに、それすらも矮小で他人には及ばないものだと思い知らされてしまいます。ところで顔のいい人ってずっと顔がいいんですか?

文章を書いていると思うのですが、俺より面白い文章を書く人間は大勢いて俺が全く出来ない人の心の隙間に入る文章を簡単に書いてしまう人がいる。顔のいい人の話でもそうですが、上を見るとキリがない。じゃあ文章を頑張れよって思うかもしれませんが、文章ってどうやって頑張るんだよ。感性の部分で勝負している人たちって常に八方塞がりで、いつ狂ってもおかしくない現状にいると思う。モテに上限がないようにセンスにも上限はない。俺は薄目でこの事実を見ているのでまだ正気を保っていられるが、ほんとうにモテたい、センスで売れたいと思っている人はこの事実に気づいたらきっと発狂不可避。すいません、思わずネットスラングを使ってしまいました。

時々、電車内で暴れて刃傷沙汰になる事件などがある。犯人をかばうつもりは毛頭ないですが、狂ってしまう要因ってのは現代では溢れているように思う。法治国家でぬくぬくと生きて常識的な考えで生きていると自分自身が薄いバリアに守られている感覚が出来上がってくるが別にそんなことは全然なくて、満員電車の中で腿に泥水を注射されることだって全然あり得るわけです。発狂の燻りは誰にでもあって、今目の前で酒を買っているおじさんが突然狂って片手に持っているブラックニッカの瓶で俺の頭を殴ってくる可能性もなくはない。俺だってあなただって別に全然普通に殺されますよ。嫌ですね、世の中。
俺はこんな嫌なことはすべて忘れてパンを作ろうと思います。休日はパンを作りみんなにそれを振舞います。約束しますよ。

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