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9時から15時まで苦しむって

コニツワ〜!
復活の前の金曜、まさに今この時間帯に、イエスは十字架に架かり苦しみのなかにいることを覚えて、聖書を読む・聞く時間に使いたいと思います。

…と書いて宣言したのが13:00ごろ、その後聖書を聞きながら爆睡してしまい16:00になりました。イエスに起きてろ言われても3度爆睡してしまった弟子と同じですよね、どんなに信仰によって聖書を読みたいと霊が思っても肉は弱い。。。ちょうど聖書聞いてると落ち着いちゃって眠くなるんよね…主の平安…アーメン。

※このnoteはいつもよりシリアスな記事になる予定です。その他のおもしろイースター記事はこちらをご覧ください

イエスが人々から受けた仕打ちや侮蔑の言葉の数々は普通の日ではとてもじゃないけど全て読めなくて、苦しくなってしまうので、1年に一度、この金曜日だけはしっかり4福音書のイエスの亡くなる部分を読んでいきたいと思っています。

特に、コミックには絶対できないような、残酷な部分、残酷でありつつ、旧約聖書の預言の回収になっている部分を読んでいきます。

マタイによる福音書

主はわたしに言われた、「彼らによって、わたしが値積られたその尊い価を、宮のさいせん箱に投げ入れよ」。わたしは銀三十シケルを取って、これを主の宮のさいせん箱に投げ入れた。

ぜカリヤ書11:13

マタイ27:9,10

紀元前520年から前518年に書かれたぜカリヤ書に、イエスは銀貨30枚で買い取られることが預言されている。イエスが生まれる500年前にもうすでにイエスの売られる値段が具体的に預言されていることに驚きを隠せない。この預言の成就がマタイ27:9,10で明言されている。

彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。

詩篇22:18

マタイ27:35

イエスの死刑が決まった後、イエスの周囲にいたローマ兵がイエスの身につけていたものをくじ引きして賭け遊びに使う。イエスは慎ましく徒歩で宣教の旅をしていたので、高価な衣服や持ち物があったとは思えず、からかいや暇つぶしのためだったと思われる。


マルコによる福音書

わたしを打つ者に、わたしの背をまかせ、わたしのひげを抜く者に、わたしのほおをまかせ、恥とつばきとを避けるために、顔をかくさなかった。

イザヤ書50:6

マルコ14:65

イエスは神の子であるなら私を言い当ててみろとからかわれ目隠しをされ顔面を殴打された。視覚による受け身が取れないことで打撃はより強く、顔は形が変わるほど変形したと思われる。つばをかけられ平手で打たれてもイエスは何も口ごたえしなかった。

それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。

イザヤ53:12

15:27,28

イエスが全ての罪を負って十字架に架かった。当時のローマ法において、40回鞭打ちに合わせることが軽い刑の法律だったそうだが、ユダヤ人の憐れみとして1回少なく39回の鞭打ちの刑になった。鞭の先にはガラスや石の破片が付けられていて、皮膚はめくれあがり筋肉まで切り刻まれていただろう。当時十字架刑は極刑であり、殺人などの罪に対するものだった。イエスは無罪であったため、総督ピラトは鞭打ちで釈放しようとしたが、民衆が「殺人鬼バラバを釈放してイエスを十字架に架けろ!」と騒ぎ立てたのでイエスは十字架に架かった。十字架に架けろと叫んだ人々は数日前にイエスを褒め称えた人々である。

彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。

イザヤ書53:7

15:4,5


ルカによる福音書

すべてわたしを見る者は、わたしをあざ笑い、くちびるを突き出し、かしらを振り動かして言う、 「彼は主に身をゆだねた、主に彼を助けさせよ。主は彼を喜ばれるゆえ、主に彼を救わせよ」と。

詩篇22:7,8

ルカ23:35

イエスは「神殿を壊し3日で建て直す」と宣言していたことから、「神殿を3日で直せるなら自分を救ってみろ!」と民衆は十字架に向かって嘲りの言葉を投げ続けた。「神殿を壊し3日で建て直す」というのは実際の神殿のことではなく、神殿の幕屋が壊され、死んで3日目に蘇り、神殿の幕屋なくともイエスを通して救いの道を作るという意味であった。

地のもろもろの王は立ち構え、もろもろのつかさはともに、はかり、主とその油そそがれた者とに逆らって言う、 「われらは彼らのかせをこわし、彼らのきずなを解き捨てるであろう」と。

詩篇2:2,3

ルカ23:6-12

ヘロデとピラトはそれまで敵対していたが、イエスを標的にすることで結束する。これはなんとも人間らしく、こんにち繰り広げられているイジメにも似ている。

ヨハネによる福音書

彼らはわたしの食物に毒を入れ、わたしのかわいた時に酢を飲ませました。

詩篇69:21

ヨハネ19:28,30

ローマ兵たちはイエスが前の晩から何も飲まず食わずで眠らずに拷問を受ける発汗、頭部の殴打や鞭打ちによる出血などによる脱水症状で水分を欲していたはずのイエスに酸っぱい葡萄酒を飲ませようとする。イエスは弟子たちに宣言したようにそれを飲むことをしなかった。

わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。

ぜカリヤ書12:10

ヨハネ20:25-27

弟子たちは復活したイエスの手の穴や脇腹の刺し傷(十字架で6時間苦しんで死んだイエスは、実際に死んだかどうか確認の意味を込めて槍で脇腹から心臓をひとつきされた)を実際に触れて確認した。

残酷なのはどの時代も生きている人間

イエスの死の苦しみを4福音書を中心に確認しました…。とても苦しいですね…。ここには書けていない冷やかしや嘲りもあるのですが、今回は旧約聖書の預言を確認できる範囲で書きました。やはり、この十字架の死に至るまでの苦しみを真正面から読めるのはこの復活祭前の金曜に限ると思いました…

God bless! -もちマ

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