信仰って

 これが2017年3月くらいのことなので、3年半くらい前なのですな〜。いやはや。早い。

 中国で起こったなんやかんやの決定的な一打は、ここで書いているので、ぜひご覧くだしゃい。

 信じる、信仰を持つことって決して宗教に限ったことではないと思います。信仰=「見えないもの(自分の知識)を信じること」「人間の起源を知ること」と仮定して例を挙げてみました。
 日本人のほとんどは「私は無宗教で、無信仰だよ」と言う人が多いですよね。しかし、信仰=「見えないものを信じること」だと仮定すると、私たちは実はたくさんの信仰があることに気付きます。例えば、「物が落ちるときに重力が働くけど、重力は見たことある?」「空気は見えないけど、酸素が薄いと苦しい。酸素を見たことはある?」こんなふうに、見たこともないものを信じてますよね。この場合は、信仰の対象は「自分の知識」と言えるかも。見たこともないものの存在を定義して信じられる能力は、人間のみが持つ能力ですよね。とても高次の情報処理能力。

 さらに、信仰=「人間の起源を知ること」だとすると、進化論を信じる人(無神論)・土着の八百万(やおよろず)の神々を信じる人・神がこの世界と人間を創造したことを信じる人などなど、信仰はそれぞれ持っていることがわかります。だって、人間の起源なんて誰も見たことないもんね。わっかんないもん。だからここで私は、無神論の方も「信仰がある」と声を大にして言いたーい。海外で「日本人は信仰がない人が多いでしょw」と笑われた経験が多数ある私、今なら答えられる。「日本人の多くは自分信仰があるよ!!」

 人間には「知りたい」欲求が強い。「見えないもの」「わからないもの」は怖い、何か説明したい。理解したい。
 もし、神が人間を創ったと仮定するなら、そんな人間の怖れを理解して、トリセツ(取扱説明書)を与えてくれると思う。パナソニックのエアコン買ったのにSONYのBRAVIAのトリセツがついてこないように、つくった人は必ずつくったものに責任を持って取扱説明書をくれる。人間のトリセツは聖書だと私は信じてる。この聖書という本は1600年かけて40人の人が書いているのに、一点も矛盾がない不思議な本。
 でも逆に、もし、人間が神をつくったなら。「わからない」怖さから、自分たちの神ルールを作り、神が聖書をくれたと信じているなら。これも、ありえなくはない。でも、人間の力だけで1600年かけて矛盾のない本が書けるかしら。この1年で世界の常識はガラッと変わった。2020年のたった1年で人々の常識が、生活が、こんなに変わるのに、1600年かけて書かれた本に矛盾がないって人間だけの力でありえるのかしら?

 小さいころ、私はよく、人形をつくって遊んだ。もし人形に思いがあるなら、私がつくったことを知っていて欲しい。私が愛してつくったことを知っていて欲しい。もし、神が私を創ったなら、私を創ってくれてありがとうと伝えたい。創ってくれた神様のために生きたい。

それが私の「信仰」です。

サポートいただけますと感謝です。ーおもちみつ