2021/12/20

だりぃ~!!!
だりーだりーダリー・トレホだよ。
年末も近づいきて繁忙期だというのにそれについていこうという気が一切起きていない。もうダルい。全てがダルいのだ。なんなんだこの倦怠感は。しかし倦怠感のままに無気力で過ごしているとそれはそれで後から焦燥感が追いかけてくる。何をやるにしてもダルいが、何もしなかったら焦る。俺は一体どうしたらいいのだ。

一体どうしたらいいのだ―――

意味もなく見出しを使ってしまった。見出しで問題提起もしたことだし、俺はどうしたらいいか分析してみようと思う。

まずこの倦怠感はどこから来ているのか。それはやはり仕事だ。仕事がダルいのだ。このダルさを噛み砕いてみると、仕事の使命感、責任感のなさが起因している。要は仕事を振られてもその8割は「おめーがやれ。」と思ってしまうのがよくないのだろう。どうしても俺がやらなければならないという使命感、責任感をもった仕事が極端に少なく、すべての仕事が「おめーがやったらいいじゃないですか。」に終始してしまう。例えば、このウェビナーを受講して下さいと言われても、「あなたが受講したらいいではないか、では失礼。」となってしまう。会議の9割は「それ今話すことですか?では、失礼。」で終わってしまい身が入らない。テレワークが推進される世の中、従事をそぎ落とし各人の仕事を適正化する中であってもほとんどの仕事には無駄が大きく含まれ世の中は大きな無駄が横たわる上で回っているのだなと痛感する。しかし、ここで社会の有り様を嘆いたところで実際は自分もその無駄を纏わねばならず渋々それに従っている。
そのダルさを抑えつけ仕事が終わらせてもダルさはまだ続く。何故か俺が座れた時に限って大崎で止まる山手線、スーパーで買う刺身の盛り合わせはほとんどがカツオとイカで埋められている、西友の広告の品の特売はいつもと値段が変わらない、コンビニの決済で「クイックペイで。」と言っても大概無視されもう一度言い直す羽目になる、食事をしながらYouTubeを開くとおススメ動画にひろゆきのどや顔がデカデカと映る、タップルの広告は「今年はクリスマスまでに彼氏できるかな?」と煽り散らかしてくる。


あ゙-----!!!!!!!!


ダルい。ダルいダルい。もうすべてがダルい。倦怠感は俺を摩耗させていき、疲れた体はやがて眠りにつく。そうして心と体の回復をするため怠惰を尽くしていると俺に第二の刺客が現れる。それが現状への焦燥感だ。俺は一体どうしたらいいのだ。

一体どうしたらいいのだ―――

この焦燥感を倦怠感同様に分析してみると、まずこの焦燥感は俺が怠惰を極め何もしていないときに現れる。噛み砕いてみると、これは俺が「何者」にもなれないことによる焦りのようなものだ。思い描いたレールからは外れ、車輪は空転し、燃料はひたすらに空費される。そして同年代はレールの先へとどんどん進んでいく。
同級生は結婚し子供を産み、長すぎる将来のための準備を始めている。それ以外でもある分野で成功して名を広めたり、会社で成果を上げ海外転勤をしていく人もいる。そういった誰かのための「何か」、成功を収めた「何か」になっていく同年代を何もしていない自分から見つめると自分がみじめになっていく気がするのだ。さらにそこから変わろうとする自分を倦怠感が押さえつける。そしてただ時間だけが過ぎていく。焦る。ただ焦る。

自分をみじめにして悦に浸るのは少し前に辞めたが、今度はみじめな自分の慰め方が分からなくなってしまった。
特に結婚した同級生と話すとほんとに焦る。向こうは結婚、子供、将来を考えながら話しているのに俺が考えていることは「ちんぽのカリのとこがギザギザしている人がいるけどなんでだろう?」とか「3Pの動画ってエロイな。」しか考えていない。ゲイってほんとにちんぽのことしか考えていないな。

自分がゲイだというのも少なからず影響していると思うが、将来への漠然とした不安感もこの焦燥感の原因の一つになっている気がする。

他者を見て感じる相対的な焦りは、ただのやっかみなので本来感じる必要がないのは分かっている。他者の成功も栄光もそりゃ立派なものだが、それで自分が濁る必要は全くない。元々人と競い合うのを好む性格でもないし、人生の目標とは「何か」になることでもない。人生の目標なんてただ日銭を稼いで楽しく生きていく、ただそれだけであることは分かっている。分かってはいるんですがね。この焦りは一体いつになったら消えるのだろうかと気を揉まずにはいられないのだ。


こういった倦怠感、焦燥感はとりあえずはシコったら消えてくれるので今日は楽しくシコろうと思います。


........

............あのシコるんで出てってもらえますか?

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